みなさんこんにちは。神への信仰へようこそ。前回の救いの計画の記事に続いて、今回はどのように神様の所に戻れるのかご紹介します。もしまだ前編「生まれる前はどこにいたの?」を読んでいなかったら、まずそちらを読んでください。前編を読んでいなかったら、この記事を読んでもよく分からないと思います。そして、読み終わったらまたこっちに戻ってきてくださいね。
すでに読んだ方、準備はいいですか?はい!それでは後編スタートです!
前編では、前世の生活について、そして神様が立てられた救いの計画でのイエス・キリストの重要な使命について取り上げました。天のお父様の所に戻れなくする身体の死や、魂とも言われている霊の死は、キリストを通してしか乗り越えることができません。この記事ではイエス・キリストの福音について、また人生の目的について、そして死んだ後にどうなるかお話します。
イエス・キリストの福音は、基本的にキリストの教えと贖いをベースにしています。主の福音に沿って生活することで、永遠の命という贈り物を受け継ぐための備えをすることができます。福音をもっと分かりやすくするなら、5つの項目に分けられます。
わたしたちはイエス・キリストを信じる信仰を持ち、自分の信仰を示すために罪を悔い改め、キリストの模範に従ってバプテスマを受け、按手による聖霊の賜物を受ける必要があります。そして諦めないことです。努力し続け、日々悔い改め、生涯を通してキリストに従います。これを全部ひっくるめて「最後まで耐え忍ぶ」と言います。要するに、学ぶことや生きること、そしてイエス・キリストの福音に幸せを見つけることが、人生の目的です。
人生の目的を果たした後、わたしたちはみんな死にます。ここからが面白いところで、意見が分かれるところです。死んだ後はどうなるのでしょうか?末日聖徒はこのように考えています。亡くなった後、火葬されお墓にお骨を納めます。霊は、霊の待合室、つまり霊界に行きます。 それは別の世界にあるわけではなく、この世と一緒に存在しているけど見えないだけです。つまり、異次元に存在していると言えるでしょう。さて、人々は待合室で何を待っているのでしょうか?それは復活と最後の裁きです。
霊界は休憩所みたいな場所なので、天国や地獄とは違います。でも悪人が行く霊の牢屋と、正しい人が行く霊の楽園に分かれています。キリストの贖いを拒む悪い人たちは、霊の牢屋で自分の罪のために苦しみます。なのでここは仮の地獄とも言えます。
イエス・キリストの福音によると、人はバプテスマを受ける必要があります。でもイエス・キリストについて聞かずに亡くなった何十億もの人はどうなるのでしょうか?「イエスは答えて言われた、『よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない 』(ヨハネによる福音書3章5節)」このような人たちが直接地獄に送られるのは公正なことでしょうか?福音を聞かずに亡くなった人たちは、生きている間に福音を受け入れた霊たちから霊界で福音を聞く機会があると、末日聖徒は信じています。亡くなった先祖は霊界で福音を聞き、それを受け入れるか拒むかを選択します。そして末日聖徒の神殿で、生きている私たちが彼らのために身代わりのバプテスマを受けることができます。それってとっても素晴らしいことだと思いませんか?
とにかくこの世界は最終的に、黙示録に書かれているようにひどい状態になり、それからキリストが再び地上に来られます。それは末日聖徒が福千年と呼んでいる時代の幕開けです。それについて黙示録20章に書かれていますが、話し出すと動画一本分になってしまうので、今回はそれには触れずに復活について話したいと思います。
今まで地上に生まれた人たちは、善い人も悪い人も、みんなが復活します。「また、正しい者も正しくない者も、やがてよみがえるとの希望を、神を仰いでいただいているものです。この希望は、彼ら自身も持っているのです。」(使徒行伝24章15節) 前回の記事の中で、身体の大切さについてお話したことを覚えていますか?死んだ後に、私たちはもう一度身体をもらいます。その時は、キリストの身体と同じように不死不滅の完全な身体をもらいます。「霊は体に回復され、体は霊に回復される。そして、手足と間接はことごとくその体に回復される。まことに、髪の毛一筋さえも失われることなく、すべてのものが本来の完全な作りに回復される。」(アルマ書40章23節) みなさんがもし筋ジストロフィーを患っていても、復活したら病気から解放されます。糖尿病だったとしても、それもなくなります。あなたや愛する人が、がんを患っていたとしても、そのことについてもう心配することはないのです。
わたしたちが心配しないといけないのは、その次に行われる最後の裁きです。「また、人々が自分の行いに応じて裁かれること、そして現世での彼らの行いが善く、心の望みも良かったならば、彼らが終わりの日に善なるものに回復されることは、神の正義にとって必要である。」 (モルモン書アルマ書41章3節)裁きの時には、自分の選択や、行い、思い、意思、状況、性質、この世で受ける試練など全ての事柄が考慮されます。
キリスト教のどの宗派も、裁きを受けた後に天国か地獄のどちらかに行くことを信じています。末日聖徒の教義は少し違って、もっと憐れみ深いと思います。わたしたちは天国には3つの王国があることを信じています。天のお父様とイエス・キリストは日の栄えに住んでおられます。この王国には、キリストとその福音を受け入れた善い人たちが行きます。「これらは、その身体が日の栄えの状態にある者である。その栄光は太陽の栄光、すなわちすべての者の至高者なる神の栄光であり、その栄光は大空の太陽によって象徴されると記されている。」(教義と聖約76章70節)
次は月の栄えです。「さらにまた、わたしたちは月の栄えの世界を見た。見よ、見よ、これらの者は月の栄えの世界に属する者であり、その栄光は、月の栄光が大空の太陽と違っているように、御父の完全を受けた長子の教会の栄光とは違っている。」(教義と聖約76章:71節) 高潔でありながら、「人間の悪巧みによって目をくらまされた者」たち、つまり根はよくても流されやすい人たちがここに行くことになります。また末日聖徒でも、生きている間に「イエスの証に雄々しくない者」たちが月の栄えに行きます。
最後は、星の栄えです。「さらにまた、わたしたちは星の栄えの世界の栄光を見た。その栄光は、星の栄光が大空の月の栄光と違っているように、さらに劣った世界の栄光である。」(教義と聖約76章:81節) キリストを拒み、生きている間に悪い行いを選んだ人たちがここに行きます。ここは炎や硫黄の地獄とは違いますが、自分の可能性を発揮できなかった人や、善よりも悪を選んだ人が行く地獄のような場所です。そこには苦しみがありますが、それでも栄光のある王国の一つです。
そしてサタンや彼に従った霊が行く、外の暗闇と呼ばれる場所もありますが、ここに関しては詳しく分かりません。そして「滅びの子」と呼ばれる少数の人たちがそこに行きますが、それはあなたやわたし、普通の人たちには関係がないことなので、触れないでおきます。
要するに、日の栄えを目指して励んでいこうということです。そこに神様がいらっしゃいます。その場所で家族と永遠に一緒に住むことができます。そこは私たちが神様の元で永遠に学び続けることができる場所です。
これが救いの計画です!本当に素晴らしい完全な計画です。正義、憐れみ、美しさに溢れています。わたしはこの教えが真実だと信じています。
さらに詳しく知りたい方へ
末日聖徒の預言者を通して、死後の世界に関する素晴らしい2つの示現が与えられています。1つ目は、ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンに与えらていて、その場にはほかの人たちも同席していました。その示現は、教義と聖約76章に記録されています。ジョセフとシドニーは、キリストに会いました。その後、第一コリント人の手紙15章40~42節に簡単に触れられている天の王国も見ました。日の栄えの王国の人たちは、神様と実際に交わることができます。日の栄えには、三つの位があります。最高の位に就いた人たちは、家族や神様と永遠に固く結ばれます。王国の栄光は、太陽に例えられています。
次の王国は、ダビデの記録にもあるように、一般的な良い人たちが住む場所です。この王国の栄光は、月に例えられます。キリストは、そこには住みませんが、そこに住む人たちを教え導かれます。日の栄えに住む人たちが、月の栄えの王国の人たちを教え導きます。
位が一番低い王国は、星の栄えの王国です。悪事を行い、悔い改めない人たちが、ここに住みます。歴史に名を遺した悪者たちのほとんどは、この王国に行くのではないでしょうか。「これらは、キリストがすべての敵をその足の下に従わせて、その業を完成される時の満ちるまで、地獄に投げ落とされて、全能の神の激しい怒りを受ける者である」(教義と聖約76章106節)。彼らは一時的に苦しみますが、いずれはその王国を受け継ぎます。ジョセフ・スミスはこの王国の栄光は、「すべての理解を超えている」と記録しました。そうだとすると、位の高い王国は想像を遥かに超える輝きに満ちているはずです。月の栄えの王国の使者たちが、この王国の人々を教え導きます。
末日聖徒は、永遠の地獄のことを外の暗闇と呼んでいます。そこには滅びの子が住みます。サタンや前世でサタンに従った人たち、そしてこの世で赦されない罪を犯した人がそこに行きます。そのような罪は「聖霊を否定する罪」と呼ばれます。それはキリストに対する確かな知識を得たり、キリストに会ったりした後に、キリストを否定する罪のことを言い表します。
初期の末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の何人かは、この示現や、それを記録した聖句が気に入りませんでした。罪人や福音を聞いたことがない人たちに対してあまりにも寛大すぎると感じたのです。でもこの教えは、全ての人が天国へ行くという万人救済論者は別として、全てのキリスト教宗派の教えを1つにまとめていると思います。
2つ目の示現は、ジョセフ・F・スミス大管長が亡くなる前に受けた示現です。スミス大管長は、生きている間に多くの大切なものを失いました。彼は家族を何人も亡くしました。そして第一次世界大戦や感染症で何百万人もの命が失われるのを目の当たりにしました。教義と聖約138章の中には、霊界のこと、そしてキリストが墓の中に居た三日間に霊界で教え導かれたことが書かれてあり、全ての人に希望を与えてくれます。その示現が与えらた時、スミス大管長はペテロの第一の手紙第3章と4章について深く考え、こう思いました。「死んだ後、愛する人たちとまた会えるのだろうか?」示現の答えは、間違いなく会える、というものでした。
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