伴侶と共に福音の道を歩む…一緒に教会に出席し、信仰深く責任を果たし、そして福音を道標として子どもたちを育てる。こういう生活が、突然伴侶が信仰を失ってしまうという結果に終わるとしたら、どんな気分でしょうか?

最近、わたしはそのような状況に遭った人々にインタビューをしてきました。そしてそれは信じられないほど困難な経験でした。まず第一に、伴侶が神殿の聖約を拒むことに関しては、度々裏切られたような、心の痛みが伴います。これに伴い、福音を中心とした家族を築くという夢が壊れてしまいます。そして、伴侶が欠けた状態でどのように祈り、教会への出席、家庭の夕べ、聖典勉強、また福音に関する話し合いなどを家族のなかで完全なものにすることができるかという、日々の痛ましい現実が襲いかかるのです。

これらの試練にも関わらず、この問題を経験した、そして今まさに経験している人の多くは、進むべき道はあると言います。もしあなたが、またはあなたの愛する誰かがこのような試練を経験しているなら、以下の記事はこれから先の道しるべとなるでしょう。

悲しんでもいい

わたしたちが試練に直面するとき、わたしたちはしばしば自分たちに厳しくしすぎてしまいます。しかし、心の痛みがそこに存在することは無視しようがなく、それは認められるべきものです。そうでなくては、取り残された感情の全ては憂鬱な、さらにはわたしたちの人生において有害な力となるでしょう。祈りの気持ちで、悲しみに飲み込まれることなく悲しむ方法を探しましょう。日記を定期的につけること、信頼できる友人に話をすること、慰めを得られる聖句を暗証することなどについて考えてみてください。落ち込んでいるときは涙を流すことを恐れず、自分自身に今まで以上の慈愛を示しましょう。このような悲しみの感情は繰り返し訪れるかもしれないということを覚えておいてください。ご主人が何年も前に教会を去ったという女性はこう言います。「彼が子供の証を聞きに教会に来ることを拒んだり、宣教師を食事に呼びたいのに彼とまず交渉しなければならないと考えたりすると、大きな悲しみに襲われます。」

この悲しみが訪れたとき、自分自身がそれを感じるのを許してください。しかし同時に、あなたの心の痛みを和らげる光と力を探し求め、その状況から最大限を得られるようにしてください。

証を強める

伴侶が信仰を失ったからといって、あなた自身の証を強め、育てることが疎かになってはいけません。自分自身の霊性を保つことを今まで以上に優先してください。毎日聖典を読み、学んでいますか?ただ流し読みしたり、やるべきことリストにチェックするためだけのものになってはいませんか?祈りや瞑想を通して、主と繋がる時間を設けていますか?総大会の説教をよく勉強することで得られる贈り物を、十分に享受していますか?ジェラルド・コセービショップによる「あなたにとって福音は今でもすばらしいものですか」や、ケビン・W・ピアソン長老による「命の木のそばにとどまる」、そしてジェフリー・R・ホランド長老の「主よ、信じます」といった話は特に助けとなるかもしれません。

教会と神殿への出席を交渉の余地のない確固としたものにしましょう。わたしが話をした人々にとって、できるだけ多く神殿に出席することは大きな助けとなっています。「わたしにとって、神殿に定期的に参入することはとても大きな違いをもたらします。」と話してくれたのは、大家族の母であるマリーです。彼女はこう続けています。「神殿に参入することでとても大きな平安と強さを得られます。」伴侶とではなく、たったひとりで神殿に参入することはとてもつらいことだという人もいるかもしれません。しかしあなたがやり通せば、受ける祝福は十分すぎる程でしょう。自分自身の証と霊的な成長に意識を払えば、タンクいっぱいの強さと、聖霊の導きが与えられ、あなたが前に進む上で力強い変化をもたらしてくれるでしょう。

伴侶の選択を個人的に受け止めない

ある人が信じることをやめたとき、その人の伴侶はしばしば原因は自分にあると考えがちです。家庭の夕べを定期的にしていなかったり、家族の聖典勉強の時間をスキップしてしまったり、毎日家族で祈ることができなかったりすることでそう感じるかもしれません。もしあなたが、あなたの伴侶が信仰を失ってしまった原因を自分のせいと感じているなら、やめてください。あなた自身を許して、主の赦しを求め、そして前に進みましょう。前に進むためには、すべてのエネルギーと集中力を集める必要があります。あなたがあなたの人生を歩むように、あなたの伴侶には、伴侶自身の人生を歩む機会を与えてください。あなたの伴侶が教会を離れたからといって、あなたが何かに失敗したわけではありません。なにがあろうと、あなたは成長する家族の一員なのです。

伴侶とはっきりとした言葉でコミュニケーションをとる

あなたの現状について、伴侶と直接、愛を持って話し合いましょう。あなたがどのように前に進もうとしているのかを話し合ってください。例えばワードディナーなどの教会の活動への参加など交渉可能なもの、そして日曜の教会への出席など交渉不可能なものについて話し合いましょう。思慮深く、祈りの気持ちで伴侶とどの程度福音について話し合えるか、そしてどの程度(少なくとも現時点では)礼拝を自分自身のものにとどめておくべきか見つけましょう。ある姉妹は、どんな宗教に関する話もすぐにネガティブな話に変わってしまうので、今は旦那さんと宗教の話は全くしないといいます。「わたしたちの間には、話しあうことのできないテーマが大きな穴のように空いています。悲しいことですが、それらについては話し合わないことがわたしたちの今の結婚生活にとっては最善なのです。」

子供のことについて、宗教に関する考え方の違いをどう扱っていくかを伴侶と話し合うのは特に大切なことです。わたしが話をした、信仰のある伴侶たちは、信仰を失ってしまった伴侶が結婚当時の選択、つまり子供を教会で育てるという選択を重んじてくれることに感謝していると言いました。信じることをやめた伴侶たちの多くはそのリクエストを重んじますが、そうではない人もいます。ある兄弟、姉妹たちは、一度は活発に信仰を深めた伴侶が子どもたちに教会について否定的な話をするという状況に置かれています。大体の場合、こういう状況にいる両親は、常に子どもたちの質問や疑問について話し合い、信仰深く信仰を深めるよう行動することで、教会に関する否定的なインパクトを回避しようと努めています。

助けを求める

時には試練の中を力づくでおし進むのが解決につながるとしても、伴侶が教会を離れた時に自分一人でどうにかしようとするのは孤独でしょう。一人で頑張る必要はありません。もちろん天のお父様はあなたの味方ですが、それ以外にもあなたの周りにはたくさんの人がいます。ひとりの姉妹は、家族や友達、そして教会の家族に自分の家族が経験している試練を知ってもらうことがとても大きな助けになったと言いました。彼女が人々に彼女の家族が必要とする奉仕や祈りについて知らせたとき、彼女の旦那さんはこの価値ある奉仕をサポートしました。彼女は特に子どもたちのプライマリーの先生、青少年の指導者たち、セミナリーの教師たちに、彼らの父親の決断を伝え、子どもたちに特に注意を払ってくれるよう頼みました。「人々はとても親切で、思いやりと愛情で満ちた対応をしてくれました。」と彼女は言います。「わたしは家族や友達からのサポートに心から感謝しています。」

神の深い慈愛を探し求める

伴侶が教会を離れたとき、うまくいっていないことに集中するのは簡単かもしれません。教会に一人で出席すること、家庭から神権者がいなくなったことなどがその例です。でも、感謝すべきことはそれでもまだ周りに溢れているはずです。ヨーロッパ出身のある姉妹は、主がまさに必要なときに必要な助言やアドバイスをくれる人々を彼女のもとに送り続けてくれたことに特に感謝していると言います。アリゾナ州出身の姉妹は、ワードの神権者たちが子どもたちに祝福を授けることで、家庭から失われてしまった神権の溝を埋めてくれたことに対して感謝を示しました。中央アメリカ出身のポール兄弟は、教師という教会での責任がどのように自分を霊的に高め、教えてくれたかについて感謝して、こう言います。「教師という責任の良い所は、個人的な勉強をさぼりたかったとしても、それができないという点です。」これらの人々は全員、彼らが心から求めるもの、彼ら共に信仰の道を歩む伴侶を持っていませんが、それでも彼らはワードの家族や責任などに祝福を見つけ、大きな安らぎを得ることができています。