人生をキャンバスにたとえる

上記のヴォルテールの名言の「愛」という言葉を「人生」に替えてみましょう。私たちは人生の日々によって飾り付けられるのを待っている真っ白なキャンバスと共に生まれてきます。良くも悪くも、毎日なにか新たなものがキャンバスに描かれます。キャンバスは、描かれるもの次第で、ヴィンセント•ヴァン•ゴッホの「ウィートフィールドと山」や「ラ•クロの収穫」といったような名作になったり、戦争の恐怖を描いたパブロ•ピカソの作品「ゲルニカ」のように暗く、恐ろしい仕上がりになったりします。

神に捧げる絵を描く

神に捧げる絵を描く

日々の小さな選択が私たちの芸術品を作り上げるのです。人生の締めくくりに、私たちは完成したキャンバスを持って創造主の元へと戻ります。私たちが描くキャンバスは人生という偉大な贈り物、また私たちに注がれる祝福に対する創造主へのお返しとも言えるでしょう。ピカソは才能あふれた芸術家で、彼の作品に込めた思いは賞賛に値するものですが、私個人としては、絵画を贈り物としてもらうのならば、リビングに飾るのはピカソの「ゲルニカ」よりもゴッホの「ラ•クロの収穫」を好むでしょう。逆に、私が誰かに絵画を贈る立場にいたとしたら、贈り物を受け取る人には、私が贈った絵画を見る度に平安と慰めを感じてほしいので、「ゲルニカ」ではそう上手くいかないでしょう。

わたしたちの存在の意味と目的は愛

人生とその目的とは何でしょうか?私たちが存在する意味とは何でしょうか?これらの質問の答えは簡潔、「愛」です。現世の後に続く永遠の世で、家族と共に平和と喜びに満ちた生活が出来るように学ぶ期間が、この世の人生なのです。それゆえ、人生とは愛なのです。二つを離すことはできないのです。

人生の芸術家として、自身のキャンバスにどのくらいの愛を注ぐかは私たち次第です。配色や色の濃淡、色合いなどを選び、自身の代表作を愛と平和に満ちたものにするのも、闇と恐怖に満ちたものにするのも、私たち次第なのです。愛とは光であり、闇ではありません。

雨の中の挙式 レオニード・アフレモヴ

Rainy wedding-Leonid Afremov:雨の中の挙式ーレオニード•アフレモヴ

私は、ロシアの画家、レオニード•アフレモヴの明るい作品たちに感銘を受けました。彼の作品、「Misty Melody(霧のメロディー)」「Magic Flowers(魔法の花たち)」「After the Date(デートの帰り)」「The Night Trolley(夜更けのトロリー)」などの作品を鑑賞して、私自身のキャンバスも、彼の作品のように明るい色と幸せな印象で一杯にしたい、と感じたのです。アフレモヴは明るい色の点や四角を駆使し、キャンバスから溢れんばかりの喜びと愛を表現するのです。彼の作品を見ると、絵画の世界に飛び込んで、作品のシーンの中心になりたくなるのです。夜更けのトロリーに乗りたくなるし、デートの帰りに愛する人と腕を組んで歩く絵の中の女性になりたい、と思うのです。

愛のキャンバスは喜びに満ち、光や幸せや、驚嘆に溢れたものです。私に与えられたキャンバスに愛の喜びを描いて、主に贈ることを考えるとむずむずと楽しみがこみ上げます。

芸術のレッスンなしには名作は生まれない

練習なくして名作を描いた有名画家はいません。バッハやベートーベン、モーツァルトといった天才も、練習なしでは美しい作品を創り出せなかったでしょう。彼らは半生をかけて作品を完成させたのです。それなのに私たちは、日々の芸術レッスンなくして人生における愛のキャンバスを完成させてよいのでしょうか?

この世に生を受けた時にまっさらなキャンバスを頂くように、私たちには作品を仕上げるのに必要なものも与えられます。虹の色全てや筆や画材が用意されているのです。私たちには、特別な霊の賜物や人格、性格が与えられています。母親、父親、兄弟や知人、友人や同僚、そして敵といったように、キャンバスに愛の絵を描くのに必要なものが与えられるのです。

月の日差しーレオニード•アフレモヴ

Sun of January- Leonid Afremov:一月の日差しーレオニード•アフレモヴ

乗り越える試練や下す選択すべてが私たちの作品の配色、色の濃淡、色合いを決めていきます。逆境に対する反応によって、私たちの絵画は日々、いやもしかしたら毎時間と姿を変えるでしょう。逆境は暗くやってきますが、私たちの反応によっては暗がりに明かりを灯すことができます。逆境にふけることは暗闇を深めますが、逆境を乗り越えようとする時に暗黒の霧は開かれ、浄化され、ユーモアと喜びの色があたりに飛び跳ねるのです。

キャンバスに絵を描くには練習が必要です。間違えてしまったらもう一度一から始められるように贖罪のテレビン油によってキャンバスを綺麗にすることができます。キャンバスは、日々の努力によって色々な色が混じり合い、毎日違った顔を見せるでしょう。愛を注げば注ぐ程、私たちの作品は明るさを増します。

道具棚

アトリエが散らかっていると作品にも支障が出るでしょう。人生の様々な出来事の中で、アトリエを常に整理整頓するのは至難の業です。正しい優先順位を保ち、整理整頓を心がけるには、補充のシステムと道具棚が必要です。品物をファイルにわける秘書なしでは補充もうまくいかないものです。芸術家の勝手も知らない道具棚など全く役に立ちません。

絵の具私の道具棚は、救い主の光と、人生のテレビン油ともいえよう救い主の贖いが収まりきるくらい大きくなければいけません。芸術的な才能を持って生まれたわけではない私は、その才能を求めて祈らなければなりません。すべての霊的な賜物は、祈りによって求めることができるのです。しかし、整理整頓の才能はあるほうなので、秘書はいりません。私は、天性の才能である整理整頓の技術を使って、人生の中の様々な経験を通して与えられる道具を仕分けします。私たちは、人生の問題を解決したり、試練を乗り越えるにつれて絵を描く為の道具を増やしていきます。人生において学ぶ知識、忍耐力、慈愛、親切心、赦しなどが必要なときすぐ見つかるように、すべて覚えておける場所に保管しておくことをおすすめします。

最上級の道具は、キリストの光に目を向ける時に手に入れることが出来ます。彼こそがすべての良いものの究極の出荷元なのです。仲介業者もいなければ、税金の課税もありません。彼からの唯一の請求は、わたしたちが従順でいることなのです。

この若いヒマワリのように,わたしたちは,神の御子である世の救い主に従うときに,多くの悲惨な状況に取り巻かれているにもかかわらず,花開き,輝かしい者となります。救い主は実にわたしたちの光であり,命であられます。…文字どおり混乱した厳しい世の中で生活しているキリストの弟子として,わたしたちは,救い主の愛に根ざし,謙遜に救い主の教えに従うならば,成長して花を咲かせることができます。(クエンティン•L•クック長老 『主は光』2015年4月の総大会より)

私たちのキャンバスの光であり命であられるのは、イエス•キリストです。究極の出荷元に従えば、私たちの人生の愛のキャンバスは、この世の旅の終わりに天の御父に差し上げるにふさわしいものに仕上がるでしょう。

 

 

この記事はTudie Roseによって書かれました。