1847年7月24日、ブリガム・ヤング(末日聖徒イエス・キリスト教会の二代目大管長)は、最初の開拓者のグループと一緒に、宗教的迫害から避難するために、ユタ州のソルトレークバレーに到着しました。この開拓者たちはイリノイ州ノーブーにあった家を手放し、アメリカの平原を横切り、ロッキー山脈を越えてユタにたどり着いたのです。

この旅は非常に困難でした。多くの人が病に倒れ、ひどい冬の時期に亡くなりました。しかしユタにたどり着いた時、荒涼とした谷の光景は人々に希望を与えました。その年の終わり、2000人近い末日聖徒はソルトレークバレーに定住しました。この歴史的な出来事は、現代の教会員たちにとっても非常に意義深く感動的な話となっています。

開拓者記念日

現在ではユタ州を中心に開拓者たちがユタ州に到着した日を記念して、毎年お祭りなどのイベントが催されています。現代の教会員はそのイベントを楽しむだけでなく、当時の開拓者たちの信仰について考える必要があります

画像:Church News

大管長会の一人であるダリン・H・オークス長老はこのように話しています。

開拓者の最高の特質は信仰でした 。彼らは神への信仰をもとに、 開拓者と呼ばれる人ならだれもが行うことを行いました。未知の世界へと進んで行ったのです 。新たな宗教、新たな土地、そして、新たな生活。指導者と互いへの信頼を基盤に、彼らは途方もない妨害にも堅く立って揺らぐことはありませんでした。指導者が「まさにこの地である」と言ったとき、彼らは信頼を示し、そこ にとどまりました。ほかの指導者が「こう行いなさい」と言ったときも、彼らは信仰をもって従いました。」
                                   『開拓者に倣う』1997年10月 より

170年経っても、開拓者の模範はわたしたちを教えている

画像:末日聖徒イエス・キリスト教会より『Pioneers burying a baby』

トーマス・S・モンソン大管長はかつてこう教えました。

「ノーブーからソルトレーク・シティー まで、たどった道の至る所にセージブラシと石で作った墓が並びました。一部の開拓者たちはそのような犠牲を払ったのでした。彼らの肉体は安らかに眠っていますが、その名はいつまでも消えることがありません。

疲れ切った牛の歩みは遅く,幌馬車の車輪はきしみ、勇敢な男たちも苦しみながら進み、戦いの太鼓が鳴り響き、 コヨーテの遠ぼえが聞こえました。それでも開拓者たちは 信仰に鼓舞されながら、また困難な状況下で前進を強いられながら、旅を続けました。彼らはよく次の歌を歌いました。

恐れず来たれ、聖徒 

進み行けよ 

その旅は辛くとも 

恵みあらん…… 

すべては善し

                         『世界は現代の預言者を必要としています』2013年7月

開拓者の受け継ぎの一部になる

ゴードン・B・ヒンクレー大管長は次のように話しました。

「わたしたちにはこのようにすば らしい受け継ぎがあるのですから、必ず最善を尽くすことができます。先人たちもわたしたちにそれを期待しているのです。わたしたちは主から命じられていることがあります。」
                                     『信仰に忠実に』1997年4月

画像:末日聖徒イエス・キリスト教会ホームページより

M・ラッセル・バラード長老は、わたしたちは現代の開拓者だと教えました。

「わたしたちは彼らが信じたように信じ、彼らが働いたように働き、彼らが奉仕したように奉仕する必要があります。そして、彼らが克服したように克服する必要があります

主は手車に荷物を詰め込むようには求められませんが、信仰を強化するように求められます。大陸を歩いて横断するようには求められませんが、道路を歩いて渡り、隣人を訪問するように求められます。この世のすべての財産を神殿建設のために差し出すようには求められませんが、現代の生活に伴う様々なプレッシャーに負けることなく、わたしたちの持てる手段と時間を惜しみなく使って神殿を建設し続け、すでに建てられた神殿に定期的に参入するように求められます。殉教者として命を捨てるようには求められませんが、キリストの弟子として生きるように求められます。

兄弟姉妹、今はすばらしい時代であり、これまでの世代の末日聖徒の特質であった心からの献身という豊かな伝統を維持し続けられるかどうかは、わたしたちに懸かっています。」

                                  『神の真理は出で立ち』2008年10月

参考:masfe.org