今日つらい経験をした,あるいは少しがっかりしていますか?以下の新約聖書からの引用は確かにあなたの一日を明るくするでしょう。

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新約聖書にはイエス・キリストとその弟子たちの生涯や教えから何千というインスピレーションを与える聖句が載っています。最初から最後まで今日読んでいる時間がないでしょうから,あなたが一週間を乗り切るために助けになる10の聖句を集めました。

  1. 「というのは,神がわたしたちに下さったのは,臆する霊ではなく,力と愛と慎みとの霊なのである。」(2テモテ1:7)

鏡にこの聖句を貼付けたり,スマートフォンの背景にしたり,あるいは朝一番に起きて目にするように天井に貼ったりすることができます。神から来るのは恐れる霊ではありません。神は力と強い精神と愛する能力を与えて下さいます。

 

  1. 「自分の命を得ている者はそれを失い,わたしのために自分の命を失っている者は,それを得るであろう。」(マタイ10:39)

自分や,自分を取り巻く状況について悪い気持ちを抱いている時に思い出すと良いです。それから抜け出して,ほかの人に奉仕しましょう。そのプロセスで自分の目的やより大きな幸福を見いだすでしょう。

  1. 「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ11:28)

しばしば,わたしたちはこの生涯を1人で通り過ぎる必要はないことを忘れます。わたしたちはイエスが贖いを行なって下さり,わたしたちの感じて来たことをすべて感じて下さったことを忘れます。この聖句で主はだれでも主に近づいてストレス,苦痛,恐れ,そして弱点の重荷を下ろし,主はわたしたちに休息を与えて下さると教えておられます。

  1. 「『わたしについてきなさい。あなたがたを,人間をとる漁師にしてあげよう。』すると,彼らはすぐに網を捨てて,イエスに従った。」(マタイ4:19−20)

シモンとペテロとアンデレがガリラヤの海で魚釣りをしていると,イエスが彼らに近づいてこられました。彼らは主がだれなのか全然分かりませんでしたし,主がどのようなことを代表なさっているかも分かりませんでしたが,彼らは何かを感じました。そして,彼らは直ちに網を捨てました。彼らは疑問を発しませんでした。彼らは後ろを振り返らず,互いに疑問になって話しあうこともしませんでした。彼らは何のためらいもなく,網を手放して救い主に従いました。

  1. 「あなたがたの光を人々の前に輝かし,そして,人々があなたがたのよいおこないを見て,天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

山上の垂訓はあらゆる時代を通じて最高に力強い教えの一つです。イエスはわたしたちに善を行なうように,しかしもっと大事なこととしてそうすることによって人々がわたしたちの光を見、神に感謝をし,そしてもっとキリストに似た者になりたいと思うようにしなさいと教えておられます。

  1. 「彼らが問い続けるので,イエスは身を起こして彼らに言われた,『あなたがたの中で罪のない者が,先ずこの女に石を投げつけるがよい。』」(ヨハネ8:7)

救い主によって教えられた古典的なたとえ話で,どこにいるクリスチャンにもわたしたちが,罪がない(わたしたちにはあります)場合を除いて,ほかの人を裁くべきでもなく,裁くこともできない事を思い出させます。

  1. 「しかし,聞いているあなたがたに言う。敵を愛し,憎むものに親切にせよ。」(ルカ6:27)

それが隣人であれ,仲違いをしている姉妹であれ,反抗的な子供ないしは共謀して何かを企んでいる義理の家族であれ,だれでも彼らを愛しましょう。彼らに仕え,彼らを赦しましょう。不可能に見えるかも知れませんが,そうではありません。わたしたちすべての造られた方の助けがあれば,赦しや愛は可能です。心に巣くっている感情をぬぐい去ることは自分の魂を確かに癒します。

  1. 「あなたがたの宝のある所には,心もあるからである。」(ルカ12:34)

より多い方がいいと言う世界にあって,永遠の観点から見ることは難しい。あなたの注意が霊的なものよりInstagramに向けられていますか?自分の妻の気にすることより職場の同僚が自分に対して考えていることを優先しますか?その夢のような車に取り付かれていますか?もしそうだとしたら,自己評価をしてみる時期です。

  1. 「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は,幸いである。」(ヨハネ20:29)

どれほど頻繁に信仰を働かせる前に証拠を求めているでしょうか。救い主の使徒であるトマスは,主がそうなさるとおっしゃったように本当に戻ってこられたことを信じるために自分の目で復活なさった主を見なければなりませんでした。イエスはその機会を用いて彼を教え,またわたしたち皆を教えられました。ともかく信じることは良いのですが,見なくても信ずることはもっとよいことなのです。

  1. 「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。そうすれば,与えられるであろう。」(ヤコブ1:5)

わたしたちだれもが知恵が不足していると言ってもいいでしょう。それが教育の面でも,霊的あるいはほかの面でも。初めての子供を育てることで知恵が不足しているかも知れません。難しい大学でのコースワークを選ぶことに知恵が欠けているかも知れません。それがどのようなことであれ,神は知恵とサポートと平安を与えて,しかもそれを求める人に豊かに与えて下さいます。