joseph-smith-bible-mormon-225x300投稿者のエリック・コッターは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員(モルモン)でBYUアイダホ大学の学生で、コミュニケーションについて学んでいます。

何かについて無性に知りたいと思ったことはありませんか?ある数学の問題で途方にくれたことがあるかもしれません。あるいは、もっと大きな問題で、人生の意味をもっとよく知るにはどうしたらいいだろうかと悩んだことがあるかもしれません。一人の14才の少年が同じような悩みを抱えていました。その当時少年であったジョセフ・スミスは宗教と救いについて疑問を抱いていました。彼は神の元に戻るために、神は自分に何をするように願っているのかを知りたいと思っていました。

1820年ごろジョセフ・スミスはニューヨーク州のパルマイラに住んでいましたが、その地域で起こっている宗教的な混乱の中に巻き込まれていました。そのようすを次のように記しています。

 

このひどい騒ぎの間、わたしは心の中で深く考えさせられ、大きな不安を感じないで入られませんでした。しかし、わたしの気持ちに深く、またしばしば痛烈に感じるものがあったにもかかわらず、なおわたしはこれらすべての教派から遠ざかっていた。それでも、機会があるごとに、彼らのいろいろな集まりには出席した。そうするうちに、わたしの心はややメソジスト派に傾き、彼らに加わりたいとかなり望むようになった。しかし、様々な教派間の混乱と争いが非常に激しかったので、わたしのように若く、世間のことを知らない者にとって、だれが正しく、だれが間違っているのか、確かな結論を出すことは不可能であった。(ジョセフ・スミスー歴史1:8)

ジョセフ・スミスは真理を見出したいと望みました。何が正しく、良いもので、真実なのか分かりたいと望みました。いろいろな宗派のところに行って何をすべきかを知ろうと努めました。そのようにしていたある時、欽定訳聖書のヤコブ書1:5を読んでいました。「あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」その時の経験をジョセフ・スミスは次のように述べています。「この聖句が、このとき、かつて人の心に力を与えたいかなる聖句にも勝って、わたしの心に力強く迫ってきたのであった。それはわたしの心の隅々に大きな力で入り込んでくるように思われた。」(ジョセフ・スミス―歴史1:12)

私の人生の中には知恵が不足していたことが数え切れないほどありました。あるとき自分の抱えた問題で途方にくれていました。私はある問題を克服しようと望んでいて、神に助けを祈りました。そんなある日、末日聖徒イエス・キリスト教会(誤って友人やほかの宗派の人たちから「モルモン教会」と呼ばれる)のファイアサイド(霊的な集会)に出席しました。そこで非常によいお話を聞きました。私が心配していることにそのお話が直接当てはまると感じました。基本的に、話者は自己啓発について語り、自分が抱えた課題の大きさに圧倒されないように一歩一歩進めていかなければならないと説明したのでした。この経験は主が私のことを気に留めておられ、私の必要をご存知であることを示していました。これまでもこれからも私の祈りに答えてくださいます。私たちが答えを探し求めているときに、神は私たちの祈りに答えてくださいます。ジョセフ・スミスはヤコブ1:5の勧めに従い神に祈ろうと決意しました。

1820年の4月の春のある日にジョセフ・スミスはニューヨーク州パルマイラの家の近くにある森の中に入って行きました。そこに行ってひざまずき心の思いを祈りの中で打ち明けました。すると暗闇が襲ってきました。すべての義に敵対する者が彼を妨げて主の助けを求めないようにしようと試みましたが、ジョセフは神に救い出してくれるように叫びました。その時のことをジョセフは次のように記しています。

mormon-joseph-smith-jesusそれが現れるやいなや、わたしはわが身を縛った敵から救い出されたのに気づいた。そして、その光がわたしの上にとどまったとき、わたしは筆紙に尽くしがたい輝きと栄光を持つ二人の御方がわたしの上の空中に立っておられるのを見た。すると、そのうちの御一方わたしに語りかけ、わたしの名を呼び、別の御方を指して、「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」と言われた。(ジョセフ・スミスー歴史1:17)

これはすばらしい出来事でした。私はジョセフ・スミスがそのような経験をしたとき、そこに居合わせたわけではありませんが、それが実際起こったことを知っています。イエス・キリストの宣教師として私はこの話を数多く人々に伝えました。私がジョセフ・スミスの経験をほかの人々に告げたとき、主の御霊を感じ、この経験が実際に起こったことを知りました。心を静めるような平安な気持ちが起こって父なる神とその御子イエス・キリストが実際にジョセフ・スミスに現れたことを知りました。私は聖霊が自分に神とイエス・キリストが賢明な目的があってジョセフに現れたことを証するのを感じてきました。ジョセフはイエス・キリストのどの教会にも加わらないように告げられました。主は述べられました。「彼らは唇をもってわたしに近づくが、その心はわたしから遠く離れている。彼らは人の戒めを教義として教え、神を敬うさまをするけれども神の力を否定している」(ジョセフ・スミスー歴史1:19)ジョセフはキリストの教会を主が地上におられたときに建てられた状態のままで回復するために道具として使われることを告げられました。聖書の中でモーセが預言者として召されたように、ジョセフも預言者として召されました。そして、主の教会がこの地上に完全な形で回復するのを助けました。

このことが実際に起こったことを知ることはとても慰めになります!神が私たちを見捨てず、むしろ反対に私たちのことを非常によく注意してくださるということを知ることは私に平安な気持ちをもたらします。神はその子供たちを導くためにアダムとエバの時代から預言者を召してくださいました。すばらしいことに今日も同じように預言者が召されています。

私はジョセフが小さいころから偉大な信仰と力を持っていたことに感銘します。たとえば幼い時に彼の足に発疹チフスによる炎症が生じ、そのために手術は足の骨を削ることが必要でした。医師はひどい痛みで動くといけないから彼を縛ると告げましたが、ジョセフはお父さんが腕で押さえていてくれれば大丈夫だと言いました。痛みを和らげるようにアルコールを勧められたとき、父親が押さえていてくれれば我慢できると言いました。このような勇気を示したジョセフに驚きます。そのことはまた父なる天の神が私たちが困難な状況にあるときに助け腕に抱えてくださるということを思い出させてくれます。新約聖書には次のように書いてあります。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」(ピリピ4:13)ジョセフ・スミスは生涯を通じてキリストに対する強い信仰を表しました。

moroni-joseph-smith-mormon-216x300森の中での驚くべき経験のあとジョセフ・スミスは主からその後の指示を受けるまで数年間の間待ちました。ある晩、自分の罪や愚かな行いについて赦しを求めているとき部屋に主から使わされた天使が訪れました。天使の名前はモロナイと言い、ジョセフ・スミスに主が彼に託す役割があることを告げました。彼はジョセフに近くの丘に古代の記録が書かれた金の版が隠されていると告げました。その記録には古代アメリカ大陸の文明の歴史が記されているのです。またそれにはイエス・キリストの福音が完全なままで書かれてあり、神のその民になさった業が載せてあるのです。ジョセフ・スミスは主が彼に記録を翻訳し聖書に並ぶイエス・キリストについての証として出版するように願っていることを伝えられました。ジョセフの主に対する忠実さのゆえに、彼は導かれ、啓示を受けて末日聖徒イエス・キリスト教会(一般に、誤って「モルモン教会」と呼ばれる)を少しずつ設立することができました。私はモルモン書を自分でも読んで、その経験からモルモン書に親しむことにより生活の中に平安が起こってくることを感じてきました。そして、そこに書かれているイエス・キリストの教えを信ずるようになり、その教えに沿って生活するようになりました。

ジョセフ・スミスはキリストのような生活を送りました。彼はいつもよりよい人間になろうとして、周りの人を尊敬の念を持って扱いました。完全な人ではありませんでしたがいつもより良くあろうと努力しました。教会の初期の指導者の一人であったデヴィッド・フイットマーはジョセフ・スミスについて次のように述べています。

ある朝ジョセフ・スミスが翻訳を続ける準備をしていましたが、家の中の何かがうまくいっていないようでした。それで彼はその件で困っていました。奥さんのエマが何かをしたのです。オリバーと私は二階に行き、ジョセフもすぐに上ってきて、翻訳を続けました。しかし、彼は何にも手がつきませんでした。一文字さえも翻訳できなかったのです。ジョセフは下に行き、果樹園のほうに出て行き、主に祈り求めました。そして1時間ほども家に戻ってきませんでした。それから、戻ってくるとエマに赦しを求め、それから2階に上ってきました。それからは翻訳は何の問題もなかったかのように順調に進みました。彼は謙遜で忠実でない限りは何の業を行うこともできなかったのです。(大管長の教え:ジョセフ・スミス、116ページ)

この物語はジョセフが確かに神の僕であったことの証です。彼が行ったことは自分のことではありませんでした。主の業でした。彼は自分の方法ではできませんでした。そう試みたとしても無理だったでしょう。主は彼が主の道具としての機能を果たすためにはふさわしいことを要求しました。私はジョセフ・スミスがキリストのような生活を送り主が彼を主の教会を地上に回復するために使われたことに感謝しています。

私たち末日聖徒は救い主イエス・キリストを礼拝しますが、預言者を礼拝の対象にはしません。人の創造以来いつも預言者が存在していました。主はアダム、モーセ、アブラハムのような預言者を召し権威を与えて世界中の人たちが天の父のもとに戻れるように福音を教え救いの儀式を執行しました。私は聖霊の力によってイエス・キリストはジョセフ・スミスに語りかけ、彼を預言者として召し、救い主の教会を地上に回復されたことを知っています。彼はモーセと同じように預言者です。イエス・キリストの教会がその完全な形で回復されたことについて私の心に平安と真実の快い気持ちによって確信を与えられました。私が今日の預言者トーマス・S・モンソン大管長が語るのを聞くと、啓示の力によって語っていることが分かります。彼はイエス・キリストに代わって私たちに語り、もし救い主がここにいらっしゃったら語るであろうことを私たちに告げてくださいます。預言者は私たちの時代に必要な指示や勧告を与えてくださいます。預言者が語るときに救い主の愛を感じます。私はイエス・キリストが生きておられることを知っています。そして、主は私たちのことをご存知であり、私たちに生ける預言者や十二使徒を通して語りかけることを知っています。私はジョセフ・スミスがイエス・キリストの言葉を話したことを知っています。

その他の資料:

どのようにジョセフ・スミスがイエス・キリストの福音の回復の預言者になったかについて末日聖徒イエス・キリスト教会(誤って友達やほかの宗派の人から「モルモン教会」と呼ばれる)の公式サイトで学んでください。