2017年3月4日土曜日朝7時半ごろ、奉仕のため台湾台北神殿へ向かう途中であるメッセージを受信しました。「会長、日本の沖縄県でわたしたちを助けてくれる教会員はいませんか?林秉程(リンビンチェン)が心筋梗塞で病院にいるのです」という内容でした。オフィスに着いたわたしはメッセージをくれた朱一任(チューイーレン)兄弟に電話をし、どのような状況なのか聞きました。朱兄弟は沖縄で倒れた林兄弟の義理の兄弟です。2人の妻同士が実際の姉妹です。朱兄弟と林兄弟は、妻たちと彼女たちの2人の姉妹、彼女たちの母親と共に沖縄へ1週間家族で旅行に来ていました。「旅行に来た家族の何人かは早めのフライトで台湾に帰国するために、すでに空港にいます。わたしたちもホテルをチェックアウトして、空港へ向かう仕度をしています」と朱兄弟は言いました。「秉程(ビンチェン)は朝に胸の痛みを感じ、その直後に意識を失いました。彼の妻とわたしの妻がホテルで彼にCPRを施し、彼は救急車で沖縄協同病院へ搬送されました。現在、彼の妻と妻の姉が彼と共に病院にいます。彼らの子供たちは私たちと一緒にいて、今日の午後台湾に帰ります」わたしは朱兄弟に「彼に神権の祝福をしましたか?」と聞きました。彼は「いいえ。宿泊していたホテルには、朝は従業員がいないので、救急車を呼んでくれる人を探すので手一杯でした。」と答えました。2人の姉妹たちは、助けが必要に違いありません。

この会話の後、教会の住所録に目を通し、沖縄は福岡伝道部の管轄内であることがわかりました。そして福岡伝道部の伝道部会長であるブラッドリー・C・イーガン会長に電話をし、台湾の教会員が病院の救急治療室にいて、神権の祝福を必要としていると伝えました。イーガン会長は何のためらいもなく、「今すぐ沖縄で奉仕している夫婦宣教師に電話をします。」と言いました。電話を切ると同時に、兼城素緩(かねしろユーファン)という、1年に1、2回は台湾台北神殿に参入しにくる姉妹のことが頭に浮かびました。彼女は沖縄に住んでいるので、助けてくれるかもしれないと思いました。わたしは彼女に電話をし、事情を説明しました。彼女もイーガン会長と同じ反応で、「わたしは病院から20分離れたところに住んでいるので、今すぐ病院に向かいます。」と言いました。

兄弟姉妹の助け合い

この2人の助け手を見つけてから安心し、アジア地域会長会第二顧問であるデビッド・F・エバンズ長老の管理のもとに行われた地域指導者訓練集会に午前10時半から午後5時まで出席しました。昼食後、林兄弟が回復し、一家が無事にそろって台湾に帰れるように断食を始めました。同時に、朱兄弟は林秉程兄弟のために断食と祈りをしてくれるよう、ワードのソーシャルメディアを通して地元のワードの会員たちに連絡をしました。ワードの会員たちの中でたくさんの祈り、慰めや励ましの言葉が広がるのを目にしました。

集会後に林姉妹が、秉程兄弟がCATスキャンを終えたことを教えてくれました。林兄弟の心臓にはステント(血管などに置かれ、その組織を広げておくための機械)が設置され、医師は林兄弟の心拍が3日以内に自然に回復するか様子を見る必要があると言ったそうです。彼はまだ瞳孔が開いていて、意識不明のままICUにいました。林姉妹の不安は消えていませんでしたが、病院に来てくれた宣教師や会員たちに感謝していました。

翌日の日曜日の朝、わたしは林姉妹にメッセージを送り、何か容態に改善はあったか聞きましたが返事はありませんでした。聖餐会中に賛美歌「聖餐受くとき」を歌いました。御霊が、イエス・キリストの贖罪は真実で、このような辛い時には主を通して平安と慰めが見出せると証するのを強く感じ、目に涙があふれました。多くの会員たちが経験を分かち合い、証を述べ、教会員ではない林兄弟の母親と、2人の姉妹の家族に慰めの言葉を捧げました。彼らは沖縄から帰ってきたばかりで、断食日曜日の集会に出席していました。日曜学校の時間に兼城素緩姉妹からメッセージがありました。医師たちに、林兄弟はもうダメかもしれないので家族は心の準備をするべきだ、と言われたとのことでした。そして林兄弟の母親、妹とその夫が、秉程兄弟の神殿着を持って沖縄へ行くことを教えてくれました。

3日目の朝、林姉妹から電話があり、午前10時に医師が来て夫の死を診断すると言いました。家族は林兄弟が日本で亡くなった後、火葬することに決めたそうです。彼女の心がボロボロになっていたことを感じ、わたしはもどかしい思いでした。彼女に、わたしが兼城姉妹に電話をして、誰か林兄弟に、死に装束として神殿着を着せるのを手伝ってくれる神権者を探してくれるよう頼むようにすることを伝えました。兼城姉妹に連絡をしたときには、彼女は病院へ向かう途中で、那覇第一ワードの武富良行ビショップも宣教師と一緒に病院へ向かっているところでした。医師は午前10時29分に林兄弟の死を診断しました。

秉程兄弟が倒れてから4日目に、沖縄にて火葬と葬儀が行われました。後に兼城姉妹から、葬儀は日本沖縄ステークの與座(よざ)宏章会長のもと行われたと聞きました。参列したのは與座会長と妻、会長の両親、那覇第一ワードの武富良行(たけとみよしゆき)ビショップと顧問の2人、芝山那惠瑠(しばやまのえる)兄弟、與那嶺(よなみね)兄弟、兼城素緩(かなしろユーファン)姉妹、夫婦宣教師と若い宣教師、林姉妹と姉、林兄弟の母、妹、そして義理の弟でした。兼城姉妹いわく、葬儀は小規模で小さなものでしたが、主の御霊が皆の心を満たし、参列者たちは聖霊から大きな影響を受けたそうです。林兄弟の母親と妹は教会の会員ではありませんが、彼女たちも賛美歌を歌い、参列者たちと共に祈りを捧げました。同時に、彼女たちは神権の祝福も受けました。與座会長と兄弟たちは、葬儀の後、林兄弟の棺の担ぎ手も務めました。林一家は、初めて会う福音の兄弟姉妹たちに励まされ、慰められ、彼らの奉仕に非常に深い感動を覚えました。

3月8日水曜日、ワードから30名以上の会員たちが、夫の遺骨と共に日本を出国する林姉妹を見送りました。悲しみが彼らの心に訪れました。しかし、林姉妹からこの数日の間、沖縄の聖徒たちがどのように一家をもてなし、救ったかということを聞かされ、心が慰められました。医師が那覇第一ワードのビショップリック第二顧問である芝山那惠瑠(しばやまのえる)兄弟で、彼がとても謙遜で助けになってくれたことは偶然ではなかったと、林姉妹は言います。それまで面識はありませんでしたが、兼城姉妹が病院を訪れた時、一家は天のお父様が林兄弟を芝山兄弟のもとへ連れてきてくれたことで、彼らは主に見守られていると認識したそうです。芝山兄弟は林姉妹に、もうすぐ他の病院へ転勤になるため、林兄弟が協同病院での彼の最後の患者だと言ったそうです。芝山兄弟は、林兄弟の命を救えずに申し訳なく感じていました。でも彼のおかげで、宣教師たちは面会時間外に集中治療室に入り、神権の儀式を施すことができました。また、林姉妹は、芝山兄弟が個人的に林兄弟の遺体を抱き上げ、棺桶に納めてくれたことにも感謝していました。

與座会長夫妻は、一家のために食べ物や飲み物を何度も病院に届けたそうです。與座会長と武富ビショップはどちらも高校教師で、当時沖縄は高校入試試験期間中だったため、多忙だったことでしょう。兼城素緩姉妹は林家の通訳者となり、彼らにほぼ付きっきりでした。また彼女は、これは神権指導者が霊的に成長する機会だった言います。彼女は、主の謙遜な僕である彼らに大変感銘を受けました。

この経験からわたしたちのワードの会員たちは、教会は世界中のどこでも真実なのだと学びました。わたしたちはみんな天のお父様の子供たちで、わたしたちはどこへ行こうと一人ではありません。わたしたちは、日本の素晴らしい聖徒たちの救助活動に感謝しています。

 

程兄弟と妻の陳家湘(チェンチアシャン)姉妹は2014年11月2日に末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)の会員として確認されました。夫妻は美しい二人の子供たちと共に2015年12月19日に台湾台北神殿にて永遠の家族として結び固められました。一家は台湾桃園ステーク桃園第三ワードの会員です。林兄弟の享年は45歳でした。

 

この記事はArnie Chenによって書かれ、Facebookに“A Sad But Uplifting Rescue Story”という題名で投稿されました。