愛する預言者の101歳の誕生日を祝うために、ネルソン大管長の101年のエピソードをご紹介します!

3歳の男児
3歳のネルソン大管長
画像:LDSLiving

幼少期

  1. およそ4600kgで生まれました
  2. 子どもの頃、家族はあまり教会へ行っていませんでした
  3. 子どもの頃、レバーが嫌いで、ポケットに隠して登校の途中に空き地に捨てていました
  4. デゼレット・ブックへ路面電車で行くことで、教会について学びました
  5. 10代の頃、家にあった両親のお酒の瓶をすべて割り、地下室の排水口に流しました
  6. 姉妹が2人、兄弟が一人います
  7. 大恐慌の時代に育ちました
  8. 小学校の鼓笛隊で活動していました
  9. 高校1年生の時に、生徒会副会長に選ばれました
  10. 大恐慌の最中、アイバー・ジョンソン社の自転車が贈られました。今でも所有しており、孫たちがユタ州のミッドウェイの自宅に遊びに来るとその自転車で遊びます
  11. 16歳の時にバプテスマを受けました

教育

家族写真
画像:LDSLiving
  1. 小学校5年生を飛び級しました
  2. 学士号と修士号を同時に学び、1947年22歳の時に両方を取得しました
  3. 博士号取得から外科医として給料を得るまでに12年半かかりました
  4. ハーバード大学で外科助手として勤務しました
  5. 研修医時代の月収はわずか15ドルでした

結婚と家族

ウエディングケーキとネルソン夫妻
1945年8月31日ウエディングケーキとネルソン大管長と妻のダンツェル
画像:ネルソン家族
  1. ユタ大学在学時に劇に出演したとき、最初の妻ダンツェル・ホワイトと出会いました
  2. 妻のダンツェルにプロポーズしたのは彼女の家の庭でした
    結婚式はソルトレーク神殿で行われました
  3. スペンサー・W・キンボール大管長に中国での伝道に備えるよう勧められた後、妻ダンツェルと共に中国語を学びました
  4. 妻ダンツェルとの間に9人の娘と1人の息子、合わせて10人の子供がいました
  5. 2005年2月12日、およそ60年の結婚生活の後、妻のダンツェルに別れを告げました
  6. 2006年4月6日、ウェンディ・ワトソンと結婚しました
  7. モザンビークで教会指導者を訪問中、ネルソン大管長とウェンディは銃を突きつけられました。しかし、ネルソン大管長の頭に向けられた銃は不発に終わり、一行は全員無事でした

医学の経歴

手術中のラッセル・M・ネルソン大管長
手術中のラッセル・M・ネルソン大管長
画像:ネルソン家族
  1. 人工心肺装置の開発に貢献しました
  2. 世界中から少なくとも75人の心臓血管外科の研修医を指導しました
  3. 70本以上の査読付き医学論文を執筆しました
  4. 生涯でおよそ7,000件の手術を行いました
  5. 朝鮮戦争中に陸軍に志願し、陸軍医療部隊に所属しました
  6. 陸軍では大尉の階級でした
  7. 31歳の1955年11月9日、ユタ州で初めての開心術を行いました
  8. 研修医のとき、外科医が誤って感染した細胞組織で自分の腕を刺してしまい、ボツリヌス症にかかりかけました
  9. 双子を妊娠した母親の腫瘍と右肺を摘出する手術中、指で動脈を押さえることで命を救いました
  10. 35年間、外科医として勤務しました

中国での働き

説教中の大管長
画像:末日聖徒イエス・キリスト教会
  1. 長年にわたり中国で外科の客員教授を務めました
  2. 最後の心臓手術は、十二使徒定員会の一員になってから、中国の有名なオペラ歌手のために行いました
  3. 済南で「中国の古い友人」という称号を贈られました。これは中国の人々が与える最高の賛辞です
  4. 中国の3つの大学から名誉教授号を授与されました

霊感に導かれて

ワースリン長老を支えるネルソン長老
ネルソン大管長がジョセフ・B・ワースリン長老にしっかりと手を差し伸べる
画像:LDSLiving
  1. 助けを求めてきたユタ州の祝福師の心臓弁を修復するよう啓示を受けました
  2. 後に大管長となるスペンサー・W・キンボール長老の複雑な手術を成功させ、奇跡を目撃しました
  3. M・ラッセル・バラード長老、ハワード・W・ハンター大管長、ロバート・D・ヘイルズ長老、デビッド・B・ヘイト長老の心臓手術にも立ち会いました
  4. 休暇中に予定より早く帰るように促しを受けて、直後に1人の教会指導者の手術しました。手術中、その患者は心臓発作を起こしましたが、一命を取り留めました
  5. シカゴ大学からの名誉ある高給の仕事を断りました
    デビッド・O・マッケイ大管長が適切ではないと助言したためです。
  6. 10人目で末の子どもが最初の孫の2か月後に生まれました
  7. 家族旅行中にラフティングをしたコロラド川で溺れかけたことがあります
  8. 学会や出張にはよく娘の一人を連れて行きました
  9. ダンツェルがタバナクル合唱団で歌っている間、娘たちの髪を整え、教会へ行く準備を手伝いました
  10. 娘ががんで亡くなった後、『The Gateway We Call Death(死という門)』を執筆しました。彼女は夫と5人の子どもを残しました
  11. 記念日や誕生日には家族の1人1人にカードを送っています
  12. 家族のバプテスマ、幼児の祝福、結び固め、エンダウメントの儀式に今も参加しています

習慣と趣味

パズルをしているネルソン大管長
ラッセル・M・ネルソン大管長、休みの日にジグソーパズルをしている様子
画像:ネルソン家族
  1. 絶対音感を持つため、ユタ大学のアカペラ合唱団で出だしの音取りをよく頼まれていました
  2. 歌う時はバスパートを担当します
  3. 毎週火曜日に、神殿で行われる大管長会と十二使徒定員会のミーティングでオルガンの伴奏をします
  4. およそ10年間、テンプルスクエアの宣教師として奉仕しました
  5. 日常でも医学用語を使っていたため、子どもたちは「交通渋滞」という言葉を「血栓」だと思い込んでいました
  6. 出エジプト記31章13節を個人の指針として安息日を守っています
  7. 遅刻をしたことがありません
  8. 同僚たちは彼を「自己規律の達人」と呼びます
  9. 少なくとも12の言語を学びました(フランス語、ラテン語、ギリシャ語、ロシア語、中国語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、ヘブライ語、ブルガリア語、チェコ語、ルーマニア語)
  10. 聞き上手です
  11. 女性への深い敬意を持っています
  12. 啓示に対する強い賜物と愛を持っています
  13. ガーデニングと釣りが好きです
  14. 中央幹部の中でコンピューターを所有し、新しい技術を積極的に取り入れた最初の一人です
  15. 才能ある作家であり編集者です
  16. 切手やコインを集めています
  17. パズルをするのが好きです
  18. 各国の医療用ユニフォームに強い関心を持っています
  19. 少年のころに写真を撮り始めました
  20. アウトドアを愛しています
  21. Who’s Who in the World(世界の著名人)』『Who’s Who in America(アメリカの著名人)』『Who’s Who in Religion(宗教界の著名人)』に掲載されました
  22. 4つの名誉博士号を授与されました 
    Doctor of Science (BYU), Doctor of Medical Science (Utah State University), Doctor of Letters (Snow College), and Honorary Doctor of Medicine (University of Utah)
  23. 医学から宗教、観戦した大学のバスケットボールの試合結果まで、生涯にわたって幅広い記録を細かく残しています

教会での奉仕

会員を訪れるネルソン夫妻
画像:LDSLiving
  1. 戦争のため専任宣教師として奉仕できませんでした
  2. 7代目ヒーバー・J・グラント大管長以降の全大管長と直接知り合いだった
  3. 1945年8月にボンネビルステークのステーク会長に召されました
  4. 1971年6月、中央日曜学校会長に召され、8年間務めました
  5. 中央日曜学校会長として奉仕していた1977年、自分の父親をメルキゼデク神権の長老に按手しました
  6. 1984年4月、十二使徒定員会に召されました
  7. 21年ぶりに、中央幹部を経験せずに使徒として召された1人でした
  8. 教会の公式な承認をロシアで得ることに尽力しました
  9. ミハイル・ゴルバチョフに福音を分かち合いました
  10. IRSに対して宣教師支援の税控除に関する件で教会を代表しました
  11. 2003年、カザフスタンを初めて訪問した使徒になりました
  12. 2015年、十二使徒定員会会長になりました
  13. 「生けるキリスト」にネルソン大管長のサインがあります
    「家族ー世界への宣言」の準備に関わり、2020年4月の総大会では『イエス・キリストの完全な福音の回復:200周年の世界への宣言』を朗読しました
  14. 十二使徒定員会の一員として134か国を訪問し、そのうち31か国で神殿を奉献または奉献に参加しました
  15. 2024年、教会の200番目の神殿としてユタ州のデゼレトピーク神殿を奉献しました

神様の預言者

ローマ教皇と挨拶するネルソン大管長
写真:ジェフリー・D・オールレッド(Deseret News)
  1. トーマス・S・モンソン大管長の逝去に伴い、2018年1月に、末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長として召されました
  2. テクノロジーに親しみ、預言者の中で初めて大管長のオフィスにWi-Fiとコンピューターを設置しました
  3. 直前の二人の大管長とは異なり、大管長会に加わることなく大管長となりました
  4. 大管長になる前は、できる限り冬にスキーを楽しんでいましたが、就任後はやめるよう助言されました
  5. 神殿から帰るときはいつも、エレベーターではなく階段を使います
  6. 教会の大管長として母語以外の言語で公式に話をしたのは、ネルソン大管長が初めてです
  7. 歴史的な世界ツアーを行い、ロンドン、エルサレム、ナイロビ、ハラレ、バンガロール、バンコク、香港、ハワイ、アフリカなどで末日聖徒と会いました
  8. 2018年、シアトルの野球場で49,000人以上の人々に語りかけました
  9. 大管長としてのわずか5年の間に、ミニスタリング、『私に従ってきなさい』、神権定員会の統合、日曜の集会時間の短縮、教会の正式名称の強調、神殿に関する調整など、少なくとも12の大きな変化を導きました
  10. ネルソン大管長が生後15か月のときに、南アメリカは宣教のために奉献されました
    その後、預言者として戻ったとき、アフリカ大陸には400万人以上の会員がいました
  11. ローマ教皇に初めて会った末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長です
  12. 2022年、教会歴史で一番長く奉仕している使徒になりました
  13. テキスト「『歴代大管長の教え—ラッセル・M・ネルソン』が初めて歴代大管長の教えとして出版されました
  14.   2013年3月に日本を訪れ、当時の外務大臣だった岸田文雄と法務大臣だった谷垣禎一と面会しました

参考:LDSLiving