<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>ainomata, Author at 信仰プラス</title>
	<atom:link href="https://morefaith.jp/author/ainomata/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://morefaith.jp/author/ainomata/</link>
	<description>あなたが神を知り、キリストへ歩み寄る助けとなるように</description>
	<lastBuildDate>Sat, 08 Aug 2026 23:17:35 +0000</lastBuildDate>
	<language>en-US</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.0.4</generator>

<image>
	<url>https://files.morefaith.jp/2025/06/cropped-JAPAN-PROFILE-PHOTO-32x32.png</url>
	<title>ainomata, Author at 信仰プラス</title>
	<link>https://morefaith.jp/author/ainomata/</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>地上での伝道の間に、キリストがしなかった8つのこと</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/minister-8-things-christ-did-not-do/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/minister-8-things-christ-did-not-do/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 12 Aug 2026 02:36:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イエス・キリスト]]></category>
		<category><![CDATA[あなた・わたしがキリストに近づくために]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22118</guid>

					<description><![CDATA[<p>キリストが地上にいた時にしなかったことを知ると、キリストのようになる助けになります</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/minister-8-things-christ-did-not-do/">地上での伝道の間に、キリストがしなかった8つのこと</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">今から2,000年以上前にイエス・キリストが地上で教えた教義、示した愛、奇跡、そして模範は、現代の私たちの生活に影響を与え続けています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストについて知り学ぶことで、この世界を平和にするために何ができるか、身近な人を大切にしていることを伝えるためには何をしたらいいか、学ぶことができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、キリストがしたことと同じように、キリストがしなかったこと、決して言わなかった言葉を知ることで、彼がどんな個性を持っていたのかを学ぶことができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もしかしたら多くの人がこの視点を持ったことがないかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そこで今回は、イエス・キリストがこの地上で人々に教えた時にしなかった8つのことを紹介します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">現代を生きるわたしたちにとって、とても価値ある教えとなるでしょう。</p>



<h2 class="wp-block-heading">1. キリストは、使徒たちに最も優れた人たちを選ばなかった</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1.jpg"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1-1024x576.jpg" alt="十字架に掛かる前に、弟子たちと食事をし聖餐を教えたキリスト" class="wp-image-22120" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">キリストは地上で教えている間、1人の漁師、1人の取税人、そして、聖書に記録されるほど重要とは思えない職業の人々を選びました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もちろん職業がその人自身を表すものではありません。しかしキリストのこの選択は、多くの人が予想できなかったかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">使徒たちは最も聡明な候補者だったでしょうか。おそらく違いました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">最も賢く、義にかなった人々だったでしょうか。おそらく違いました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">では最も備えられた人々だったでしょうか。おそらくそうだったかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして最も進んでキリストの求めに応じようとする人々だったでしょうか。<strong>はい。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストはごく普通の人々を選び、並外れたことを成し遂げさせることを常としていたのです。その普通の人々は、弱さ、罪、不安、固定観念、そしてさまざまな葛藤、先入観、迷いという重荷を抱えていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼らはわたしたちとは違う特別な存在だったわけではありませんでした。そしてキリストはわたしたちにも、驚くべきことを成し遂げる力を与えることができます。</p>



<h2 class="wp-block-heading">2. イエス・キリストは姦淫の女を罪に定めなかった</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1.jpg"><img decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1-1024x576.jpg" alt="キリストは姦淫の罪を犯した女性を赦した" class="wp-image-22123" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">罪や過ちを犯したら、どんな人でもその代価を払わなければなりません。そしてイエス・キリストはわたしたちのために、その代価を支払います。しかしそれでもなお、真心からの悔い改めが必要なのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">多くの人が<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt/john/8?lang=jpn&amp;id=1-11">姦淫の女の物語</a>を知っているのは、イエス・キリストが憐れみを示し、さらに大切な教えを授けたからです。主はわたしたちに、<strong>人を罪に定めてはならない</strong>ことを教えました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。 」<br>― ヨハネによる福音書 第8章11節</p>



<p class="wp-block-paragraph">確かに、イエス・キリストは彼女を罪に定めませんでした。しかし彼女は、自分の罪の赦しを得るために、悔い改めの過程を経る必要がありました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">姦淫は軽い罪ではないことを忘れてはなりません。</p>



<h2 class="wp-block-heading">3. キリストは、人々が自分を踏みにじることを許されなかった</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1.jpg"><img decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1-1024x576.jpg" alt="聖なる場所である神殿で商売をしていた人たちをキリストは怒った" class="wp-image-22124" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">もしかしたらイエス・キリストをこんなふうに想像していませんか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">現実離れしていて、幻想的な姿。天使のようで、なんでも受け入れてくれる。いつも従順で、争うことなくどんなことも赦してくれる。そして人々に好きなように扱われるままの姿を。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、そうではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエスは当時の<strong>社会に大きな変化をもたらす存在</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>人々の考え方を改め</strong>、根深く定着した当時の宗教的解釈に異議を唱え、ユダヤ人にとって最も神聖な場所である神殿においてさえ、<strong>権威をもって行動</strong>しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、自分が長年待ち望まれていたメシヤであると宣言されました。それは決して小さな主張ではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は安息日に人々を癒しました。また、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む」と語るなど、<strong>多くの人が受け入れ難いと感じた教えを説きました</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、主に反対する人々から問い詰められても、決して退きませんでした。<strong>自分の言葉と行いを守った</strong>のです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">救い主が贖罪を成し遂げるため、「ほふり場に引かれて行く小羊」のようになったのは確かです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、神様の御心に完全に従っていたその時でさえ、実際には<strong>誰1人として主を支配していたわけではありませんでした</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ペテロが「大祭司のしもべを打ち、その耳を切り落とした」とき、<strong>イエスは暴力でも恐れでも応じませんでした</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主はその<strong>しもべを癒やし</strong>、ペテロに<strong>さらに高い道を教えました</strong>。そしてこう言いました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしが父に願って、天の使いたちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか。」（マタイによる福音書 第26章53-54節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">無力に見えたその時でさえ、キリストは自分の意思で行動していました。主が十字架にかけられたのは弱さではなく、<strong>確かな意志による選択</strong>だったのです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/8.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/8-1024x576.jpg" alt="薄暗い室内に注ぐ光の中に立つキリストからは、自分の使命を自分の意思で受け入れ行っている意思が伝わる" class="wp-image-22126" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/8-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/8-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/8-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/8.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<p class="wp-block-paragraph">主の揺るがない謙遜さは、地上で伝道していたほかの場面とは、対照的です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神殿を清めたとき、主は静かな小羊ではありませんでした。毅然としておられ、断固としていました。<strong>神様の家を清めるという使命を持ち、権威をもって行動</strong>したのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ジェームズ・E・タルメージ長老は、『イエス・キリスト』の中で次のように記しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「キリストが神殿を清めるために力をもって行動された出来事は、キリストをあまりにも従順で控えめな存在として描き、あたかも確固とした意志を持たないかのように考える従来のイメージとは一致しません。主は苦難の中では柔和で忍耐強く、悔い改める罪人には憐れみ深いお方でした。しかし、<strong>偽善に対しては厳格で、決して妥協することはありませんでした。</strong> 」訳：信仰プラス</p>



<p class="wp-block-paragraph">またマタイによる福音書 第10章34節にもこう書かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。<strong>平和ではなく、つるぎを投げ込むため</strong>にきたのである。 」</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストは地上での伝道を終えるその時まで謙遜であり、完全に神様に従いました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、それは決して人々が主を操ったり、脅したり、主の使命を決めたりすることを許したという意味ではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストの柔和さは弱さではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それは、<strong>制御された強さ</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そしてそのことは、「主のようになる」とはどういう意味なのかというわたしたちの理解を、根本から変えるものです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">4. イエス・キリストは福音を制限しなかった</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/9.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/9-1024x576.jpg" alt="人々と同じ目線に座り、教えを解くキリスト" class="wp-image-22127" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/9-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/9-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/9-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/9.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<p class="wp-block-paragraph">「それゆえに、あなたがたは行って、<strong>すべての国民を弟子とし（なさい）</strong>。 」（マタイによる福音書 第28章19節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、<strong>キリスト・イエスにあって一つ</strong>だからである。」 （ガラテヤ人への手紙 第3章28節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様は自身のすべての子供たちを愛し、完全な愛をもって接します。では、なぜイエス・キリストは、「イスラエルの家の失われた羊」のためにだけ遣わされたと言われたのでしょうか。（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt/matt/15?lang=jpn&amp;id=24">マタイによる福音書 第15章24節</a>）</p>



<p class="wp-block-paragraph">その鍵は、特別扱いではなく、<strong>秩序</strong>にあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖文を研究すると、<strong>神様は定められた秩序に従って御業を行う</strong>ことが分かります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">古代の父系制の伝統では、<strong>長子は長子の権を受けました</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それは、指導と霊的管理に関する特別な責任でした。長子は主に聖別され、聖約を守り、神様の律法を家族の他の者へ伝える<strong>責任を負って</strong>いました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イスラエルは、聖約の計画の中でその長子の権を受けました。そのため、キリストが地上に来たとき、地上での伝道は聖約の民、すなわち「イスラエルの家の失われた羊」の間で始まりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それは、他の人々の価値が低かったからではなく、<strong>神様が聖約の秩序に従って働いていた</strong>からです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストはまず、<strong>霊的な責任を受けた人々を教えるために来ました</strong>。その後、<strong>彼らが世に光をもたらすことになっていた</strong>のです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">復活の後、その範囲は広がりました。使徒行伝10章から11章で、ペテロは異邦人に福音を伝えるよう啓示を受けました。そして<strong>救いのメッセージがすべての人のためのもの</strong>であることが確認されました。最初の順序は、永続的な排除ではなく、<strong>備え</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その後、使徒たちの死と大背教を経て、福音は終わりの日に異邦人の間から回復されました。こうして、救い主が教えた原則が成就したのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。 」（マタイによる福音書 第20章16節）</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/11.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/11-1024x576.jpg" alt="静かに目を閉じるキリスト" class="wp-image-22129" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/11-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/11-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/11-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/11.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：masfe.org</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">神様は偶然に働くことはありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様には時があり、過程があり、目的があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストも、「父のもとで見たこと」を行うと宣言しました（ヨハネによる福音書 第8章38節）。主の伝道は、神様の御心を完全に反映していました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">福音が最初にユダヤ人へ、そして後に異邦人へ宣べ伝えられた順序の背後にある理由を、わたしたちは完全には理解できないかもしれません。しかし、それが主の完全な時の表れであることは認めることができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そしてその時は、聖文が教えているように、すべてのことが明らかにされるとき、さらに十分に理解されるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様の愛が問題であったことは決してありませんでした。神様の御業の秩序もまた、そうではありませんでした。</p>



<h2 class="wp-block-heading">5. キリストは律法を廃するためではなく、律法を成就するために来た</h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/12.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/12-1024x576.jpg" alt="天井の隙間から空を見上げるキリストの顔は外からの光に照らされている" class="wp-image-22130" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/12-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/12-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/12-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/12.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<p class="wp-block-paragraph">これはキリスト自身の言葉です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。」 （マタイによる福音書 第5章17節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">調べてみると、「成就する」という言葉は、「願いや目標、計画などが思い通りに叶うこと、または物事を完全に成し遂げること」と定義されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">一方、「廃する」とは、「今まで続いていた習慣や制度などをすっかりやめて、行わないようにすること、また人や地位をその立場から退けたり、取り除いたりする」と定義されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>キリストは律法や、それを教えた預言者たちを廃したいとは望んでいませんでした</strong>。それらには価値があり、今日でもわたしたちはそこから学ぶことができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">旧約聖書には、わたしたちが学ぶことのできる<strong>キリストの象徴</strong>が数多くあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">モーセの律法は、<strong>犠牲と正確な従順</strong>について多くのことを教えてくれました。義と啓示に関するすばらしい模範を示した預言者たちを尊敬しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もしキリストが律法を「廃し」たなら、もしそれを重要ではないものとして退けたり、「誤っている」として攻撃したなら、わたしたちは信仰と聖さに関する<strong>偉大な模範を失っていたでしょう</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストはモーセの律法を損なったり、攻撃したいとは望みませんでした。なぜでしょう。主は、その律法を<strong>最初に制定したエホバ</strong>だったからです。しかし、その律法が終わりを迎える時が来ていました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/13.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/13-1024x576.jpg" alt="いばらの冠を付けさせられたキリストの顔には、苦しみではなく強い意志を感じる" class="wp-image-22131" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/13-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/13-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/13-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/13.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">人間であるわたしたちは、ときどき、<strong>終わるべきものは悪いもの、損なわれたもの、不完全なものだけだと考えがち</strong>です。時にうまくいっているものも、なぜ終わらせるのでしょうか。それを、さらに優れたものに置き換える以上に良い理由があるでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それがキリストがしたことです。主は、良い律法であったモーセの律法を、<strong>さらに良い律法、より高い律法へと置き換え</strong>ました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちが<strong>主にさらに似た者となる</strong>ことを望むためには、その<strong>律法をさらに強める必要がある</strong>と知っていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それはある意味で、以前のホームティーチャーと家庭訪問教師がミニスタリングという<strong>プログラムに変更</strong>したことを思い出させます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「古い律法」は非常に具体的でした。実行したかどうかを記録する表がありました。難しいこともありましたが、何を期待され、いつそれを行うことが<strong>期待されているのかが明確</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ラッセル・M・ネルソン大管長は、ホームティーチャーや家庭訪問教師が、悪い慣行やプログラムだったと非難したわけではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ただ、それらを終え、完成させ、<strong>さらに優れたプログラム</strong>のための場所を設けたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストが制定したより高い律法と同じように、<strong>ミニスタリングは言葉よりも御霊</strong>に、行うべき事柄の<strong>一覧よりも個人の義に重点を置いて</strong>います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ミニスタリングはわたしたちが進歩し、さらに主に似た者となり、御業を早めるよう促す、<strong>キリストからのもう一つの霊感</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストは律法を廃するためではなく、それを成就するために来ました。そして今なお真実である、過去の原則の上に築いたことを理解するとき、主はわたしたちが<strong>すでに学んできた真理を用いて、より良い人へと築き上げている</strong>ことが分かります。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>6. イエス・キリストは誰も一人に</strong>し<strong>なかった</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/14.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/14-1024x576.jpg" alt="復活後アメリカ大陸を訪れたキリストは1人1人に優しく手を差し伸べた" class="wp-image-22132" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/14-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/14-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/14-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/14.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">復活後キリストは他国の人たちを訪れた。誰も1人にしなかった。画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストはヨハネによる福音書 第16章7節で宣言されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、<strong>わたしが去って行くことは、あなたがたの益になる</strong>のだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに<strong>助け主はこない</strong>であろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう 。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちはこの世で孤独や悲しみを感じることがあります。しかしキリストにあって、わたしたちは一人ではありません。<strong>主と調和している限り、主の御霊はわたしたちとともにあり、困難な時に導いてくれます</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ダニエルのときと同じように、<strong>イエス・キリストはわたしたちのそばにいてくれます</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストは決してためらいません。主はわたしたちを見捨て、置き去りにすることもできました。しかし、そうはされません。これは心から感謝すべきことなのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ダニエルは信仰によってライオンから守られました。アルマとアミュレクのために牢獄の壁が崩れ落ちました。レーマン人サムエルはどんな武器にも傷つけられませんでした。2,050人の若い戦士たちは生き残りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>イエス・キリストは、わたしたちを見捨てていないのです。</strong></p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>7. イエス・キリストは自分を誰よりも優れた存在とは考えなかった</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/17.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/17-1024x576.jpg" alt="復活後にアメリカ大陸を訪れたキリスト" class="wp-image-22135" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/17-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/17-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/17-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/17.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>イエス・キリストは人を差別しませんでした</strong>。主は人々を、その本来の姿、すなわち神様の子供として見ていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストは人には近づくことのできない光の中に住み、その力によって宇宙を支え、海にさえ境界を定めているにもかかわらず、<strong>自らへりくだることを選びました</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>この世の特権や名誉を携えて来たのではありません</strong>。キリストは地位や身分、地上での名声を求めませんでした。誰一人として劣った者として扱いませんでした。すべての人を、その本来の姿、すなわち神様の息子、娘として見ていたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は弟子たちの足を洗いました。誰も触れたがらなかったらい病人にも触れました。取税人や罪人たちと同じ食卓に着きました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人々を癒し、養い、解放しました。そして最後には、<strong>世の罪の代価として自身の体をささげ、人間の忍耐の限界に至るまで十字架を担った</strong>のです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">預言者イザヤは、すでにメシヤがどのように来られるかを預言していました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 」 イザヤ書 第53章2節</p>



<p class="wp-block-paragraph">主には、人々に畏敬の念を抱かせるような<strong>外面的な偉大さはありませんでした</strong>。<strong>主の栄光は誇示されたものではなく、自ら覆われたものでした</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストは、その権利を十分に持っていたにもかかわらず、<strong>決して優越感から行動しませんでした</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主の権威は高慢さではなく、<strong>奉仕によって示されました</strong>。主の力は支配によってではなく、<strong>自らをささげる</strong>ことによって表されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">宇宙の王は、すべての人の僕となることを選びました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、その最高のへりくだりの行為を通して、<strong>真の偉大さとは他人の上に立つことではなく、ほかの人を立ち上がらせるために自ら低くなること</strong>であると教えられました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>8. イエス・キリストは自身の望みを行われなかった</strong></h2>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/18.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/18-1024x576.jpg" alt="1人ゲッセマネの園で祈りあらゆる苦痛を敬虔するキリスト" class="wp-image-22136" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/18-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/18-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/18-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/18.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<p class="wp-block-paragraph">「血のような大粒の汗」を流し、苦悩がその身の隅々にまで及ぶ中で、イエス・キリストはこう叫びました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい。 」 マタイによる福音書 第26章39節</p>



<p class="wp-block-paragraph">ゲツセマネから<strong>救い主の真の人間性</strong>を見ることができます。母マリヤを通して、イエスは死すべき性質を持っていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分を待ち受けている肉体的、感情的、霊的な苦痛を正確に知っていました。主が直面していたのは象徴的なものではなく、<strong>限りない苦しみ</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その杯は抽象的なものではありませんでした。<strong>現実のもの</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、最大の苦悩の時でさえ、主の祈りは要求ではなく、<strong>自らをささげるもの</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>キリストは自身の望みを行うために地上に来たのではありません</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分を遣わした<strong>神様の御心を行っていると繰り返し宣言</strong>しました。そしてゲツセマネで、その真理は最も純粋な形で示されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">杯が過ぎ去ることを願ったことは<strong>弱さではありません</strong>。それは<strong>完全な率直さ</strong>でした。神様の御心を受け入れられたことは<strong>諦めではありません</strong>。それは<strong>完全な愛</strong>だったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は拒むこともできました。天使の軍勢を求めることもできました。すべてを止めることもできました。しかし、そうしないことを選びました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/19.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/19-1024x576.jpg" alt="苦しみを経験し祈ったゲッセマネのその時間もキリスト自身の意思によるものが分かる表情をしている" class="wp-image-22137" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/19-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/19-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/19-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/19.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">キリストは安易な道を選ばず、永遠を選んだ。画像：masfe.org</figcaption></figure>



<p class="wp-block-paragraph">最も無力に見えた時でさえ、<strong>キリストは完全な自覚と決意をもって行動</strong>しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は犠牲へと引きずられて行ったのではなく、<strong>自ら進んで御自身をささげた</strong>のです。迫害する者たちに支配されたのではなく、<strong>神様の計画が成就するため</strong>に、その出来事が起こることを許されたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は最も容易な道を選んだのではありません。<strong>永遠の道</strong>を選びました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この世界では「自分の心に従うこと」や「自分のしたいことをすること」に執着してしまいますが、イエス・キリストはさらに高いことを示したのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>真の自由とは、自分の意志を神様の御心に一致させること</strong>なのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、この<strong>意思の強い従順</strong>が、わたしたちすべての運命を変えたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参考：<a href="http://masfe.org">masfe.org</a></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/minister-8-things-christ-did-not-do/">地上での伝道の間に、キリストがしなかった8つのこと</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/minister-8-things-christ-did-not-do/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>「人生のバランスを見つける」その考え方は間違ってない？</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/life-balance-way-of-thinking/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/life-balance-way-of-thinking/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 08 Aug 2026 13:34:44 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[あなたの生活に福音を]]></category>
		<category><![CDATA[自己改善する方法]]></category>
		<category><![CDATA[試練を克服する]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22108</guid>

					<description><![CDATA[<p>人生のバランスを取れないのは自分の能力が低いからだと思っていますか？</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/life-balance-way-of-thinking/">「人生のバランスを見つける」その考え方は間違ってない？</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">子育てやいくつもの習い事の送迎。気遣いだらけの結婚生活。週末提出の大学の課題。月曜日からまた仕事。日曜日には教会での召しで時間を捧げる…</p>



<p class="wp-block-paragraph">この中のどれか一つでも。心当たりはありませんか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">自分の人生を振り返って、「<strong>もっと上手にバランスを取れたらいいのに</strong>」と思ったことありますか？きっと多くの人が1度は考えることでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちは漠然と、<strong>バランスの取れた完璧な生活を何年も追い求めています</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">時間管理がもう少し上手になればいいのに。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もっと効率よくいろんなタスクをこなせたら生活が改善するのではないか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">睡眠時間を削ればバランスが取れるようになるかも。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そう考えてしまうかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし誰も教えてくれない真実があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それは<strong>完璧なバランスなど存在しない</strong>ということです。これを早く受け入れることができれば、あなたは自由になれます。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1024x576.jpg" alt="在宅ワークの母親は家事も育児も同時にこなさなければならいのか" class="wp-image-22110" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/2-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/2.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>バランスという神話</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">物事がうまくいかなかったり、疲労が抜けなかったり、生活を改善しようと思うと、多くの人はほかのことを調整して、バランスの取れた毎日を目標にすると思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">一方、成功してどんなこともきちんとこなしている人は、家族、仕事、健康、人間関係、信仰など、何1つ取りこぼさない人だと信じていませんか？</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし実際に人生のバランスを完璧に取ろうとすると、どうなってしまうか想像してみましょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">子どもの学校の発表会に心から集中しているとき、仕事のメールには返信できません。仕事の締め切りに集中しているとき、宿題を手伝うことはできません。ジムにいるとき、夕食を作ることはできません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あなたは<strong>1人の人間</strong>です。<strong>脳も1つ</strong>しかありません。<strong>本当に存在できる場所は、1度に1か所</strong>だけなのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会員であるデビッド・A・ベドナー長老は、Facebookで公開された動画の中で率直にこう述べています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「そんなことで悩むのはやめませんか。<strong>バランスなんてものは存在しません</strong>。そんなものはないのです。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">これは<strong>悲観的な言葉ではありません</strong>。むしろ、あなたがこれまで聞いた中でも、<strong>最も心を解放してくれる言葉の1つでしょう</strong>。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/3-1024x576.jpg" alt="マルチタスクタイプが多いとされる女性でさえも、複数のことを一度にすると脳内が混乱している" class="wp-image-22111" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/3-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/3-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/3-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/3.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>マルチタスクをしているとき、実際には何が起きているのか</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">科学もこれを裏付けています。クリーブランド・クリニックの神経心理学者シンシア・クブ博士は、次のように説明しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしたちの脳は本来、<strong>1度に1つの作業しかできない</strong>『シングルタスク』向きにできています。わたしたちがマルチタスクをしていると思っていても、多くの場合、実際には二つのことを同時にしているわけではありません。個々の作業を非常に速い速度で切り替えている、つまりタスクを切り替えているだけなのです。」（<a href="https://health.clevelandclinic.org/science-clear-multitasking-doesnt-work">Cleveland Clinic, 2021</a>）訳：信仰プラス</p>



<p class="wp-block-paragraph">さらに、心理学の学術誌である<strong>Quarterly Journal of Experimental Psychology</strong> に掲載された、より最近の研究（<a href="https://medicalxpress.com/news/2026-03-multitasking-brain-fully-tasks-extensive.html">Schubert et al., 2026</a>）では、<strong>たとえ十分な訓練を積んだとしても、人間の脳は２つの作業を同時に行うことはできず、予想外のことが少し起きるだけでも、ミスの発生率が大幅に高まる</strong>ことを確認しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">言い換えれば、あなたがバランスを取るのが下手なのではありません。<strong>誰も上手ではない</strong>のです。なぜなら、それは<strong>神経学的に不可能</strong>だからです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、神経科学がこれを証明するずっと前から、イエス・キリストはこの本質を突く言葉を語っていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。 」（マタイによる福音書 第6章24節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちが集中して向けられる意識は、1度に1つのことだけです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/4-1024x576.jpg" alt="複数のタスクのバランスを取るのではなく、１つのことに意識を向ける方が効率的である" class="wp-image-22112" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/4-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/4-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/4-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/4.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>本当の答えはバランスではなく、意図的な集中</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">では、バランスが存在しないとしたら、何を目指せばよいのでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ベドナー長老の答えは、驚くほど実践的です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしたちは、<strong>その瞬間には1つのことしかできません</strong>。ですから、家族と一緒にいるときには、教会や仕事、あるいは自分自身にさえ十分な意識を向けていないことになります。運動しているときも、何かをおろそかにしています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、その瞬間ごとに『今やっていないこと』ばかりを気にしていると、自分自身を追い詰めてしまいます。そうなると、本当に大切なことは何一つ成し遂げられません。だから、家にいるなら家のことをしましょう。教会で奉仕しているなら、その奉仕にしっかり取り組みましょう。」訳：信仰プラス</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここで大切なのは、ほんの<strong>少しの発想の転換</strong>です。その小さな変化が大きな違いを生み出します。 常にすべてのことに少しずつ意識を向けようとするのではなく、そ<strong>のとき1つのことに全力で注意を向け</strong>、それから次へ移るのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これは、棒の上で皿を回すサーカスの芸人のようなものです。すべての皿を同時に同じ力で回すわけではありません。1枚を回し、次へ移り、落ちる前に最初の皿へ戻り、それを繰り返します。すべての皿が同じ瞬間に意識を必要としているわけではありません。ただ、それぞれが止まる前に意識を向ける必要があるだけなのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ベドナー長老はこう表現しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「人生で最も大切な二つ、三つ、四つの優先事項を見極めましょう。そして、それぞれが必要とする回転を与えられるよう、常に適切なタイミングで戻るようにしましょう。」訳：信仰プラス</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1024x576.jpg" alt="ダイニングテーブルで母親が子供と向き合い、父親が夕飯の用意をする分担が家庭を救うう" class="wp-image-22113" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/5-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/5.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>実際にできること</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">バランスを追い求めることから、意図的に集中することへ移るための5つの方法を紹介します。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>1. 自分の「皿」が何かを書き出し、本当の数を正直に認める</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">あなたの意識を奪い合っているすべてのことを書き出してください。そして、そのリストを見ながら、自分に問いかけてください。「本当に欠かせないものはどれだろうか。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">ダリン・H・オークス管長は次のように教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしたちにできる良いことの数は、それらを達成するのに必要な時間数をはるかに超えています。…わたしたちは、<strong>より良いものや最も良いその他のものを選ぶために、良いことをあきらめる必要があります</strong>。 」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2007/10/good-better-best?lang=jpn">2007年10月総大会</a>）</p>



<p class="wp-block-paragraph">あなたのリストにあるものすべてに、意識を向ける必要があるわけではありません。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>2. あなたがいるその場所のことにフォーカスする</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">子どもと一緒にいるときは、スマートフォンを置きましょう。仕事中は仕事をしましょう。休むときは、しっかりと休みましょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あなたがいる場所に心を注ぐことは贅沢ではありません。<strong>意味のあることを成し遂げるための唯一の方法</strong>なのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>3. いくつかの「皿」を置いておくことを自分に許す</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">「おろそかにする」という言葉は、必ずしも悪い意味ではありません。その語源をたどれば、「取り上げない」「選ばない」という意味です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">今は回しておく必要のない皿もあります。<strong>1つだけに絞ることは、失敗でも間違いでもありません</strong>。それは<strong>集中</strong>なのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>4. 最適化する前に、まずシンプルにする</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">パトリシア・T・ホランド姉妹は、かつてこう語りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「人生を振り返って、もう一度どこかの時点に戻れるならば，一つ大きく変えたかったことがあります。それは、<strong>シンプルにする</strong>ことです！シンプルにすると、…すべてが良くなるようにわたしには思えます。 」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/broadcasts/worldwide-devotional-for-young-adults/2023/01/14holland?lang=jpn">ヤングアダルトのためのワールドワイド・ディボーショナル、2023年1月</a>）</p>



<p class="wp-block-paragraph">多くの事を管理しようとする前に、「より少ないことを、より良くできないだろうか」と自問してください。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>5. 最も大切なことに定期的に立ち返る</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">バランスを上手に取ることは、いつか到達する目的地ではありません。一度整えたら終わりではなく、何が大切かを何度も見直し、そこに時間と力を戻していくことです。&nbsp;</p>



<p class="wp-block-paragraph">毎週、自分にとって<strong>最も大切な優先事項を見直しましょう</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">回転が遅くなっている皿はどれでしょうか。今週、あなたの意識を必要としているのはどれでしょうか。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1024x576.jpg" alt="電子機器を置き、家事から離れて家族の時間を設けている家族" class="wp-image-22114" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/6-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/6.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>バランスではなく、何を求めるべきか</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">正直に言えば、わたしたちの多くが本当に求めているのは、バランスではありません。求めているのは<strong>平安と安心</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>自分ができていないことに対して罪悪感を抱くのをやめたい</strong>のです。「これで十分だ」と感じたいのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そしてその平安や安心は、より多くのことをすることからは生まれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">正しいことを、正しい時に、十分に心を向け、意図を持って行うことから生まれるのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">M・ラッセル・バラード長老は、こう語っています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「シンプルにしてください。その<strong>シンプル</strong>さにこそ、わたしがこれまで話してきた<strong>平安と喜び、幸福を、皆さんは見いだす</strong>のです。 」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2019/04/23ballard?lang=jpn">2019年4月総大会</a>）</p>



<p class="wp-block-paragraph">あなたは1人の人間です。それで十分です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">今、最も大切なことに集中し、残りは今すぐ必要ではないと信頼してください。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="人生という冒険を楽しむ3つの方法" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/Bfwk8gfAoy0?start=1&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph">【あなたにおススメの記事】</p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/we-need-religion-the-study-of-harvard/" data-type="link" data-id="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/we-need-religion-the-study-of-harvard/">宗教は必要ないの？ハーバード大学の研究が示した意外な事実</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/motherhood-nelson-message/" data-type="link" data-id="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/motherhood-nelson-message/">母であることとは｜若い母とネルソン大管長の言葉</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e5%9f%ba%e6%9c%ac%e7%9a%84%e3%81%aa%e6%95%99%e7%be%a9/%e6%95%91%e3%81%84%e3%81%ae%e8%a8%88%e7%94%bb/" data-type="link" data-id="https://morefaith.jp/%e5%9f%ba%e6%9c%ac%e7%9a%84%e3%81%aa%e6%95%99%e7%be%a9/%e6%95%91%e3%81%84%e3%81%ae%e8%a8%88%e7%94%bb/">救いの計画について知っておくべきこと</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/life-balance-way-of-thinking/">「人生のバランスを見つける」その考え方は間違ってない？</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/life-balance-way-of-thinking/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>信仰箇条：末日聖徒の13の基本的な信条</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/latter-day-saints-basic-beliefs/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/latter-day-saints-basic-beliefs/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 05 Aug 2026 05:57:43 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[聖典から学ぶ]]></category>
		<category><![CDATA[わたしたちの信条]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22042</guid>

					<description><![CDATA[<p>末日聖徒の基本的な信条はこの13個に詰まっています</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/latter-day-saints-basic-beliefs/">信仰箇条：末日聖徒の13の基本的な信条</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会（しばしば誤って「モルモン教会」と呼ばれます）は、その名称が示すとおり、イエス・キリストを中心とする教会です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">福音を回復し、この教会を組織したジョセフ・スミスは、ある新聞編集者から「モルモン教徒の基本的な教義、あるいは信条とは何か」と尋ねられたことがありました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>信仰箇条</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">ジョセフの答えには13の具体的な教義が含まれていました。それらは後に正式な聖典として収録され、<strong>信仰箇条</strong>と呼ばれるようになりました。この記事では、それぞれの信仰箇条と、その教義について簡単に説明します。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7-1024x576.jpg" alt="神様とイエス・キリストと聖霊は同じ目的を持った別々の存在である信じている。" class="wp-image-22087" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-7.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第一条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、永遠の父なる神と、その御子イエス・キリストと、聖霊とを信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒の教義は、多くのキリスト教の考え方とは異なります。そのため、神様、イエス・キリスト、聖霊は同じ1つの存在だが異なる現れであるとする、三位一体の定義は採用していません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒の教義では、この三者はそれぞれ別個で独立した存在であると教えています。父なる神様とイエス・キリストは肉と骨からなる体を持ち、一方、聖霊は霊の御方です。そのため、聖霊は人の心や魂に直接語りかけることができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼らは物理的には別々の存在ですが、目的と意思において一つです。末日聖徒は、この三者を<a href="https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/%e7%a5%9e%e3%82%92%e4%bf%a1%e3%81%98%e3%82%8b/"><strong>神会</strong></a>と呼びます。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第二条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、人は自分の罪のゆえに罰せられ、アダムの背きのゆえには罰せられないことを信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は、多くのキリスト教徒が信じるような意味での原罪の教義は信じていません。わたしたちは皆、アダムとエバの堕落による影響（肉体の死と霊的な死）を受けていますが、それらはイエス・キリストの贖罪によって克服されます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストが死に打ち勝ったため、わたしたちも皆、復活します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、わたしたちは皆、最後の審判のために神様の御前へ導かれます。そのとき、自分自身の罪について責任を問われます。もし悔い改め、イエス・キリストを受け入れ、その戒めに従って生きたなら、神様と再び共に住むことができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そうでなければ、神様と再び住むことはできません。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第三条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、キリストの贖罪により、全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒の教義では、イエスはゲツセマネの園で世の罪と苦しみを自身に負ったと教えています。そして十字架にかけられ、復活したことによって、死と地獄に対する勝利を得られました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストの贖罪によって、わたしたちは悔い改めることが可能になりました。しかし、赦しを受けるためには、キリストの御名を受け、その示された道を歩まなければなりません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストの模範に従い、その戒めを守り、福音に必要な儀式を受けるなら、わたしたちは救われることができます。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第四条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、福音の第一の原則と儀式とは、第一に主イエス・キリストを信じる信仰、第二に悔い改め、第三に罪の赦しのために水に沈めるバプテスマ、第四に聖霊の賜物を授けるための按手であることを信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストへの真の信仰は、悔い改めによって実践されます。8歳以上で受ける浸漬によるバプテスマは、福音の最初の儀式であり、救いに不可欠です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">按手による確認はバプテスマの儀式の一部であり、善悪を見分け、正しい選択ができるよう導く聖霊の賜物を授けます。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8-1024x576.jpg" alt="オークス大管長、アイリング管長、クリストファーソン管長" class="wp-image-22088" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-8.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：末日聖徒イエス・キリスト教会</figcaption></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第五条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、福音を宣べ伝え、その儀式を執行するためには、人は預言によって、また権能を持つ者による按手によって、神から召されなければならないと信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">権能は、イエス・キリストの福音の完全さに不可欠な要素です。この権能は、神権と呼ばれ、神から召された人だけに与えられます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は、最初の十二使徒が殺害された後、人々の悪のために神権の権能は地上から失われたと信じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、神権は、最後にそれを保持していたバプテスマのヨハネ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネによって、ジョセフ・スミスを通して地上に回復されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神権を持つ者には、福音の儀式を執行する力と権能も与えられています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第六条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、初期の教会にあったと同一の組織、すなわち、使徒、預言者、牧者、教師、祝福師などがあることを信じる。</strong>&nbsp;</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会は、回復されたイエス・キリストの福音です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この教会には、イエス・キリストが昇天される前に地上に設立された教会と同じ組織があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">回復された同じ教会であるため、新約聖書に記されている職務も、この教会の中に存在しています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第七条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、異言、預言、啓示、示現、癒し、異言の解釈などの賜物があることを信じる。</strong>&nbsp;</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様は今日でも、生ける預言者を通して御自分の子供たちに語りかけています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">奇跡は終わっておらず、天は今も開かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">初代教会にあったこれらの賜物は、今日の回復された福音の中にも存在しています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1-1024x576.jpg" alt="末日聖徒が使用する聖典の上に聖書が置かれている。どちらも大切な神様の言葉が書かれてある神聖な書物だと信じている。" class="wp-image-22099" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1-1536x864.jpg 1536w, https://files.morefaith.jp/2026/08/信仰箇条-1.jpg 1920w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第八条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、正確に翻訳されているかぎり、『聖書』は神の言葉であると信じる。また、『モルモン書』も神の言葉であると信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は聖書を信じておらず、モルモン書に置き換えたという人がいます。しかしそれは<strong>誤解</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし実際には、末日聖徒は聖書を神様の言葉であると信じています。ただし、多くの明確で尊い真理が失われたと考えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">預言者が書き残した一部は翻訳や伝承の過程で失われ、ある教えは人々の悪意によって取り除かれました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">モルモン書は聖書に伴う聖典であり、イエスがキリストであることを証する第二の証です。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第九条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、神がこれまでに啓示されたすべてのこと、神が今啓示されるすべてのことを信じる。またわたしたちは、神がこの後も、神の王国に関する多くの偉大で重要なことを啓示されると信じる。</strong>&nbsp;</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖書とモルモン書に加え、末日聖徒は神様が今日でも語り続けておられると信じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのため、生ける預言者を通して今も新たな聖典が啓示され続けています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第十条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、イスラエルの文字どおりの集合と十部族の回復とを信じる。また、シオン（新エルサレム）がアメリカ大陸に築かれること、キリストが自ら地上を統治されること、そして地球は更新されて楽園の栄光を受けることを信じる</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は聖書を神様の言葉と信じているため、その預言も信じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イスラエルは実際に散らされ、預言では世界中から再び文字どおり集められると語られています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">新しいエルサレムはアメリカ大陸に建設されます（この現代の啓示は聖書には記されていません）。</p>



<p class="wp-block-paragraph">キリストは生きていて、死から復活したため、再び地上に来て統治します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして最後には、この地は悪から清められ、新しくなります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第十一条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、自分の良心の命じるとおりに全能の神を礼拝する特権があると主張し、またすべての人に同じ特権を認める。彼らがどのように、どこで、何を礼拝しようと、わたしたちはそれを妨げない。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史は、宗教の自由を掲げる人々から受けた迫害と苦難に満ちています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は、すべての人に自らの信じる宗教を実践する権利があることを認めています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">同時に、自分たちにもその権利と特権があると主張しています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3-1024x576.jpg" alt="教会員は自分の国に忠誠を尽くす義務があり、同時にすべての国民の自由と権利を確保する政府を築くために働くべきであるという原則がある。" class="wp-image-22090" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-3.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第十二条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、王、大統領、統治者、長官に従うべきこと、法律を守り、尊び、支えるべきことを信じる。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">多くの人と同じように、末日聖徒は法を尊重する人々です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">どこに住んでいても、自国の法律を守るよう勧められています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">教会員は自分の国に忠誠を尽くす義務があり、同時にすべての国民の自由と権利を確保する政府を築くために働くべきであるというのが、その原則なのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">　　　　　　　　　　　　　　「教義と聖約の学習『政府と法律に関する』」より</p>



<p class="wp-block-paragraph">唯一の例外は、その法律が神様の律法に反する場合です。最終的に最も重要なのは、神様の律法だと信じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様の律法と国の法律が対立する場合は、神様の律法に従うべきですが、そのような状況はまれです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>第十三条</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>わたしたちは、正直、真実、純潔、慈善、徳高くあるべきこと、またすべての人に善を行うべきことを信じる。実に、わたしたちはパウロの勧告に従うと言ってもよい。わたしたちはすべてのことを信じ、すべてのことを望む。わたしたちはすでに多くのことを堪え忍んできており、またすべてのことを堪え忍べるようにと望んでいる。どのようなことでも、徳高いこと、好ましいこと、あるいは誉れあることや称賛に値することがあれば、わたしたちはこれらのことを尋ね求めるものである。&nbsp;</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒は、すべての人が善いものを求め、善い人生を送る責任があると信じています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちは慈愛と徳をもって生活し、この世にある最も良いものを求め、みだらなことや冒瀆的なものを避けるよう努めるべきだと教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この末日聖徒イエス・キリスト教会の13の基本的な教義と信条は、イエス・キリストの福音の理解を助けることができます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">またとても大切な指針なのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="http://piufede.org">piufede.org</a></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/latter-day-saints-basic-beliefs/">信仰箇条：末日聖徒の13の基本的な信条</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/latter-day-saints-basic-beliefs/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>聖書を特別な1冊にする5つの興味深い事実</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/bible-special-5-facts/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/bible-special-5-facts/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 31 Jul 2026 05:35:10 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[聖典から学ぶ]]></category>
		<category><![CDATA[神様からあなたへのメッセージ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22053</guid>

					<description><![CDATA[<p>この事実を知れば、聖書が読みたくなるかも？！</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/bible-special-5-facts/">聖書を特別な1冊にする5つの興味深い事実</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">聖書は、間違いなく人類史上最も影響力のある書物です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">文明に影響を与え、何百万もの人々の人生を変え、現在も世界で最も読まれ、最大のベストセラー本と言えます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">霊的なメッセージだけでなく、多くの人が知らない興味深い事実がたくさん含まれています。それが聖書の歴史をさらに驚くべきものにしているんです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここでは、これまで聞いたことがないかもしれない、聖書の5つの驚くべき事実をご紹介します。ただ興味深いだけでなく、これまでとはまったく異なる視点から聖書を味わう助けにもなるでしょう。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="聖書とは何か？" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/SXA3-IdM59E?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<h2 class="wp-block-heading">1. 聖書は約40人によって、1,500年以上かけて書かれた</h2>



<p class="wp-block-paragraph">聖書は1人の人物が1つの時代に書いたものではないことは、多くの人が知っているでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、66巻からできていて、<strong>約40人の異なる著者</strong>によって<strong>、約1,500年にわたって書かれた</strong>ことを知っている人は、それほど多くないかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">著者には、ダビデやソロモンのような王、イザヤやエレミヤのような預言者、ペテロのような漁師、ルカのような医師、マタイのような取税人、さらにはモーセのような宗教的指導者も含まれていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、ヘブライ語、アラム語、ギリシャ語という3つの異なる言語で書かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">驚くべきことに、これほど多くの著者と長い執筆期間にもかかわらず、<strong>聖書は神様と人類との関係</strong>、そして<strong>イエス・キリストを通して示された神様の救いの計画</strong>という、一貫した流れを保っています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もちろん、聖書の各書には、それぞれ異なる文体、歴史的背景、そして個人的な視点が反映されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それでも、何百万ものクリスチャンにとって、この<strong>主題の一貫性は、聖文の背後にある神様からの霊感があったことの証拠</strong>とされています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">使徒パウロは次のように教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導びくのに有益である 」テモテへの第2の手紙 第3章16節</p>



<p class="wp-block-paragraph">おそらくこれが、何千年も経っていても、人々に読み継がれている理由の1つなのでしょう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8-1024x576.jpg" alt="机の上に開いておかれた聖書と古代文字が書かれた巻物" class="wp-image-22072" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-8.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">２．歴史上最も多く翻訳された書物</h2>



<p class="wp-block-paragraph">聖書ほど<strong>多くの言語に翻訳された</strong>本はほかにありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖書全体は750以上の言語に翻訳されており、少なくとも一部の聖書は3,600以上の言語で読むことができます。さらに毎年、新たな翻訳プロジェクトが進められ、母語で聖書を読むことができない人々にも届けられています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">あえて比較すると、『星の王子さま』のような世界的な名作も多くの言語に翻訳されていますが、その規模は聖書には及びません。なぜでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それは、多くのクリスチャンにとって、聖書は単なる古い本ではなく、<strong>神様の言葉</strong>だからです。そして、神様がすべての人に語りかけられるのであれば、すべての人が自分の言語でそのメッセージを読む機会を持つべきだと考えられているからです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">新しい翻訳の1つ1つの背景には、原文の意味を保ちながら、新しい世代にも理解できるようにするため、言語学者、翻訳者、そして多くの共同体による<strong>長年の努力</strong>があります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">３．短くも意味ある聖句</h2>



<p class="wp-block-paragraph">聖書の中に、最もよく知られた<strong>短い聖句</strong>があります。英語だと2語で書かれています。それは、ヨハネによる福音書 第11章35節です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「イエスは涙を流された。(Jesus wept. )」</p>



<p class="wp-block-paragraph">これだけの短い言葉ですが、その背後には新約聖書の中でも最も力強く、心を打つ場面の1つがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエスは、友人ラザロの死を聞き、その後ベタニヤへ到着しました。そして、ラザロをよみがえらせることを知っていたにもかかわらず、マリヤやマルタ、そして悲しみに暮れる人々の姿をご覧になると、涙を流しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この場面は、イエス・キリストが<strong>悲しみや憐れみ、喪失を実際に経験した</strong>ため、<strong>わたしたちの苦しみを理解してくださる</strong>ことを思い起こさせます。そして同時に、神様はわたしたちと共に涙を流し、試練の中を共に歩むことを教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、この短い聖句は、世代を超えて多くの人々の心を動かし続けているのでしょう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7-1024x576.jpg" alt="最も短い章は聖書のほぼ真ん中にある" class="wp-image-22083" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-7.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">４．最も短い章は聖書の中央にある</h2>



<p class="wp-block-paragraph">聖書を半分に開くと、詩篇117篇がほぼ中央に位置していることに気づくでしょう。そして興味深いことに、この章は<strong>聖書全体で最も短く</strong>、わずか2節しかありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「もろもろの国よ、主をほめたたえよ。もろもろの民よ、主をたたえまつれ。</p>



<p class="wp-block-paragraph">われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。主のまことはとこしえに絶えることがない。主をほめたたえよ。」（詩篇 第117章1-2篇 ）</p>



<p class="wp-block-paragraph">以上です。短い、と思いませんか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ただし、これは聖書の各書や章の区分の仕方が伝統によって異なるため、隠されたメッセージや意図的に設計された構造を意味するものではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それでも、聖書のほぼ中央に、神様の憐れみと真実をたたえる普遍的な呼びかけが置かれていることは興味深いですよね。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これは、聖書全体を通して、<strong>主を信頼するよう絶えず招かれていることを思い起こさせる</strong>一つの例と言えるでしょう。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1024x576.jpg" alt="光と共に主は未姿を現し、人に手を差し伸べる" class="wp-image-22080" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">５．神様の聖なる御名の出現</h2>



<p class="wp-block-paragraph">あまり知られていない事実の一つは、神様の個人的な御名が、旧約聖書のヘブライ語写本に約6,800回登場することです。この御名は、YHWHという4つのヘブライ語の子音で表され、「テトラグラマトン」と呼ばれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">古代ヘブライ語は母音を書かない文字体系だったため、本来どのように発音されていたかについては現在も完全な一致はありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">一般的によく知られている形は「ヤハウェ」または「エホバ」ですが、多くの研究者は「ヤハウェ」が本来の発音に最も近い可能性が高いと考えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし正しい発音が分からないとしても、神様の名前が記されてあったということは、聖書の神様が民に御自身を示していたことが分かります。さらに人々と聖約を結び、歴史の中で何度も「身近な神」として御自身を現したことを示しています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2-1024x576.jpg" alt="自分で聖書を読むことでより特別な書物となる" class="wp-image-22060" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-2.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">自分自身で聖書を読んでみよう</h2>



<p class="wp-block-paragraph">そして神様は、今日のわたしたちにとっても、変わらず身近な存在です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">預言者イザヤは次のように宣言しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変わることはない 。」イザヤ書 第40章8節</p>



<p class="wp-block-paragraph">これらの興味深い事実は、わたしたちの好奇心をかき立てます。しかし聖書の本当の豊かさは、その数字や歴史、記録ではなく、その中に記されたメッセージにあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖書の1ページ1ページは、さまざまな形で神様とその子供たちとの関係、そして特に、世界の救い主としてのイエス・キリストの使命を指し示しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、これらの興味深い事実を知ることも面白いことですが、実際に聖文を開いて自分自身で読む体験に勝るものはありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ぜひ聖書を読んでみてください。そうすれば、今もなお、あなたに向けた特別なメッセージがあることに気づくかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="http://masfe.org">masfe.org</a>&nbsp;</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="旧約聖書とモルモン書　歴史と関係性を紐解く【信仰と信条】" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/PJTY7ZDnHxI?start=4&amp;feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph">【おススメ記事】</p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/%e8%81%96%e6%9b%b8%e3%81%af%e5%ae%8c%e7%92%a7%e3%81%aa%e3%81%ae%ef%bc%9f%ef%bc%bf%e3%83%a2%e3%83%ab%e3%83%a2%e3%83%b3%e6%9b%b8/">聖書は完璧なの？神が備えたモルモン書とは</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/%e8%81%96%e6%9b%b8%e3%81%ab%e8%aa%a4%e3%82%8a%e3%81%af%e3%81%82%e3%82%8b%e3%81%8b/">聖書に間違いはあるか</a></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/bible-special-5-facts/">聖書を特別な1冊にする5つの興味深い事実</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/bible-special-5-facts/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>日本語訳も進んでいる：末日聖徒が愛する新しい賛美歌</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/japanese-new-hymns-2/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/japanese-new-hymns-2/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 30 Jul 2026 06:56:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[教会員の生活]]></category>
		<category><![CDATA[神様からあなたへのメッセージ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22047</guid>

					<description><![CDATA[<p>新しい賛美歌を歌っていますか？</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/japanese-new-hymns-2/">日本語訳も進んでいる：末日聖徒が愛する新しい賛美歌</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">2026年7月23日の教会公式ホームページで、英語などの「賛美歌　家庭と教会用」に更に10曲追加されたことが発表されました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">多言語と比べると、日本語ではまだ数は少ないですが、既に翻訳された13曲が確認できます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まだ新しい賛美歌に馴染みが少ない教会員もいるでしょう。この記事では、新しく追加された賛美歌を実際に歌って高められた兄弟姉妹の経験をシェアします。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6-1024x576.jpg" alt="父親がギターを弾いて親子で讃美歌を歌う" class="wp-image-22049" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-6.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">ワード全体で歌う工夫</h2>



<p class="wp-block-paragraph">音楽コーディネーターを務める<strong>マテウス・ランジェルさん（</strong>ブラジル・リオデジャネイロ出身<strong>）</strong>は、教会員が新しい賛美歌に親しめるよう、次のような工夫をしています。</p>



<ul class="wp-block-list">
<li>日曜日の礼拝で歌う賛美歌を事前にメッセージで会員へ送る。</li>



<li>教会HPの音源のリンクもメッセージと一緒に共有し、礼拝前に聴いて各自が練習できるようにする。</li>



<li>家庭では、子ども向けの歌声が入った音源を活用し、子どもたちが自然に新しい賛美歌を覚えられるようにしている。</li>



<li>「救い主が来る時（When the Savior Comes Again）」などの賛美歌を通して、キリストの再臨などの福音の真理を子どもたちに教えている。</li>



<li>新しい賛美歌はどれもキリスト中心であるため、日曜日に歌う曲を選びやすくなったと感じている。</li>
</ul>



<p class="wp-block-paragraph">ランジェル兄弟の試みによって、家族や彼が所属するワード全体で、新しい賛美歌をより積極的に歌うようになり、親しみが増していきました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、賛美歌を通してイエス・キリストに従いたいという思いが強められていることを実感しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">新しく追加された賛美歌は、キリスト中心であるため、キリストへの思いや信仰を強くすることができます。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6-1024x576.jpg" alt="教会の教室で青少年が賛美歌を歌う" class="wp-image-22050" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-6.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">青少年にも届く賛美歌</h2>



<p class="wp-block-paragraph">望月兄弟は、青少年の福音学習プログラムであるセミナリーの担当をしています。彼のクラスでは、新しい賛美歌が取り入れられています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参加する生徒たちは、新しい賛美歌が今どきで、とても身近に感じるという感想をシェアしています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また別の生徒は、これまで総大会で聞いていた「主と歩もう」や「恵みの泉」が追加され、自分がその曲を歌えることを喜んでいます。そして賛美歌から励まされていると教えてくれました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4-1024x576.jpg" alt="福音ライブラリーアプリから気軽に新しい賛美歌を聞くことができます" class="wp-image-22051" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-4.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading">一度聞いてみよう</h2>



<p class="wp-block-paragraph">新しく追加された賛美歌を一番気軽に聞く方法は、福音ライブラリーから「賛美歌　家庭と教会用」を選択することでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">歌詞を見ながら一緒に歌ってみてもいいですね。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、ぜひあなたのお気に入りの賛美歌をコメントで教えてください。</p>



<p class="wp-block-paragraph">新しい賛美歌が、現代を生きる教会員だけではなく、多くの人を励まし強め、キリストへの理解と信仰を深めることができることを知っています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="https://newsroom.churchofjesuschrist.org/">Newsroom</a></p>



<p class="wp-block-paragraph">【おススメの記事】</p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/prayer-to-song-nelson-youth/">祈りは歌になる｜ネルソン大管長が残した詩と若者への招き</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/%e9%9f%b3%e6%a5%bd%e3%81%af%e4%bf%a1%e4%bb%b0%e3%82%92%e5%bc%b7%e3%82%81%e3%82%8b/">音楽はあなたの信仰を強める：使いやすくなる教会のアプリ</a></p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="賛美歌の新曲発表&#x1f44f;　#shorts" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/hgtwMHwajyU?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/japanese-new-hymns-2/">日本語訳も進んでいる：末日聖徒が愛する新しい賛美歌</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e6%95%99%e4%bc%9a%e5%93%a1%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb/japanese-new-hymns-2/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>深い悲しみにいる人に、救い主のように寄り添うために</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/stand-by-someone-like-christ/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/stand-by-someone-like-christ/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 29 Jul 2026 05:53:54 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[あなたの生活に福音を]]></category>
		<category><![CDATA[あなた・わたしがキリストに近づくために]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22034</guid>

					<description><![CDATA[<p>悲しんでいる人に負担をかけずに寄り添うために、主から学びましょう</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/stand-by-someone-like-christ/">深い悲しみにいる人に、救い主のように寄り添うために</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">「何か力になりたい。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">知人や近所の人、また同じ教会に集う人々が、病気や離婚、流産、失業、家族を亡くした、あるいは次々と試練が重なっていると耳にしたとき、多くの人がそう思うでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員もそうです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「重荷が軽くなるように、互いに重荷を負い合うことを望み、また、悲しむ者とともに悲しみ、慰めの要る者を慰めることを…望んでいる。」モーサヤ書 第18章8–9節</p>



<p class="wp-block-paragraph">この聖句は末日聖徒にとって大切な指針で、実行できるように努めています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかしその一方で、深い悲しみを経験した人からは、このような声が聞かれることもあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「励ましてくれる気持ちは本当にありがたかった。でも、その時は何も話したくなかった。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「悪気がないことは分かっている。でも、その言葉を受け止める余裕がなかった。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">どちらも愛から始まっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、このテーマに正解はありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">では、わたしたちはどのようにすれば、救い主のように寄り添うことができるのでしょうか。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>悲しみに「正しい反応」はありません</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">教会の「<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/counseling-resources/grief-and-loss?lang=jpn">悲しみと喪失</a>」のリソースでは、悲しみは人によって現れ方も、癒やされていく過程も異なることが繰り返し教えられています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ある人は話すことで気持ちが整理されます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ある人は、誰とも話さず静かに過ごしたいと思います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">涙が止まらない人もいれば、涙がまったく出ない人もいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">教会へ行くことで慰めを受ける人もいれば、今は教会へ足を運ぶことさえ難しい人もいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">怒りを感じる人もいます。何も感じられなくなる人もいます。どれも、<strong>その人なりの悲しみ</strong>の表れです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、悲しみに期限はありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">周囲が日常に戻った後も、命日や誕生日、季節の移り変わりなどをきっかけに、再び深い悲しみが押し寄せることがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、わたしたちは「もう元気になったはず」と決めつけるのではなく、<strong>1人1人の歩みを尊重したい</strong>ものです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3-1024x576.jpg" alt="イエスは誰かが苦しんでいることを知り、まず涙を流しました" class="wp-image-22038" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-3.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>救い主は、まず涙を流されました</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">ラザロが亡くなったとき、イエス・キリストは彼をよみがえらせる力を持っていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それでも、マリアや周囲の人々の悲しみを見ると、</p>



<p class="wp-block-paragraph">「イエスは涙を流された」ヨハネによる福音書 第11章35節</p>



<p class="wp-block-paragraph">と聖書は記しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この短い一節は、救い主の愛の深さを伝えています。人々が悲しむ中、最初に教義を説明しませんでした。また、「心配しなくてもよい」と慰めの理屈を話しませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">まず、人々の悲しみの中に入っていったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">パウロもまた、</p>



<p class="wp-block-paragraph">「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」ローマ人への手紙 第12章15節</p>



<p class="wp-block-paragraph">と勧めています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちは誰かを励まそうとするとき、つい「何を言えばよいだろう」と考えます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、救い主の模範は、「何を言うか」よりも、<strong>どのようにその人と共にいるか</strong>を教えています。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>真理は大切だからこそ、伝えるタイミングも大切</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">福音は大きな希望を与えてくれます。復活があり、永遠の家族もあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様は1人1人をよく知っていて、試練の中にも目的があります。これらは、わたしたちが心から信じている真理です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、深い悲しみのただ中では、その真理を受け止める力さえ残っていないことがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">悲しんでいる相手を励ますために、このようなことを伝えたいと思うでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「神様には計画があります。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「また天で会えます。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">「信仰を持ってください。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">もちろん、それらは間違った言葉ではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、その瞬間の相手にとって必要なのは、説明ではなく、「分かろうとしてくれる人」の存在であることも少なくありません。真理が間違っているのではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>愛を届けるには、その人の心に寄り添うタイミングと方法も大切なのです。</strong></p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5-1024x576.jpg" alt="負担になるからと、玄関にそっと置いてある優しさや気遣いが詰まったプレゼント" class="wp-image-22037" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-5.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>救い主に倣って寄り添うために</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">では、わたしたちはどのように愛を示せばよいのでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">教会の「<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/manual/counseling-resources/grief-and-loss?lang=jpn">悲しみと喪失</a>」のリソースには、多くの実践的な助言が紹介されています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>相手のペースを尊重する</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">話したくない人に、無理に話をさせる必要はありません。「今は一人でいたい。」その気持ちも尊重したいものです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">寄り添うことは、<strong>必ず近づくことではありません</strong>。その人が必要としている距離を大切にすることも、愛の表し方です。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>気持ちを否定せず、耳を傾ける</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">悲しみを急いで終わらせようとする必要はありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「そんなふうに感じるのも無理はありません。」「話してくれてありがとう。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのように気持ちを受け止めてもらえることが、大きな安心につながることがあります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>沈黙を恐れない</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">何か励ましの言葉を探そうといろいろ考えることがありますが、時には<strong>沈黙も愛</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">隣に座ること。手紙を書くこと。祈っていることを伝えること。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのような<strong>静かな行いが、言葉以上の慰めになる</strong>ことがあります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>メッセージに思いやりを込める</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">励ましのメッセージが、「返事をしなければ」という負担になることがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「<strong>返信は気にしないでください</strong>。」と、一言添えるだけで、相手の心を軽くすることがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">メッセージの負担を軽くしたいなら、<strong>長い文章も避けた方がいい</strong>ことがあります。長文を読むことが難しい状況かもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">短く、端的に愛を伝え、返信をしなくてもいいと添えられたメッセージが、実は愛を感じることもあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">こんな<strong>思いやりの込め方</strong>もあるんです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1-1024x576.jpg" alt="重荷を担いでいる時も、主は側に寄り添っていてくれる" class="wp-image-22039" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>「そっとしておくこと」と「一人にしておくこと」は違います</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">一方で、「話したくないなら連絡しないほうがいい」と考え、完全に距離を置いてしまうこともあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">けれども、距離を尊重することと、孤立させてしまうことは同じではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「あなたのことを思って祈っています。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">そんな短いメッセージ。玄関先にそっと置かれた食事。教会で交わす静かな笑顔。</p>



<p class="wp-block-paragraph">相手が望む距離を尊重しながら、「あなたを忘れていません」と伝え続けることも、救い主の愛を表す方法です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">普段通り接することが、相手がありがたいと感じることもあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その繊細なバランスを見極めるためにも、助けの手を差し伸べる方にも聖霊の助けが必要なのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>真の慰め主は聖霊です</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">ヘンリー・B・アイリング管長は、このように話しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖霊が来られ、皆慰められました。両親は強さを得ました。悲しみの重荷は消えませんでしたが、悲しみを背負うことを可能にしていただきました。彼らの信仰は増しました。彼らが強さを求め、それにふさわしく生活するなら、強さは増し続けるでしょう 。</p>



<p class="wp-block-paragraph">…神だけが人の思いを御存じであり、神だけが本当の意味で「あなたの気持ちが分かる」とおっしゃることができるのです 。「<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/general-conference/2015/04/the-comforter?lang=jpn">慰め主</a>」</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちは誰かの悲しみを取り除くことはできません。どんなに愛していても、その<strong>痛みを代わりに背負うことはできません</strong>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖霊こそが慰めを与えてくれます。そして、傷を癒すのは主の贖いなのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、<strong>救い主のように愛する</strong>ことはできます。その愛を通して、聖霊が働かれる場をつくることはできます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、誰かの苦しんでいる話を聞いて、<strong>自分がショックを受ける</strong>こともあります。そんな気持ちから何か行動をしたいと思うことも、自然なことです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">苦しんでいる本人だけでなく、それを知った人にも<strong>慰めが必要</strong>なことがあるんです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖霊の働きを求めることは、悲しんでいる相手にも、どんな助けができるか悩んでいる自分にも必要不可欠なのです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1-1024x576.jpg" alt="誰かに寄り添うにも、主の助けを忘れない" class="wp-image-22040" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>おわりに</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">「悲しむ者と共に悲しみ、慰めを必要とする者を慰める」。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これは正しい言葉や行いを見つけることへの招きだけではなく、救い主のような心を育てることへの招きなのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ある人には、話を聞くことが必要でしょう。ある人は、しばらく静かに見守ることが必要です。またある人には、「返信は不要です。祈っています。」という短い言葉が、神様の愛を感じるきっかけになるかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちにできることは限られています。しかし、救い主は1人1人を完全に知っています。主はいつも同じ方法で人と接していませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、「何をすればよいでしょうか」ではなく、「<strong>この人は今、何を必要としているでしょうか。どうかわたしが、あなたの愛を届ける器となれますように</strong>」と祈るなら、聖霊は導いてくれるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、わたしたちの小さな思いやりを通して、神様は今日も、悲しみの中にいる誰かへ静かに愛を届けてくれるのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/stand-by-someone-like-christ/">深い悲しみにいる人に、救い主のように寄り添うために</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e3%81%82%e3%81%aa%e3%81%9f%e3%81%ae%e7%94%9f%e6%b4%bb%e3%81%ab%e7%a6%8f%e9%9f%b3%e3%82%92/stand-by-someone-like-christ/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>古代アメリカにキリスト教徒はいたのか？諸説と考えられる証拠</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/ancient-america-christ/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/ancient-america-christ/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 24 Jul 2026 02:23:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イエス・キリスト]]></category>
		<category><![CDATA[神様からあなたへのメッセージ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22020</guid>

					<description><![CDATA[<p>古代アメリカの伝承とモルモン書の共通点がありました。</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/ancient-america-christ/">古代アメリカにキリスト教徒はいたのか？諸説と考えられる証拠</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">古代アメリカ文明に伝わる物語の中を見てみると、当時そこに住んでいた人々のもとにキリストが訪れたことを思わせる内容があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">16世紀にスペイン人がアメリカ大陸へ到達したとき、彼らが目にしたのは高度に発展した文明、壮大な都市、そしてヨーロッパとは全く異なる文化だけではありませんでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼らを驚かせたのは、先住民族の間にある伝承でした。それは、遠い海の向こうからやって来た神聖な人物についてだったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その人物は道徳的な原則を教え、平和を促し、奇跡を行い、そしていつの日か再び戻って来るという約束、あるいは少なくともその期待を残して去って行ったと語られていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">この<strong>古代アメリカの伝承がキリスト教と多くの共通点を持っていた</strong>ことから、多くの年代記作者や修道士たちは、今日でも一つの問いを抱くようになりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>「コロンブスがアメリカ大陸に到達する前に、キリスト教の教えがアメリカで説かれていた可能性はあるのか。」</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">この問いは、現在でも研究の対象であり、多くのキリスト教徒にとって特別な関心事となっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">本記事では、アメリカ大陸の伝承の中で、キリストの訪れを思わせた3人の人物とその詳細を紹介します。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5-1024x576.jpg" alt="古代アメリカの人々に平和な生き方を教えたビラコチャ" class="wp-image-22024" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-5.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：Exitosa</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ビラコチャ ： 平和な生き方を教えた</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">ペルーの先住民族には、<strong>ビラコチャ</strong>の伝承が伝えられています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">アンデス地方に伝わる最も有名な伝承の一つです。スペイン人年代記作者の<strong>シエサ・デ・レオン</strong>は、ペルー征服初期を記録した最も重要な歴史家の一人とされています。彼は先住民が<strong>ティッシ・ビラコチャ</strong>あるいは<strong>トゥアパカ・ビラコチャ</strong>という人物について語っていたことを記録しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">シエサが先住民から聞き取った伝承によると、ビラコチャは暗黒の時代の後に現れました。<span style="text-decoration: underline">彼は「創造されたすべてのものの創造主」「万物の君」「太陽の父」と考えられていました</span>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、この年代記作者が最も驚いたのは、その称号ではなく彼の教えでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">シエサは次のように記しています。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow">
<p class="wp-block-paragraph">「彼は人々にどのように生きるべきかを教え、愛情深く、非常に穏やかに語りかけた。そして善良であるよう勧め、互いに害を加えたり不正を行ったりせず、互いに愛し合い、すべての人の間に慈愛があるよう教えた。」信仰プラス訳</p>
</blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">また、彼は<strong>奇跡を行い</strong>、<strong>病人を癒した</strong>とも記されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">さらに注目すべきことに、年代記作者自身が今日ではあまり知られていない興味深い記述を残しています。『インカ帝国』第5章で、当時すでに「この地をキリスト教の使徒が訪れたのではないか」と考える人々がいたことに言及しているのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">つまり、征服からわずか数十年後には、これらの伝承を古代のキリスト教の伝道の名残ではないかと解釈するスペイン人が存在していたことになります。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4-1024x576.jpg" alt="ボチカは偉大な教師として人々に社会生活や道徳を教えた" class="wp-image-22025" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-4.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a><figcaption class="wp-element-caption">画像：BahaiTeachings.org</figcaption></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ボチカ： 東方から来た賢者</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">現在のコロンビアに住んでいたムイスカ族にも、よく似た伝承があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">フランシスコ会修道士<strong>ペドロ・シモン</strong>は、『西インド諸島本土征服史（Noticias Historiales de las conquistas de Tierra Firme en las Indias Occidentales）』の中で、<strong>ボチカ</strong>（別名ネムケテバ）についての伝承をまとめています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その伝承によれば、ボチカは東方からやって来て、生涯を人々に教えることに捧げました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼は戦士や征服者としてではなく、<strong>教師</strong>として記憶されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">伝承では、<strong>糸紡ぎや機織り、社会生活の整え方、そして道徳的な原則を教えた</strong>人物としても描かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ペドロ・シモンは、ボチカが施しや正しい生き方、さらには復活について教え、訪れたそれぞれの民族の言葉で教えを説いたことも記録しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もちろん、これらの伝承がイエス・キリストご自身がアメリカ大陸に来られたことを証明するわけではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし当時の多くの宗教者は、その<span style="text-decoration: underline">伝承の類似点の背後に、古代のキリスト教の伝道の記憶が残されているのではないかと考えていました。</span></p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2-1024x576.jpg" alt="古代アメリカの伝承で一番キリストの特徴に近いケツァルコアトル" class="wp-image-22026" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-2.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ケツァルコアトル ：今なお注目される存在</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">おそらく、コロンブス以前のアメリカの人物の中で、キリスト教と最も多く結び付けられてきたのが<strong>ケツァルコアトル</strong>でしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼は<strong>白い肌でひげを生やしていた</strong>、あるいはアステカ人がエルナン・コルテス（スペインの軍人・探検家）をケツァルコアトルと勘違いした、という話がよく語られます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし今日では、こうした主張の多くは歴史学者の間で議論の対象となっており、十分な史料の裏付けがあるとは言えません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">一方で、古い史料には実際に興味深い記述も存在します。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ナワトル人の賢者たちとともに、<strong>ベルナルディーノ・デ・サアグン</strong>の指導のもと編纂された『フィレンツェ写本（Códice Florentino）』では、<strong>セ・アカトル・トピルツィン・ケツァルコアトル</strong>は非常に尊敬された統治者であり、祭司として描かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、ナワトル文化の専門家によって研究されている『クアウティトラン年代記（Anales de Cuauhtitlán）』によれば、彼は<span style="text-decoration: underline">人身供犠を拒み、人間の犠牲ではなく鳥や蛇、蝶をささげ物として献げることを好みました</span>。</p>



<p class="wp-block-paragraph">さらに、法律や道徳を教え、人々の間に秩序を築いた人物としても記憶されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もう一つ興味深い点は、『フィレンツェ写本』に、彼が丘の上から群衆に教えを説いていたこと、そして<strong>メソアメリカ文化では珍しいほど豊かなひげを生やしていた</strong>ことが記されていることです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">最後に伝承では、彼はトゥーラを去り、海へ到達し、そこから旅立ったと語られています。そしてその後も人々の記憶に深く刻まれ続けました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのため、ディエゴ・ドゥランのような植民地時代の修道士たちの中には、これらの伝承が使徒トマス、あるいは他のキリスト教宣教師の記憶を伝えているのではないかと推測する者もいました。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/5.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1024x576.jpg" alt="宣教師がニバクレ族にキリストの福音を教えた時、彼らの伝承とモルモン書に記載されていることに共通点があることが分かった" class="wp-image-22027" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/5-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/5.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>ニバクレ族の驚くべき事例</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">ここまで紹介した三つの例は、植民地時代に記録された伝承です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、次の出来事はほんの数十年前に起こりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">1980年、<strong>末日聖徒イエス・キリスト教会</strong>の宣教師たちは、パラグアイの先住民族<strong>ニバクレ族</strong>に福音を伝え始めました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ほどなくして、多くの人々が福音を受け入れるようになりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし最も興味深かったのは、モルモン書について聞いたときの反応でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ニバクレ族の複数の指導者たちは、<strong>「イエス・キリストがアメリカ大陸を訪れた」というモルモン書の記述は、自分たちにとって非常になじみ深いもの</strong>だと語りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">彼らの間には、<strong>暗黒の時代の後に天から一人の存在が降りて来て</strong>、<strong>病人を癒し</strong>、<strong>隣人愛を教え</strong>、<strong>奇跡を行い</strong>、<strong>そしていつの日か戻って来ると約束した</strong>という伝承が、代々受け継がれていたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">モルモン書にもこのような記載があります（ニーファイ第三書 第10ー18章）。この類似性は、彼らが回復された福音のメッセージを受け入れた理由の1つとなりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もちろん、この伝承が本当にイエス・キリストについて語っていたと断言することはできません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、<span style="text-decoration: underline">1つの先住民族が、モルモン書によって何世代にもわたって受け継がれてきた自らの伝承を理解できたということは、非常に興味深い</span>ですね。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/6.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1200" height="675" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1024x576.jpg" alt="モルモン書に描かれているストーリーは古代アメリカ大陸が主な舞台です" class="wp-image-22028" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/6-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/6.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1200px) 100vw, 1200px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>末日聖徒はどのように考えているのか</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph"><span style="text-decoration: underline">モルモン書を信じる人々にとって、これらの伝承はイエス・キリストがアメリカ大陸を訪れられた出来事を思い起こさせます。</span></p>



<p class="wp-block-paragraph">多くの研究者にとって、これらの物語は人類学や宗教学、比較神話学の研究対象です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、末日聖徒にはもう一つ重要な視点があります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">モルモン書には、<strong>イエス・キリストが復活後、アメリカ大陸の人々を訪れ、福音を説き、病人を癒し、教会を組織し、弟子たちを召し、その福音を教えられた</strong>と書かれています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その観点から見ると、ビラコチャ、ボチカ、ケツァルコアトル、さらには現代の先住民族に伝わるいくつかの伝承も、不思議なものではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">少なくとも、<strong>偉大な神聖な教師がアメリカを訪れた</strong>という考えは、末日聖徒にとって初めて聞いた話ではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">回復の業が始まるはるか以前から、古代アメリカの先住民族が、人々の人生を変え、再び戻って来る希望を残して去って行った、偉大な神聖な教師についての考えを持っていたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これらの一致をどのように解釈するかは人それぞれでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、モルモン書を信じる人々にとって、こうした古代の伝承は、歴史上最も重要な出来事の1つです。<strong>復活した救い主が、古代アメリカの民を訪れた出来事</strong>の遠い記憶の反響なのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もし、これらの伝承が、わたしたちの想像以上に多くのものを今も伝えているとしたら、胸が踊ります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="http://masfe.org">masfe.org</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>【おススメの記事】</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/%e3%83%a2%e3%83%ab%e3%83%a2%e3%83%b3%e6%9b%b8%e3%81%a3%e3%81%a6%e4%bd%95/"><strong>モルモン書って何ですか？</strong></a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%a9%e3%82%93%e3%81%aa%e4%ba%ba/"><strong>末日聖徒が信じているイエス・キリストってどんな人？</strong></a></p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="イースターに読んでほしいオススメ&#x1f4d6;　#shorts" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/mnyAeVFThbA?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/ancient-america-christ/">古代アメリカにキリスト教徒はいたのか？諸説と考えられる証拠</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/ancient-america-christ/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>放蕩息子の兄：その不満から学べること</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/prodigal-son-brother-dissatisfaction/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/prodigal-son-brother-dissatisfaction/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 18 Jul 2026 11:54:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[聖典から学ぶ]]></category>
		<category><![CDATA[自己改善する方法]]></category>
		<category><![CDATA[試練を克服する]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=22005</guid>

					<description><![CDATA[<p>真面目に生きていた兄の人生は、自由に生きて自分の財産を使い果たした弟よりも、損なしているのでしょうか？</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/prodigal-son-brother-dissatisfaction/">放蕩息子の兄：その不満から学べること</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">「そんなの不公平ではないか。」</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖書の「放蕩息子」のたとえ話を読んだとき、多くの人が一度はそう感じるのではないでしょうか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">このたとえ話では、ある兄弟の弟に注目が集まりがちです。しかし、実はもう一人の重要な登場人物がいます。それが兄です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">聖書では兄を悪者として描いているのではありません。むしろ、真面目に生き、責任を果たしてきたからこそ抱えてしまった葛藤を描いています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、この兄の姿は、現代を生きるわたしたち自身の姿を映し出しているのかもしれません。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4-1024x576.jpg" alt="父親から財産をもらった息子は家を出ていき好き勝手に生きた" class="wp-image-22008" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-4.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>放蕩息子のたとえとは</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">このたとえ話は、新約聖書ルカによる福音書15章に記されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ある父親には2人の息子がいました。弟は父から財産を前もって受け取ると家を出て、好き勝手な生活を送り、財産をすべて使い果たしてしまいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">何もかも失った弟は、自分の過ちを悔い改め、父のもとへ帰る決心をします。</p>



<p class="wp-block-paragraph">父はそんな弟を遠くから見つけると駆け寄り、抱きしめ、責めることなく迎え入れました。そして、無事に帰ってきたことを喜び、盛大な祝宴を開いたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、その祝宴を見て怒った人がいました。それが兄でした。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>なぜ兄は腹を立てたのか</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">多くの人は、兄の怒りを十分理解できるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">弟は父の忠告を無視し、自分勝手な生き方を選びました。その一方で、兄は家に残り、家業を支え、父を助け続けました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">弟がいなくなった分の仕事も引き受け、家族の責任を果たしてきたのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">兄は父にこう訴えます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「わたしは何か年もあなたに仕えて、一度でもあなたの言いつけにそむいたことはなかったのに」（ルカによる福音書 第15章29節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">この兄は、いったいどれだけ疲れていたことでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">誰にも認められなくても働き続け、忠実であり続ける。その積み重ねがあったからこそ、弟のためだけに祝宴が開かれる光景は、兄にとって耐え難いものだったのかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">兄はさらに言います。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「友だちと楽しむために子やぎ一匹も下さったことはありません。」<br>（ルカによる福音書 第15章29節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">長年努力してきた自分よりも、親の勧告に従わず、すべてを失敗した弟が歓迎される姿を見れば、「自分の努力は何だったのだろう」と感じても不思議ではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">責任を果たし続ける立場にいる人ほど、この兄の気持ちに共感するかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">家族や職場で期待を背負い、「自分がしっかりしなければならない」と努力してきた人にとって、兄の言葉は決して他人事ではないでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちも、自分の価値を「どれだけ忠実に努力してきたか」で測ってしまうことがあります。そして、迷っていた人が戻ってきただけで惜しみない恵みを受けていたり、あまり努力していないように見える人がすべてうまくいっているように見えると、「自分の努力は報われているのだろうか」と感じてしまうことがあります。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>不満を理解へと変える父の言葉</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、このたとえ話は兄の怒りで終わりません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">父は兄にこう語りかけます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ。 」（ルカによる福音書 第15章31節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">この言葉には、兄が見落としていた大切な真理が含まれていました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>忠実な歩みは決して見過ごされない</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">兄は祝宴を与えられませんでした。しかし、<strong>父と共に歩む日々そのものが大きな祝福</strong>でした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">父の信頼を受け、父と共に過ごし、父の財産を受け継ぐ立場にあったのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちも同じように、<strong>忠実な歩みがいつも目に見える形で報われるとは限りません</strong>。しかし、神様と共に歩めること、平安を受けられること、それ自体がかけがえのない祝福なのです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>神様の恵みは誰にでも注がれている</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">弟だけが特別に愛されたわけではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">父の歓迎は、「道を踏み外した人でも帰ってくるなら喜んで迎える」という愛の表れでした。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そして、その愛は弟だけでなく、わたしたち一人一人にも向けられています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちも人生の中で失敗し、迷い、神様から離れてしまうことがあります。しかし、そのたびに神様は帰ってくることを待ち続けてくださっています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>私たちの受け継ぐものは失われることなく、むしろ豊かになる</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちは時々、神様の祝福をケーキのように考えてしまいます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">誰かが一切れ受け取れば、自分の分は少なくなると思ってしまうのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、神様の与え方は無限です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">弟のために宴が開かれたからといって、兄の相続する財産が硬貨1枚も減ったわけではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ほかの人の祝福や悔い改めを共に喜ぶことは、自分の報いを減らすものではありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">むしろわたしたちの霊的な器を広げ、キリストのような愛をさらに育ててくれます。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>神様は完全に公平な方である</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">目の前の出来事だけを見ると、「不公平だ」と感じることがあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし聖書は、神様は完全に公平な裁き主であり、報いを与えてくれると教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">人には見えない涙も、誰にも知られない努力も、静かな忠実さも、神<strong>様はすべてご存じ</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、わたしたちはほかの人と自分を比べる必要はありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神様は、それぞれの歩みを完全に理解し、ふさわしく報いてくれるからです。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3-1024x576.jpg" alt="放蕩息子の兄に寄り添うイエス・キリスト" class="wp-image-22009" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-3.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>本当の喜びは比較ではなく、思いやりから生まれる</strong></h3>



<p class="wp-block-paragraph">父は最後に兄へこう語ります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである 。」（ルカによる福音書 第15章32節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">兄は「誰が何を受けるべきか」という視点で物事を見ていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし父は、「失われていた者が帰ってきたこと」を共に喜んでほしいと願っていました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">わたしたちも、他人と比べることをやめ、誰かが立ち直ることや幸せになることを心から喜べるようになるとき、心は不満から解放されます。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1-1024x576.jpg" alt="放蕩息子とその兄が強力して仕事をしている" class="wp-image-22010" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/4-1.jpg 1200w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>わたしたちが学べること</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">このたとえ話は、放蕩した弟だけでなく、忠実に歩み続ける兄にも、神様が深い愛を注いでおられることを教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もしあなたが今、「自分は頑張っているのに認められていない」と感じているなら、この父の言葉を思い出してください。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>「</strong>子よ、あなたはいつもわたしと一緒にいるし、またわたしのものは全部あなたのものだ<strong> 。」</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">神様は、誰にも見えないあなたの努力を見ておられます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">正しいことを選び続ける歩みは、決して無駄になることはありません。そして、神様の祝福は誰かと奪い合うものではなく、すべての人に豊かに与えられるものなのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="http://morefaith.ph">morefaith.ph</a>&nbsp;</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/prodigal-son-brother-dissatisfaction/">放蕩息子の兄：その不満から学べること</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e8%81%96%e5%85%b8%e3%81%8b%e3%82%89%e5%ad%a6%e3%81%b6/prodigal-son-brother-dissatisfaction/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>教会史上最多の宣教師たち：彼らが世界で教える理由とは？</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e4%bc%9d%e9%81%93%e3%83%bb%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab/new-missionary-record/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e4%bc%9d%e9%81%93%e3%83%bb%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab/new-missionary-record/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 18 Jul 2026 07:53:30 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[伝道・宣教師]]></category>
		<category><![CDATA[神様にささげる奉仕]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=21999</guid>

					<description><![CDATA[<p>末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師の数が、過去最高になりました。</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e4%bc%9d%e9%81%93%e3%83%bb%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab/new-missionary-record/">教会史上最多の宣教師たち：彼らが世界で教える理由とは？</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">2026年7月、末日聖徒イエス・キリスト教会は、世界中で奉仕する専任宣教師が約88,500人となり、<strong>教会史上最多を記録</strong>したと発表しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">これは2014年の記録を上回る人数で、福音を伝える若い宣教師や奉仕宣教師、シニア宣教師を合わせた数字です。また、世界各地で55の新しい伝道部が設立され、教会の伝道部は合計505となりました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ダリン・H・オークス大管長は、新任伝道部会長を対象としたセミナーで、次のように語りました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「宣教師の業は新たな高みへと飛躍しています。これから数週間のうちに、教会史上最も多くの宣教師が奉仕することになります。」信仰プラス訳</p>



<p class="wp-block-paragraph">このニュースを聞いて、「なぜこんなに多くの若者やシニアが、自分の時間やお金を使って世界中で奉仕しているか」と疑問に思う方もいるかもしれません。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>宣教師は勧誘ではなく「希望を伝える」</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師は、給料を受け取って活動していません。多くの若者は学校や仕事を一時中断し、自費で約1年半から2年間、世界中で奉仕しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その理由は、イエス・キリストが弟子たちに与えられた次の言葉にあります。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、…教えよ。」 （マタイによる福音書 第28章19–20節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">宣教師は、教会の教えを押し付けるためではなく、イエス・キリストの福音を知る機会を一人でも多くの人に届けたいという思いで奉仕しています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3-1024x576.jpg" alt="公園で親子にモルモン書を分かち合っている" class="wp-image-22002" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/2-3.jpg 1440w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>「知らなかった」をなくすために</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">教義と聖約には、神様が人々に福音を知らせるために宣教師を遣わされたことが記されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「見よ、わたしは、人々に証し警告するためにあなたがたを遣わした。 」<br>（教義と聖約 第88章81節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">ここでいう「警告」とは、人々を怖がらせることではありません。人生に希望をもたらすイエス・キリストの福音を知る機会を届けることです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">信仰や祈り、悔い改め、神様との約束、神殿の祝福などは、誰かが伝えなければ知る機会がありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのため、教会は世界中に宣教師を遣わし、<strong>誰もが自由に話を聞き、自分で判断できる機会を提供</strong>しています。</p>



<figure class="wp-block-image size-large"><a href="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2.jpg"><img loading="lazy" decoding="async" width="1024" height="576" src="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2-1024x576.jpg" alt="同僚とアパートで祈り導きを求める宣教師" class="wp-image-22003" srcset="https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2-1024x576.jpg 1024w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2-300x169.jpg 300w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2-768x432.jpg 768w, https://files.morefaith.jp/2026/07/3-2.jpg 1440w" sizes="(max-width: 1024px) 100vw, 1024px" /></a></figure>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>宣教師も、大きな喜びを見いだす</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">宣教師の奉仕は、教える相手だけでなく、<strong>奉仕する本人にも大きな祝福</strong>をもたらします。</p>



<p class="wp-block-paragraph">主は次のように約束されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">「一人でもわたしのもとに導くならば、…その喜びはいかに大いことか。」（教義と聖約 第18章15–16節）</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、モルモン書の預言者アルマも、人々がキリストに近づく助けとなることが自分の喜びであると語っています（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/bofm/alma/29?lang=jpn&amp;id=9-10">アルマ書 第29章9–10節</a>）。</p>



<p class="wp-block-paragraph">だからこそ、多くの伝道を終えた宣教師は「大変だったけれど、人生で最も充実した時間だった」と振り返ります。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>少しでも興味があるなら</strong></h2>



<p class="wp-block-paragraph">宣教師に会うと、「勧誘されるのでは」と不安に感じる方もいるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、教会は強制的な改宗を望んでいません。宣教師は、1人1人が自分自身でイエス・<strong>キリストについて学び、神様に祈り、自らの意思で信仰を選べるようお手伝い</strong>するために奉仕しています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">ラッセル・M・ネルソン大管長は、次のように教えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">神と聖約を交わした人は皆、ほかの人を気遣い、助けの必要な人に仕えると約束しています。神への信仰を示し、「〔わたしたち〕のうちにある望み」について尋ね求めるすべての人にいつでも応えられるように備えることができます。わたしたち一人一人に、イスラエルの集合において果たすべき役割があります&nbsp; （2022年4月総大会「平和の福音を宣べ伝える」）</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのために世界中で約88,500人もの宣教師が奉仕している今は、教会について知りたい方にとって、これまで以上に身近に話を聞ける時代となるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もし教会について少しでも興味があるなら、一度宣教師と話してみませんか。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、以前教会に通っていたけれど、しばらく足が遠のいているという方も、ぜひ宣教師に会ってみてください。</p>



<p class="wp-block-paragraph">責められることはありません。彼らはあなたの話に耳を傾け、あなたのペースを尊重しながら、イエス・キリストの愛と希望について分かち合ってくれるでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">教会史上最多となった約88,500人の宣教師たちは、今日も世界中で、1人1人に希望を届けるために奉仕しています。そして、その中の1人が、あなたとの出会いを心待ちにしているかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">参照：<a href="https://newsroom.churchofjesuschrist.org/">Church Newsroom</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"></p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e4%bc%9d%e9%81%93%e3%83%bb%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab/new-missionary-record/">教会史上最多の宣教師たち：彼らが世界で教える理由とは？</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e4%bc%9d%e9%81%93%e3%83%bb%e5%ae%a3%e6%95%99%e5%b8%ab/new-missionary-record/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>キリストは何をした人？クリスチャンじゃなくてもわかる解説</title>
		<link>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/what-did-jesus-do/</link>
					<comments>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/what-did-jesus-do/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[ainomata]]></dc:creator>
		<pubDate>Mon, 06 Jul 2026 05:48:47 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[イエス・キリスト]]></category>
		<category><![CDATA[あなた・わたしがキリストに近づくために]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://morefaith.jp/?p=21977</guid>

					<description><![CDATA[<p>結局キリストってどんな人なのか？</p>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/what-did-jesus-do/">キリストは何をした人？クリスチャンじゃなくてもわかる解説</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p class="wp-block-paragraph">「キリストは何をした人なの？」「イエス・キリストとはどんな人物？」「世界史を学ぶとなんで出てくるの？」</p>



<p class="wp-block-paragraph">高校生も含めて、このような疑問を持つ人も多いでしょう。</p>



<p class="wp-block-paragraph">クリスマスや教会の話で名前を聞いたことはあっても、実際にどんなことをした人物なのか知らない日本人は少なくありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">結論から言えば、<strong>イエス・キリストは約2,000年前に現在のイスラエル周辺で活動し、人々に神様の愛を教え、その生涯を通して世界の歴史に最も大きな影響を与えた人物の一人です。</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">現在では世界中で20億人以上の人々がイエス・キリストを信仰しており、その教えは宗教だけでなく、教育、福祉、芸術、法律、そして人権思想にも大きな影響を与えています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">そのため、世界史の教科書でも忘れてはならない人物として取り上げられています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">イエス・キリストは何をした人？</h2>



<p class="wp-block-paragraph">イエスは、人々に「神を愛し、人を愛すること」が人生で最も大切だと教えました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">当時のイエスが生きていた社会では、病気の人や貧しい人、外国人、社会から孤立していた人々は、十分に大切にされないこともありました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかしイエスは、そのような人々にも自ら近づき、励まし、食事を共にし、愛を示しました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">また、「敵を愛しなさい」「人を赦しなさい」「自分がしてほしいと思うことを人にもしてあげなさい」といった教えは、現代でも世界中で知られています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">新約聖書には、病人を癒やしたり、嵐を静めたり、お腹を空かせた大勢の人々を助けたりする奇跡も数多く記されています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">こうした出来事を通して、多くの人がイエスのもとへ集まり、彼の教えに耳を傾けました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、イエスの教えは当時の宗教指導者や政治権力者との対立を生み、イエスは十字架につけられて処刑されます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">それでもキリスト教では、イエスは3日後に復活したと信じています。この復活はキリスト教信仰の中心であり、世界中の人々に希望を与え続けているのです。</p>



<h2 class="wp-block-heading">キリストがしたことを3つにまとめると</h2>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>① 神様の愛を教えた</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">イエスは、「神様はすべての人を愛しておられる」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt/john/3?lang=jpn&amp;id=16">ヨハネによる福音書 第3章16節</a>）と教えました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">身分や財産、国籍に関係なく、一人一人がかけがえのない存在であるという考え方は、多くの人の人生を変えました。</p>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>② 愛を言葉だけでなく行動で示した</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">困っている人を助け、悲しむ人を慰め、病人を癒やしました。イエスは「愛しなさい」と教えるだけでなく、自ら愛を実践した人物でした。</p>



<figure class="wp-block-embed is-type-wp-embed"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<blockquote class="wp-embedded-content" data-secret="NG60gMjeqh"><a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/teaching-of-christ/">いつまでも色あせないイエス・キリストの教え：キリストが人生をかけて教えたこと</a></blockquote><iframe class="wp-embedded-content" sandbox="allow-scripts" security="restricted"  title="“いつまでも色あせないイエス・キリストの教え：キリストが人生をかけて教えたこと” — 信仰プラス" src="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/teaching-of-christ/embed/#?secret=0pymxMeZje#?secret=NG60gMjeqh" data-secret="NG60gMjeqh" width="600" height="338" frameborder="0" marginwidth="0" marginheight="0" scrolling="no"></iframe>
</div></figure>



<p class="wp-block-paragraph"><strong>③ 十字架と復活によって希望を与えた</strong></p>



<p class="wp-block-paragraph">キリスト教では、イエスは人類のために十字架で命をささげ、復活したと信じられています。そのため、イエスは「希望の象徴」として今も世界中で信仰されています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">イエスが残した言葉は、今のわたしたちにも語りかけている</h2>



<p class="wp-block-paragraph">イエスの教えは約2,000年前のものですが、その言葉は現代を生きるわたしたちにも深く響きます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">例えば、イエスは次のように語りました。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow">
<p class="wp-block-paragraph">「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt/john/13?lang=jpn&amp;id=34">ヨハネによる福音書 第13章34節</a>）</p>
</blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">また、人生に疲れや重荷を感じている人々には、このような言葉をかけています。</p>



<blockquote class="wp-block-quote is-layout-flow wp-block-quote-is-layout-flow">
<p class="wp-block-paragraph">「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」（<a href="https://www.churchofjesuschrist.org/study/scriptures/nt/matt/11?lang=jpn&amp;id=28">マタイによる福音書 第11章28節</a>）</p>
</blockquote>



<p class="wp-block-paragraph">これらの言葉は、当時の人々だけでなく、現代でも多くの人の心の支えとなっています。</p>



<h2 class="wp-block-heading">なぜ2,000年たった今でも多くの人がイエスを信じているの？</h2>



<p class="wp-block-paragraph">歴史上には数多くの偉人がいます。しかし、約2,000年もの間、世界中でこれほど多くの人々の人生に影響を与え続けている人物は多くありません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">その理由は、イエスが単に立派な教えを語っただけではなく、1人1人に価値があることを伝え続けたからです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">学校で悩んでいる人、将来に不安を感じている人、人間関係に疲れてしまった人、自分には価値がないと感じてしまう人もいるかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">イエス・キリストは、そのような人々を責めるのではなく、「あなたは神様に愛されている大切な存在です」と語りかけました。</p>



<p class="wp-block-paragraph">このメッセージは、時代や国を超えて、今も多くの人々の希望となっています。</p>



<p class="wp-block-paragraph">世界史の授業などでは、イエス・キリストは「歴史上の人物」として紹介されます。</p>



<p class="wp-block-paragraph">しかし、世界中の何十億人もの人々にとって、イエスは過去の人物ではなく、<strong>今も人生に希望と平安を与えてくださる救い主</strong>です。</p>



<p class="wp-block-paragraph">もし、あなたが「なぜこれほど多くの人がイエスを信じ続けているのだろう」と感じたなら、それはイエスについてさらに知る価値があるということかもしれません。</p>



<p class="wp-block-paragraph">歴史を学ぶことが、人生について考えるきっかけになることもあるのです。</p>



<p class="wp-block-paragraph">関連記事</p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/teaching-of-christ/">いつまでも色あせないイエス・キリストの教え：キリストが人生をかけて教えたこと&nbsp;</a></p>



<p class="wp-block-paragraph"><a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/jesus-final-week-on-the-earth/">イエスは地上での最後の一週間に何をしたのか？&nbsp;</a></p>



<figure class="wp-block-embed is-type-video is-provider-youtube wp-block-embed-youtube wp-embed-aspect-16-9 wp-has-aspect-ratio"><div class="wp-block-embed__wrapper">
<iframe title="【信仰と信条】モルモンが信じているイエス・キリストってどんな人？" width="800" height="450" src="https://www.youtube.com/embed/G5oFeT2kheo?feature=oembed" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture; web-share" referrerpolicy="strict-origin-when-cross-origin" allowfullscreen></iframe>
</div></figure>
<p>The post <a href="https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/what-did-jesus-do/">キリストは何をした人？クリスチャンじゃなくてもわかる解説</a> appeared first on <a href="https://morefaith.jp">信仰プラス</a>.</p>
]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://morefaith.jp/%e3%82%a4%e3%82%a8%e3%82%b9%e3%83%bb%e3%82%ad%e3%83%aa%e3%82%b9%e3%83%88/what-did-jesus-do/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
