飲酒運転事故で、家族の半分を失ったクリス・ウィリアムズは人生最大の決断を下しました。それは赦すことでした。そうすることで彼は、自分や家族、そして運転手の少年や地域の人々に大きな影響を与えました。これはクリスの物語です。新作映画「ジャストレットゴー」(英語)でも彼の経験が描かれています。デゼレトブックストアーの書店やオンラインショップ(英語)においてDVDを入手することができます。

2007年2月9日、私は妻と下の3人の子供達と一緒に、デザートを食べに出かけました。ちょうどそのとき長男は友達と出かけていました。「一旦停止で長めに止まる」「別の道を行く」「外出するべきではない」。このような外出の計画を変更するような促しは受けませんでした。それなのに瞬時にして私たちの人生は永遠に変わってしまいました。

ミシェルと私は、目の前に広がる丘の上から、ヘッドライトが下りてくるのを見ました。信じられないほど速いスピードでこちらに向かっていて、すでに中央分離帯に侵入していました。このままでは私たちの車と正面衝突してしまいます。「クリス!」と妻が叫びました。私は避けようとしましたが、無理でした。車は私たちの乗っていた車の横腹にすざましい勢いで追突してました。私たちは坂を下っていたのですが、衝動で後ろに引き上げられました。金属同士がぶつかる不気味な鋭い音がしました。一瞬のうちに起きた衝突が大惨事を起こしたのです。

絶望の中で聞こえた声

直後に静寂が広がりました。車内にいる誰もが物音一つ立てません。妻のミシェルは助手席で体を丸めて横たわっていました。顔は髪で覆われていて見えませんでした。私はすぐにミシェルがもうこの世にはいないことを悟りました。ショックで混乱しながらも、何が起きたのか理解しようと必死でした。それでも彼女の死をはっきりと明確に悟っていたのです。それは考えなくても理解できる悲惨な現実でした。妻はもうこの世にはいないのです。わたしはとっさに後部座席に座っている子供達のことを考えました。彼らは大丈夫なのでしょうか。激痛に耐えながらも、首を横に向けました。子供達の様子を見るために必死でもがきました。ベンはミシェルの背後に座っていましたが、内側にへこんだ車のドアに頭をもたげていました。わたしはさっきと同じように、瞬時でベンの安否を把握することが出来ました。彼も死んでいたのです。ただ分かったのです。わたしは後部座席の真ん中に座っていたアナを見ようとしてもがきました。彼女も真っ直ぐに座っていましたが、少し前方に傾いていました。髪の毛がアナの顔を覆っていて、彼女はただ眠っているかのように見えました。しかしホッとする間もなく、アナは帰らぬ人なのだとわたしは悟ったのでした。わたしは家族の死の宣告を受けたのですが、逆にサムの姿は見えず物音もしませんでしたが、彼はこの状態を乗り越えられると確信していました。体の向きを変える時に、ミシェルを見ると彼女の胸がちょうど沈んだところでした。彼女は死んでいたのですが、最後の息を吐き出したのです。私はまだ姿が見えない我が子のことを考えました。

わたしの体験していることは現実離れしていました。もう耐えることはできませんでした。顔を前に戻しながら目をつぶり、死ぬのを待ちました。意識が無くなるように願いました。いっそ霊が肉体から離れるように願いました。体と霊がボロボロになり、体の奥底から苦悩と苦痛のうめき声が湧き上がってきました。

それは途方にくれることや、身体的な痛みよりもはるかに激しい痛みでした。痛みを止めようと必死になりながらも、目を開けて運転席のドアの向こうを見ました。そこには私たちに衝突してひっくり返った車が、15メートルほど離れたところに転がっていました。突如として、車内は平安と静寂に満ちて、わたしの魂と心を包み込んでくれました。

誰が追突してきたのかは分かりませんでした。ましてや同乗者の安否を案ずることや、中央分離帯を越えて追突した理由を考えることもしませんでした。ただ無言でその車を眺めていました。心は落ち着き、平安を感じました。そうしていると、自分以外の声が、まるで隣の席に座っているかのようにはっきりと聞こえました。その聖霊の導きは、穏やかな囁く声ではありませんでした。静かな小さい声でもありませんでした。それは率直な力強い声で語りかけました。「ただ赦しなさい!」わたしは転倒した車に目を向けました。自分以外の大きな力が、わたしの潰れた心を慰め力づけてくれるのを感じました。わたしは為すべきことをはっきり悟りました。この言葉の意味もはっきりと理解していました。誰が、どうしてこのような事故を起こしたのかは、わたしが思い悩むべき重荷ではないのです。わたしは執着してはならないと、はっきり告げられたのです。

運転席に座ったまま決意しました。20年連れ添った妻のミシェルとまだ生まれぬ子ウィリアム、そして11歳の息子ベンジャミン、そして9歳の娘アナを殺した運転手を赦すことを。全て残らず赦すことを。わたしは自分の重荷を背負ってくださる方を知っていました。その御方は全人類の苦しみを、魂が押しつぶされるほどの苦しみをすでに経験されたのです。わたしの苦しみはそれに比べれば小さなものでしたが、主のおかげで苦しみを永遠に背負わなくても良いのです。一瞬の間に経験した憐れみと啓示のおかげで、わたしは救い主が生きていて最も必要なときにそばにいて下さることを知ったのです。

わたしが病院の担架に横たわっていると、友人であるステーク会長のジェームス・ウッドが事故を起こしたのは17歳の少年で、飲酒運転だったと教えてくれました。「彼は大丈夫ですか?」とわたしは尋ねました。ジェームスは、少年は無傷だと告げました。そしてわたしはジェームスに少年の名前を神殿の祈りのリストに加えるように頼みました。

担架に横たわりながら、わたしはその少年に対する救い主の愛を感じることが出来ました。それは心の変化を伴う清めの経験でした。わたしはその少年が誰か知りませんでしたが、それはどうでも良いことでした。ただ救い主がわたしを助けてくださったことだけを考えていました。主はわたしの家族や地域の人たちを慰め、結束することを望まれていると感じました。主はわたしたちが苦痛に押し潰されることを望まれないと感じました。他の友達もわたしが寝ているそばに来てくれました。わたしは彼らを真摯な眼差しで見つめ言いました。「わたしたちは彼を赦すべきだよ。」わたしは怒りを感じませんでした。仕返しや正義は求めていませんでした。事故が起きた原因を問いただすこともありませんでした。救い主が話されることを話し、主がわたしにお示しになった憐れみを示したいと心から願いました。

 

赦しの奇跡を経験したウィリアムス家族

最初の数日を生き抜く

翌日にレントゲン検査をしたところ、右の肋骨を骨折していることが分かりました。内出血や内臓器官の損傷はありませんでした。わたしたち家族を襲った惨事は壮絶でしたが、わたしはただの肋骨の骨折で済んだのですか?そのように感じました。 幸いにして被害が最小限であったことに驚きながらも、わたしは自分が奇跡的に救われたと感じていました。わたしや14歳のマイケル、そして6歳のサムは一緒に残されました。ミシェルはベンとアナと一緒にいるのです。わたしはすぐにでも集中治療室から駆け出したくなりました。これ以上マイケルとサムから離れていることはできませんでした。

集中治療室の中のサムが横たわるベットに連れて行かれました。彼の状態を見てとてもショックを受けました。あの時、わたしはサムが無事に乗り越えられると感じました。それにも関わらずサムは重体だったのです。脳損傷があり、回復は見られませんでした。わたしは父、義父と一緒にサムに癒しの祝福を与えました。サムの頭に手を置いた時に平安に包まれました。彼が癒されると宣言された時には確信を感じました。わたしは彼が完全に回復するように祝福しました。それは単に自分の願いを述べたのではありません。救い主がわたしに語るように望まれている事が明確に分かっていました。救い主がもしその場にいらっしゃったら、わたしに話すように望まれることを語れたと思いました。その晩は眠れない夜を過ごしました。病院の廊下を行ったり来たりしてから、マイケルとサムの様子を見に行きました。治療室に入ったときには午前8時でした。マイケルは起きていました。彼に教会に行きたいか尋ねると、マイケルは「うん、本当に教会に行きたいんだ。」と答えました。その時、彼がいつも出席するワードに出席したがっていることが分かりました。教会は午前9時に始まります。教会は家のすぐそばにある教会で、病院の中の教会の事を言っているのではありません。マイケルは正しいと思いました。わたしたちは近所の人や友達と教会に出席すべきだと思いました。

わたしたちが到着したときすでに集会は始まっていました。いつもビショップとして壇上に座るのですが、そのとき壇上に上がろうとは思いませんでした。礼拝堂に入るドアが開いていたので、その前で立ち止まりました。マイケルとわたしを見た人たちが、周りの人に合図し、やがて全会衆がわたしたちを見ているようでした。最前列には空席があると知っていたので、素早く後方席を去り、廊下を通って礼拝堂の前の入り口から入ろうとしました。わずかな隙間から中を覗くと、壇上に座っている指導者全員がわたしを見ていました。ジェームス・ウッドがそこにいました。彼はわたしに壇上に上がり、彼の隣に座るように合図しました。ドアを開けて礼拝堂に入ったときに力強い御霊に圧倒されました。

ジェームスの横に座り、会衆を見ると、マイケルが友達全員に囲まれて真ん中の席に座っているのが見えました。マイケルは試練を乗り越えられるとわたしには分かりました。

集会が終わりに近づくうちに、会衆に自分が経験した恵みと憐れみについて話したいと思いました。わたしは立ち上がり、幸福の計画について個人的な証を述べました。そしてミシェルとわたしは権能を受けた者により永遠の結婚をしたので、いつの日か彼女と再び暮らせると話しました。

 

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この記事はクリス・ウィリアムズによって書かれ、LDSLivingに投稿されたものを前田美佳子が翻訳しました。