“系図”という言葉を耳にすると、ついついぼんやりしてしまう。系図がばかばかしいとか、興味がないとかいうことではない…と言ったら少し嘘をついていることになってしまうかもしれない。系図に夢中になれる人は沢山いるし、うちの母も先祖のことを調べるのは得意。その情熱が、わたしには欠けている。 系図という言葉を少し変えて、「家族歴史 」について話しましょうと言うなら、途端に、わたしの耳は冴え、頭の中はたくさんの物語で一杯になる。わたしにとって、物語や写真が、系図に現実味を与えてくれるのだ。

 

「家族歴史」を身近なものにするためには

子供たちをその気にさせて、家族歴史を楽しませるのは、信じられないくらい簡単なことだと分かった。我が子のお気に入りは、写真を見ること。インターネットや博物館、歴史資料館などの施設のおかげで、先祖の写真は以前より簡単に手に入れることが出来る。子供たちにとって、この世を去って久しい人々の存在も、顔を見ることによってすぐに現代によみがえるのだ。 そんな面々には必ず物語がつきもの、というのも素晴らしい点である。義理の母は、自身の子供それぞれに家族歴史ブックたるものを作った。本の中には、昔の(そして近年の)家族の一員の歴史や経験が書かれている。そればかりではなく、義母は家族歴史ブックに系図を書き込み、どの人物が家族のどこに属するのかわかりやすくしていた。彼らのお気に入りの歌の歌詞といったものまで含まれているので、たいしたものだ。この本は夫にとって宝のようなもの。子供に伝えたい物語があるとき、よくこの本を読み返している。 わたし自身、家族歴史の全貌を理解し始めたのは、高校を卒業する頃だった。丁度その頃、わたしの先祖にあたる人物についての本が出版されたのだ。先祖の名前はジョージ•レイノルズといって、彼はモルモン教の指導者から当時、試験的目的で一夫多妻制の実行を依頼された人物の一人だったらしい。自分の先祖が一冊の本になるくらい興味深い人物だったとは、信じがたい出来事だった。 その少しあとくらいから、それまで内容のないぼやきと感じていた祖父の話にもっと耳を傾けるようになった。わたしは、祖父の死直前に、彼が後世に伝えようとしていた彼自身と、わたしが会ったことのない祖母の話をもっと聞いておくべきだった、とやっと気づいたのだ。このことは、今でも後悔している。

 

子どもたちに伝えることの価値

ではなぜ子供が家族歴史に興味を持つようにわたしたちが努力しなければならないのだろうか。モルモン教が作成した『正しい価値観を家庭で教える10の方法』(“10 Ways to Teach Values in the Home”)という冊子には次のような経験が掲載されている。

「わたしの家族は、それぞれの見た目の特徴が違っています。兄とわたしは赤毛ですが、両親と弟の髪の色は茶色です。兄も弟も背が高いけど、わたしは違います。母も背が低いです。父はなかなかの長身です。父と弟の目の色は茶色で、母と兄は緑。わたしはラッキーなことに栗色の目です。 何年もの間、わたしはこの家族の養子だと思っていました。だって見た目が家族と違うんですから。わたしの見た目の特徴はどこから来たのか、長年理解できませんでした。しかしある日、家族歴史の話をしていたとき、父方の先祖(とっても昔の人たち)にレッドヘッド(=赤毛)という名字を持つ家族がいたことがわかったのです。なんだかおもしろい、と思いました。それだけではなく、母方の先祖には赤毛と栗色の目を持つ一族がいたことがわかったのです。なんだか突然、自分は家族の一員だったのだという実感が湧きました。」

同冊子には子供が家族歴史に携われるよう手助けをするための提案がいくつか載っている。まずは子供たちに自身の先祖についての話をしなければならない。直属の家族だけにとどまらず、遠い親戚の話でもいい。親族の行事に参加して、親戚との交遊を深めることも大切だ。親族に、自身の両親や祖父母との思い出話をしてもらう。できれば録音するのも良い。義理の兄は、亡くなる前に祖母の話を録音してCDに焼くことができた。おかげで、わたしの子供たちは曾祖母の写真を見たり人づてに話を聞いたりするだけではなく、本人の肉声も聞くことができるのだ。最後に、これらの記録を子供たちにもあげるのが大事である。 家族歴史とは、ただ単に名前と日付を扱うだけのものではない。子供に楽しませるのが醍醐味なのだ。そのような努力をするとき、マラキ書4章6節に書かれている預言が成就するのである。すなわち、

「彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。」

 

その他の家族歴史の資料

 

 

この記事はローリー・ウォーカーによって書かれました。