わたしが死について考えたのは小学3年生の頃でした。小2の時に同級生が病気で亡くなり、それからしばらくしたある夜、急に死が怖く感じたことがあります。
多くの人がこのような経験をしたことがあるでしょう。あなたにとって死はどんなものですか?本当に死は恐怖を感じるだけのものなのでしょうか。
ぜひこの記事で死について考えてみましょう。
誰でも迎える死
どのような人でも動物でも昆虫でも、生きている限り死は訪れます。当たり前なことだと分かっていても、いざ死に直面すると悲しいような寂しいような怖いような気持ちがします。そして亡くなった人やペットなどの生き物との関係が、自分と関わりが深かったらさらに強い悲しみを経験します。
残された人は、身近や思い入れのある人の死によって、自分の生活が困難になることもめずらしくないでしょう。この深い悲しみを乗り越えるための方法はどんなものがあるのでしょうか。
大切な人の死を受け入れる
わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として、一般的な日本のお葬式と教会のお葬式に参列したことがあります。
まず気が付いたことは、お葬式は亡くなった人への供養もですが、残された人が悲しみを受け入れ乗り越え、自分が前に進むための大切なプロセスの一つだということです。
亡くなった人が大切だからこそ、悲しみや強い寂しさを感じるからでしょう。
私たちは愛する人を失ったとき、その人の年齢にかかわらず、悲しみを覚えます。 悲嘆は、純粋な愛の深い表現のひとつです。 それは、「栄光ある復活の望みがない者のために涙を流すほどに、ともに愛をもって生活するように…」 (教義と聖約42章45節)という神の戒めを全うする自然な反応なのです。 さらに、この涙の別離があるからこそ、後に起こる喜びの再会を心から感謝できるのです。人生に愛がある限り、 死の悲しみは避けられないのです。
(ラッセル・M・ネルソン「死の扉」『聖徒の道』1992年7月号, 77-80)
だからこそ、亡くなった人の思い出を、ご遺族から聞いたり友人と分かち合う時に、故人への感謝や愛を改めて思い起こすことができるのだと思います。
そして、教会のお葬式は悲しみの中にも希望を感じる事がありました。お年を召して亡くなった場合でも、若いのに病気で亡くなった場合でもです。それは教会の教えが関係しているのでしょう。
教会の信じる死とは
末日聖徒イエス・キリスト教会では、死は永遠の別れだと考えていません。一時的に一緒にいれなくなりますが、わたしたちがふさわしければ亡くなった後、大切な人とまた一緒に、そして永遠に暮らすことができます。
わたしたちの教会では死後の世界を信じています。
大切な人と永遠に暮らすために必要なふさわしさとは、戒めを守り、必要な儀式を受け、正しく生涯を送ることです。
これは、神様がわたしたちに授けた救いの計画の一部です。
わたしたちはこの計画のためにこの世に生まれて、嬉しいことも悲しいことも経験し、成長して死んでいきます。生きている間に正しいことを選ぶことで、ふさわしくなれるのです。

救いの計画
わたしたちは生まれる前から存在していました。まだ体はありませんでしたが、霊として存在し、神様の元にいました。
この地上に来て、大切な人に出会い、大切なものを見つけ、必要なことを学び、失敗し、悲しみ、喜びを経験します。
もちろん神様が望むことをしないこともあるでしょう。正しいことが分からなくなることもあります。
そんなわたしたちを助けるために、イエス・キリストがいます。彼は自身の生涯で人々を教え、行動で模範を示しました。また、苦しみと死を経験したので、わたしたちが生きている間に経験するすべてを理解することができます。これをキリストの贖いといいます。
そして救いの計画の終盤には、わたしたちが生きていた頃の行いに応じて、死んだ後に行く場所が決まり、裁きを受けます。
つまり、死はこの救いの計画には不可欠なのです。
死があるからわたしたちは生きることを大切にします。命を尊びます。そして、死があるからわたしたちは神様からの祝福を得る事ができます。
地球から天の家に戻るために、 私たちは、死の扉を避けては通れません。死ぬために生まれ、 生きるために死ぬのが人間なのです。
神の子である私たちは、地球で成長し始めたばかりなのです 。花を開かせる所は、天なのです 。
ラッセル・M・ネルソン

死んでも続く愛
この教会の死に対する考え方のポイントのもう一つは、死は大切な人との愛を壊さないということです。
教会が信じる儀式の一つに、結び固めの結婚があります。これは、神殿と呼ばれる神聖な建物の中で、神権という神様の代わりに儀式を執り行う神権を持つ人によって結び固められることです。これによって夫婦や家族はふさわしければ、死によってバラバラになりません。永遠に結び固められることができます。
ですから、末日聖徒イエス・キリスト教会では家族をとても大切な単位としていて、家族の時間を優先し、家族で聖典や福音を学び、家族で成長するように勧めています。
死によって大切な人との愛が壊れ、繋がりがなくなるなら、誰かが亡くなることは、とてつもない苦しみと悲しみが伴うことも当たり前です。
死後の世界があること、大切な人は死んでも繋がっていること、戒めを守ることでまた大切な人と一緒に暮らせること、イエス・キリストがそれを助けてくれることを知っていることは、大きな癒しと慰めを与えてくれます。そして立ち止まり続けず、進むことができるのです。
愛のきずなは死の扉と裁きを越えて存続します。家族のきずなは神殿の結び固めのおかげ で永遠に続くのです 。その重要性は語り尽くすことができません。
ラッセル・M・ネルソン
死は必要なことと知っても、いきなりすべてを受け入れるのは難しいかもしれません。しかし、死は完全な別れではないことは確かです。死や死後の世界についてもっと知れば、あなたの人生にも希望が訪れるでしょう。