今日はイスラエルとパレスチナの紛争について話しますが、その前に伝えておきたいことがあります。
- これは論争の的となる問題ですが、この件に関して、神への信仰、そして末日聖徒イエス・キリスト教会はどちらの味方でもありません。どちらの言い分も理解できます。でも、どちらの選択も平和的ではないと思います。
- これは短い動画なので、この複雑な紛争のすべてをカバーすることはできません。YouTubeの概要欄にあるリンクをチェックして、足りないところを埋めてもらえたらと思います。では始めましょう。
古代のユダヤ人
古代からパレスチナ地域にはユダヤ人が住んでいましたが、何世紀にもわたって多くのユダヤ人が世界の他の地域に散らばっていきました。
しかし、第一次世界大戦の数十年前、ユダヤ人の間で 「シオニズム 」と呼ばれる運動が始まります。シオニズムとは、ユダヤ人が先祖伝来の祖国イスラエルに戻り、独立したユダヤ人国家を建国しようというものでした。
ユダヤ人が最後に独立国家となったのは、紀元前167年のマカベアの反乱の後のことです。第一次世界大戦までに、何万人ものユダヤ人がパレスチナ地域に移住しました。その頃まで、パレスチナ地域はオスマン帝国の一部でしたが、1917年の戦争中にイギリスが支配権を握りました。
祖国への帰還と占領
同年、イギリスはユダヤ人が歓喜する発表をしました。 バルフォア宣言です。
それは、「パレスチナにユダヤ人のための民族の故郷を建設する」ことを支持するものでした。しかし、ユダヤ人はだれもいない土地に移住したわけではありません。オスマン帝国支配下のパレスチナには、数百年前からイスラム教徒のアラブ人が多く住んでいました。
ユダヤ人はパレスチナへの移住を先祖伝来の祖国への帰還とみなしました。しかし、アラブ人から見れば、ユダヤ人が押し寄せ、アラブの祖国を支配したんです。
そこでアラブの指導者たちは、ユダヤ人の独立国家に反対し、アラブの独立国家建国を目指しました。
世界大戦からのユダヤ人の増加
戦後、国際連盟は、国民が自力で統治できるようになるまで、イギリスがパレスチナを支配し続けることを義務づけました。さらに連盟は、パレスチナ内にユダヤ人のための民族の故郷を作るという目標を支持しました。
その後もユダヤ人のパレスチナ移住は続き、第二次世界大戦ではヨーロッパのナチズムから逃れてきたユダヤ人の移住者はさらに増加しました。ユダヤ人とアラブ人の間の緊張はエスカレートし、長年にわたってさまざまな衝突が起こりました。
イギリスはユダヤ人の移民を制限することでアラブ人を満足させようとしましたが、ユダヤ人はイギリスへの怒りを募らせ、不法移民を大量に増やす結果になりました。
イギリスの委任統治は1948年に終了しましたが、イギリスが撤退した後、パレスチナはどうなったのでしょうか。イギリスはその決定を、設立されたばかりの国連に委ねました。
戦争への発展
1947年末、国連はパレスチナの土地を分割し、ある土地は独立したユダヤ人国家に、ある土地は独立したアラブ人国家に与え、エルサレムを国際区域とすることを決定しました。それは「2国家解決」でした。ユダヤ人指導者たちはこの計画を受け入れました。
アラブの指導者たちは、入植したユダヤ人に、自分たちの土地を与えることは不公平だと感じ、受け入れませんでした。それでも国連決議181号は可決されました。この決議案は直ちにユダヤ人とアラブ人の内戦を引き起こし、イギリスはほとんど何もせず争いを放置しました。
1948年5月中旬、イギリスのパレスチナ委任統治が終了しました。同時に、ユダヤ人指導者たちは、国連から割り当てられた土地で暫定的に構成されたイスラエルを独立国家と宣言しました。
その結果、周辺のアラブ諸国がイスラエルに宣戦布告し、内戦は国際戦争へと拡大しました。イスラエルは勝利し、国連から割り当てられた土地に加えて、西エルサレムとアラブ国家に割り当てられていた土地の半分以上を手に入れました。
ヨルダンはヨルダン川西岸地区を、エジプトはガザ地区を支配するようになりました。そして1967年、イスラエルと周辺のアラブ諸国との間で第三次中東戦争が勃発しました。
たった6日で終わったことから、六日間戦争とも言われます。再び戦いに勝利したイスラエルは、シナイ半島、ガザ地区、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、東エルサレムを支配下に置きました。
オスロ合意
1979年、イスラエルとエジプトは和平条約に合意しました。エジプトはアラブ諸国として初めて公式にイスラエルを国として承認し、イスラエルはシナイ半島を返還しましたが、ガザ地区の支配は継続しました。
2005年、イスラエルはガザ地区からすべての国民と軍を撤退させましたが、ガザ地区の国境と空域は支配下におき続けました。そして、ガザ地区はハマスとして知られるパレスチナ政党の支配下となりました。
ハマスをテロ組織として認識している国もあれば、そうでない国もあります。
一方、六日間戦争後、イスラエル占領地でありながらアラブ人が居住するヨルダン川西岸で、イスラエル入植地がどんどん出現し、ユダヤ人とアラブ人の間の緊張は高まり続けました。こうした入植地は国際法に反すると考える国や組織もあります。
イスラエルはこれに反対しています。1995年のオスロ合意で、ヨルダン川西岸地区はA、B、C地区に分割されました。
現在、ハマスのライバル政党であるファタハが支配するパレスチナ自治政府がA地区を、パレスチナ自治政府とイスラエルがB地区を、そしてイスラエルがC地区を支配しています。とても複雑な地図になってます。
そしてその真ん中にあるのが、非常に重要な都市、エルサレムです。国連の当初の計画では、エルサレムは誰にも属さないということでした。
しかしその後、イスラエルは1948年に西エルサレムを占領して事実上併合し、その後に起こった6日間戦争後に東エルサレムを占領しました。イスラエルはエルサレム全体を首都と主張しました。
もちろん、これにはパレスチナ人が異議を唱えています。
それぞれの正義と平和
イスラエルとパレスチナの紛争には、数えられないほど多くの要因が影響していると思います。戦争や度重なる衝突、何十万人もの難民、パレスチナの反乱や追放、そしてイスラエルによる強引な監視。
両方の思いを聞くと、「あなたたちがああしたから、私たちはこうした」「でも、あなたがこうしたから、私たちはああしたんだ」等々。このような、終わりの見えないサイクルになってしまっています。
この問題には、多くの歴史とたくさんのずれが潜んでいます。そして、イスラエル人全員がユダヤ人であるわけではなく、パレスチナ人全員がイスラム教徒であるわけでもないことにも注目して欲しいと思います。
宗教はこの紛争に影響を与える多くの要因のひとつではありますが、なんだか「誰が何を支配する権利を持っているか」ということの方が重要なように見えます。そして、どちらの側にも善人と悪人の両方がいます。
2022年4月の総大会で、ネルソン大管長はこのように言いました。
「…わたしたちは世界中のあらゆる場所にいる人々に、困っている人々のために祈り、苦しんでいる人々を助けるためにできることを行い、いかなる大きな紛争をも終わらせるために主の助けを求めるよう呼びかけます…主の福音は平和の福音です。」
この勧めに従って、祈ろうと思います。
イスラエルとパレスチナについてもっと知りたい方は、YouTubeの概要欄のリンクをチェックしてください。