「霊の存在って信じる?」
こんな質問を聞かれたら、ちょっとびっくりするかもしれませんね。でも末日聖徒イエス・キリスト教会には霊の存在を信じる教義があります。これは怪談話ではありません(笑)この教義は、わたしたちに希望を与えてくれることもあります。
末日聖徒が信じている霊の存在
実体がある
一般的に霊というと怖かったり不思議で実体のないものと思うかもしれません。しかし、わたしたちが信じている霊の存在はちょっと違います。なかなか普段目で見ることはできませんが、実は実体があります。教義と聖約にはこのように書かれています。
「実体のない物質というものは存在しない。霊はすべて物質であるが、もっと微細で純粋であり、より清い目によってのみ見分けることができるものである。
わたしたちはそれを見ることができない。しかし、体が清められるとき、それがすべて物質であることが分わかるであろう。」(教義と聖約131:7-8)
いくら霊は物質として存在していると信じていても、身体がないと霊は何もできません。それはまるでただの手袋のようなものです。手袋はそのままだと動きませんが、手が入ると動くことができます。そして、霊が身体を得ることがポイントです。身体を得ることであらゆることが経験できるようになるのです。
完全に成長した大人の姿
では、霊はどんな姿をしているのでしょうか?
モルモン書エテル書3章16節では、主はモロナイに、「自分の霊の体に倣って人を作った」と言われました。今のわたしたちの姿が元々の霊の姿です。しかも、完全に成長した大人の姿をしています。前世で存在していた時もそうでした。
では、小さいうちに亡くなった子供達はどうなるのでしょうか?
幼いまま亡くなった子供達の霊も、前世にいた時と同じ、完全に成長した大人の姿をしています。ただ、身体が成長する中で遭遇するさまざまな出来事を経験することができません。しかし、ジョセフ・F・スミス大管長はこのように話しています。
「天父なる神の知恵と憐れみと摂理により、子供たちが肉において生きることを許されたとすれば享受したであろうすべてが、来世で用意されていることでしょう。(『歴代大管長の教え-ジョセフ・F・スミス』「幼子の救い」p130-132参照)
神様は御自身のすべての子供達を愛しておられます。誰一人祝福を得られないということはありません。しかも、無垢な子供達が亡くなったとしても、彼らが救われる方法がちゃんと用意されています。
霊には個性がある
末日聖徒の信じている教義によると、わたしたちは皆、肉体と呼ばれる身体と霊によって存在しています。「十人十色」という言葉もあるように、今生きている人達はそれぞれ顔や性格が違います。肉体を持たない霊も同じです。わたしたちの今の個性がそのまま霊の個性です。そして、今現在の振舞い、欲求、願望を霊としても持ちます。
もちろん、人の個性は環境や行動などが影響していることもあります。そしてこの世に生まれれる前の選択がすでに、個性に影響を与えています。
「永遠の霊は、前世で行った選択の結果として、この世で肉体を得ます。前世におけるこうした選択は、わたしたちの人格、個性、英知を構成する重要な要素です。」(ジェームズ・J・ハムラ長老「神から授かる恵みの力」『リアホナ』2016年12月号)
3つの種類の霊
末日聖徒が話す霊は1つだけではありません。実は3種類あるんです。
【前世の時の霊】
- 神と一緒にいた
- 天上の会議ですべての霊は神から救いの計画を聞いた
- 前世にいる間も、自分の個性をはぐくみ、霊的な資質を伸ばしていた
霊の状態で今後何が起きるのかをわたしたちは聞きました。そしてその計画に賛成したので、わたしたちはこの地上に生まれてきたのです。
【死後の霊】
- 死んだ後肉体と分かれた霊
- 霊界へ行く
- 福音を知らない人は霊界で福音を受け入れた人から教えを受ける
霊界について、教会のウェブサイトにはこのように書かれています。「霊界とは、待機し、働き、学ぶ場であり、義人にとっては煩いや悲しみから放たれる場所です。」
【サタンについていった霊】
- 天上の会議で救いの計画を受け入れなかった
- 前世で神に背いたので身体を持てない
- 地上を彷徨い、わたしたちを誘惑している
この種類の霊は一般的に悪霊と呼ばれています。ただ、末日聖徒イエス・キリスト教会には悪霊に関する教義があまりありません。ただ、この悪霊から自分を守る方法は、キリストに頼り、福音を生活に取り入れ、戒めを守るということです。降霊術や心霊スポットへ面白がって行くことはあまりお勧めしません。自ら悪霊の影響を受けに行くようなものですから。
経験したくないことですが、もし悪霊に遭遇したらイエス・キリストの御名によって立ち去るように命じることができます。ある人は部屋に悪霊がいると感じたので、そのように言ったらいなくなったそうです。
またある日本人の家族は、家に悪霊が出て悪さをしたので、神権者によって家の奉献式をしてもらいました。すると、その後悪霊による被害がなくなったのです。神権者は神の子供であるわたしたちのために、神に代わって行動することができます。
もちろん、シンプルなお祈りでも大丈夫です。神に呼びかけて、願いを伝え、「イエス・キリストの御名によってお祈りします、アーメン」という言葉で祈りを終えます。キリスト信じて希望を持って祈ることで、きっと心に平安が訪れますよ。
霊の種類についてはこちらの記事も参考にしてください。
霊の訪れ
家族などの身近で愛する人が亡くなった後、その亡くなった霊の影響を生きている人が受けることがあります。ラッセル・M・ネルソン大管長は、死後の生活について自身の祖父の経験を分かち合いました。
ネルソン大管長の祖父が27歳だったころ、ネルソン大管長の曾祖父は亡くなりました。それから3カ月後、亡くなった曾祖父が訪れたと、祖父の日記に書いてありました。
ベッドで寝ている祖父のところに、亡くなった曾祖父が訪れて、このように言いました。
『さて息子よ、少し時間ができたので数分だけお前に会いに行く許可をもらったよ。わたしは元気でいるよ。死んでからほんとうにたくさんやることがあってね。』
亡くなった曾祖父の話によると、彼は亡くなった3日後から、霊界で福音を知らずに亡くなった霊達に福音を教えているというのです。しかも、その数はとても多く、ネルソン大管長の曾祖父はとても忙しくしていました。そして、福音を聞いた多くの霊はそれを受け入れているということでした。
福音を受け入れた霊たちは、神殿で自分たちの儀式が行われることを待っていることもネルソン大管長の祖父は知りました。曾祖父も家族との結び固めの儀式を望んでいました。
霊界でも割り当てられた仕事の合間に、子孫にメッセージを届けに来たのです。それは、福音は真実であること、そして人々が救われるためには福音が必要不可欠であるということでした。
霊界はどこにある?
末日聖徒は霊界を「幕の向こう側」と表現することがあります。
エズラ・タフト・ベンソン大管長はこのように言っています。「この世と次の世を隔てている幕が非常に薄くなることが時々あります。すでに亡くなったわたしたちの愛する人々は、わたしたちから遠く離れた所にいるのではありません。」(『聖徒の道』1972年4月号,155参照)
モーリス・ローリングスという1人の医者は、「亡くなった人は部屋にいる人たちが見えるし、彼らが話すことも聞こえますが、反対に見られたり、声を聞かれたりすることはできません。どうやら、わたしたちはこの現世での生活において霊的な世界に関しては『見えないよう』にされているようです。」(モーリス・ローリングス、『死の扉の彼方』、38ページ)と語っています。
これらの証言や次の経験から、霊界は遠くではく、近くにあるということを知ることができます。
病院に入院していたデイジーは、もうすぐ死ぬことが分かっていました。ある日、彼女の教会の日曜学校の会長がお見舞いに来ました。彼が帰る際、「君はもうすぐ暗い川を越えることになるだろう」と言いました。その言葉に対してデイジーはこう答えたのです。
『川なんてありません。幕も境界線も、この世界ともう一つの世界を隔てるものなんて何もないんです。』」(『沈黙からの帰還』、47-48ページ)
霊界はわたしたちが今生活をしている場所のすぐ側にあります。でもそれはどういうわけか生きている人は見ることができません。しかし、わたしたちが想像している以上に近くにあります。
亡くなった霊のためにできること
ネルソン大管長の祖父が経験した話によると、福音を知らずに亡くなった霊は、福音を知っている人から教えてもらうようです。でも福音を受け入れても霊のままでは儀式を受けることができないですね。なので、末日聖徒イエス・キリスト教会では身代わりの儀式というものがあります。自分たちの先祖のために、神殿と呼ばれる特別な建物で代わりに儀式を受けることができます。そして、子孫は亡くなった先祖と永遠に結ばれるように、家族の結び固めの儀式も受けることができます。
また、身代わりの儀式のほかにも亡くなった霊のためにできることがあります。それは、その霊について知ることです。生きている時にどんなことをしたのか、どんな人だったのかを、その人を知っている知人や親戚などから話を聞いたりします。アルバムや日記などの記録にしてもいいですね。
スクラップブッキングはアメリカのユタ州で始まったと言われています。亡くなった先祖や家族との絆を表現し記録する1つの方法として、特別なアルバムを作る末日聖徒が多くいます。色とりどりの台紙やリボンなどを使って写真を飾ったり、思い出やメッセージが加えられたスクラップブックはきっと家族の宝物になりますよ。
もちろんお墓参りに行き、そのお墓を掃除したりお花を供えたりすることも亡くなった霊のためにできることです。その際、墓石に掘られた故人の情報を確認してみてください。お墓によっては1つのお墓に複数の人が葬られていることもあります。いつ生まれて亡くなったのか、その頃の時代背景を調べることも、亡くなった霊について知ったり想像することができます。
亡くなった方を知ることで、もし生きている間に会ったことがなくても、その人の存在を身近に感じることができるでしょう。そして、自分のルーツも知ることができます。亡くなった霊に思いを向けて、できることを行うことで、実は自分が一番祝福を受けていると知ることでしょう。神様が自分も先祖も愛しておられることを感じることができると思います。
霊は再び復活する
亡くなった霊は、霊界へ行き復活までの時間を過ごします。そして、イエス・キリストが十字架に掛けられた後3日目に復活されたように、すべての霊は復活し、もう病気も死ぬこともない完全な身体を得ます。そして、実はもう既に復活をした霊も存在しています。
ジョセフ・スミスに金版を与えた天使モロナイは、復活をした身体を得ていました。霊たちはいずれ、復活し完全な身体を手に入れます。これが可能なのはイエス・キリストが復活したからです。キリストが十字架に掛かって3日目に復活したことによって、この地上で生きて亡くなった人達は全員、善人も悪人も復活します。
「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(コリント人への手紙15章20-22節)
死んで終わりではなく、この世に生まれて亡くなった人は皆、復活して完全な身体を得ます。そして、次の世のために備えます。復活することは、神様が用意された救いの計画の大切な部分の1つです。
霊の存在は怖いものばかりではありません。むしろ、皆最初は霊でした。そして霊は成長することができます。わたしたちは死んで終わりではなく、霊の状態のままいるのでもありません。そして最後は完全な身体を得ることができます。末日聖徒が信じる霊の存在についての感想を、ぜひコメントで教えてくださいね。
こちらの動画も併せてご覧ください。