いつかは巣立つ子供のために、母親はもちろん父親も多くのことをします。

家族を支えるために働き、 送り迎えをし、 遊び、 時には叱ることもあります。また、父親にしかできない役割ももちろんあります。

しかし、子供が大人になったとき、本当に覚えているのは何でしょうか。

聖典にも多くの父と子の物語があります。 そこに共通しているのは、父親たちが子供に「何か大切なもの」を残していることです。

もしあなたが父親なら、古代に生きた5人の父親たちの姿を学んでみましょう。

父が教えてくれた言葉

ベニヤミン王

ベニヤミン王は平和をもたらし、人々に指示された王です。王でありながら、民に仕えて自らの手でも働きました。

そんなベニヤミン王は、息子たちに聖典と言葉を教えました。(モーサヤ書第1章1-7節

ベニヤミン王が息子たちに教えたこと

  • 先祖の言葉や預言を学び、理解のある人になる
  • 聖典は神様の奥義、戒め、真理を知るための大切な記録
  • 神様は真理を後世に伝えるために記録を保存してこられた。
  • 聖典がなければ、人々は神様について学べず、真理から離れやすくなる
  • 誤った言い伝えは真理を受け入れる妨げとなることがある
  • 真鍮の版やニーファイの版の記録は真実である
  • 記録を熱心に研究し、その教えから益を受ける
  • 戒めを守る人は主の約束により祝福され、栄える 

ベニヤミン王は息子たちに、神様の言葉を学び、聖典を大切にし、戒めを守ることを教えました。そしてその結果、主の祝福を受けることができることも教えたのです。 

彼は、王としての権力や財産ではなく、神様の言葉を受け継ぐことを大切にしたのです。

子供は親が教えたすべてを覚えているわけではありません。

しかし人生の岐路に立ったとき、 幼い頃に聞いた言葉が支えになることがあります。

父親の言葉は、思っている以上に長く子供の心に残ります

父親が子供のために祈りは、大きな力となり変化を生み出します

父が流してくれた涙

アルマと息子アルマ

アルマの父親は、勇敢に証をするアビナダイの証を聞いて改心しました。しかし、アルマは親に反抗し、仲間と一緒に教会を妨害していました。

そんな姿を見た父アルマは、どれほど心を痛めたことでしょう。

しかし彼は息子を見放しませんでした。息子たちのために祈り続けました。

そしてその祈りに、神様は応えました。

見よ、主は、御自分の民の祈りと、御自分の僕であり、またあなたの父であるアルマの祈りを聞かれた。あなたの父が、あなたが真理の知識に導かれるように、深い信仰をもってあなたのことを祈ってきたからである。したがって、わたしは神の力と権能が存在することをあなたに認めさせるために来た。神の僕たちの祈りが、彼らの信仰に応じてかなえられるためである。モーサヤ書第27章14節 

この後、息子アルマは大きく変わります。

ここで注目できるのが、父アルマは息子を無理やり変えたということではありません。父アルマの祈りを聞いた神様が、天使を通して息子アルマに働きかけられたということです。

彼らが神に背いて歩き回っていたときに、見よ、主の天使が現れた。その天使は、まるで雲に包まれて来たかのように降って来て、さながら雷のような声で語り、その声は彼らの立っていた大地を震わせた。…天使は…言った。「アルマよ、起き上って立ちなさい。あなたはなぜ神の教会を迫害するのか。主はかつて、『これはわたしの教会である。わたしがこれを設ける。わたしの民の背きのほかに、これを覆すものはない』と言われた。」

子供は親の祈りを直接見ることは少ないかもしれません。アルマの息子のように、劇的な天使の訪れがいつもあるとは限りません。

それでも、自分のために祈り続けてくれた人がいたことを知るとき、その愛の深さを感じます。

何より、神様は親の祈りをいつも聞いています。神様の御心に叶った方法で、その祈りは応えられるのです。

父親の経験をシェアすることで子供の問題を解決する助けとなります。一対一の穏やかな時間を作りましょう。

父が語ってくれた経験

アルマとヒラマン

そんなアルマは彼の息子ヒラマンに、自分の劇的な改心について語りました。

興味深いのは、アルマが自分の成功だけでなく、失敗や罪についても正直に話していることです。

わたしはかつてモーサヤの息子たちと一緒に歩き回って、神の教会を滅ぼそうとしていた。ところが見よ、神は、聖なる天使を遣わして、道の途中でわたしたちを止められた。  アルマ書第36章6節

アルマは、この後自分がこれまでしてきた罪をひどく後悔し、苦しみました。そんな時間を経て、彼はキリストの贖いによって、自分も救われるということを知りました。

父親は常に完璧である必要はありません

むしろ、自分がどのように間違い、どのように神様の助けを受けたのかを語ることで、子どもは希望を見いだします。

わが子よ、まことに、あなたに言うが、わたしはほかにあり得ないほど激しく、またつらい苦痛を味わった。また息子よ、わたしは言う。それとは反対に、わたしはほかにあり得ないほど麗しく、また快い喜びを味わった。 アルマ書第36章21節

完璧な父親よりも、正直な父親の方が子どもの心に残ることがあるんです。

父が与えてくれた励まし

リーハイとヤコブ

ヤコブは幼い頃から多くの苦しみを経験していました。

例えば、家族がエルサレムを離れて荒れ野を旅している間に、ヤコブは生まれました。当時、多くの苦難があったと記されています。 ニーファイ第二書2章1節

また、ヤコブの兄であるレーマンとレムエルの乱暴さのせいで、たくさん苦しみ悲しんだともあります。

そこでリーハイは、救い主と贖いについて教え、苦難は主が聖別してくれるということ、すべての事には反対があるということ、人生には選ぶ力である「選択の自由」が与えられていることなどを語ります。ニーファイ第二書 第2章

ただ、リーハイはヤコブの問題をすべて解決したわけではありません。しかし、希望を与えました。

良い父親とは、必ずしもすべての答えを持つ人ではありません。子供が前を向いて歩けるよう励ます人です。

父親が与える助言は何よりも力となり、愛は帰る場所となります

父が示してくれた愛

放蕩息子の父

新約聖書にあるたとえ話の1つに放蕩息子の話があります。(ルカによる福音書第15章11-32節

ある男に2人の息子がいました。ある日、弟は父の財産から、将来自分が相続する分を受け取って家を出ました。

しかし、弟はその財産を異国で浪費し、食べ物も買えなくなったため飢えに苦しみ、ついにはブタの世話をするまでに落ち込みました。

途方に暮れ、家に戻る資格はないと思いながらも、この息子は家路につきます。

ところが父親は遠くから家に向かってきている息子を見つけ、走り寄って抱きしめました。

このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。ルカによる福音書第15章32節

責める前に迎え入れたのです。これは神様の愛を表すたとえですが、同時に地上の父親にも大切なことを教えています。

子供は失敗することがあります。それでも帰る場所があると知ることは、大きな力になります。

どんな失敗をしたとしても、受け入れられ愛されることで、子供は改心し、また生きることができるのです。

結び

子供は父親が買ってくれた物や、どこへ連れて行ってくれたかを忘れるかもしれません。

しかし、教えてくれた言葉、語ってくれた経験、自分のための祈り、与えてくれた励まし、示してくれた愛を、彼らの人生のどこかで思い出すでしょう。

父親としてできることがたくさんあります。それはきっと、母親でさえも代わりがきかないことかもしれません。

福音には、父と子の時間を更に充実させ、記憶に残るものとするヒントがたくさんあります。ぜひ、福音を学んでみてください。