従順とは、どういう意味なのでしょうか?私は大抵の人が良い意思を持っていることを学びました。しかしながら約束をすることと、従い続けることは異なるものです。従い続けるときにあなたは誠実になり、他の人の信用を得ます。子どもの従順は、従い続けることの完璧な模範です。両親が教え、子どもは従います。

子どもはおもちゃを片付け、ベッドルームを綺麗にしようと思っているかもしれません。しかし、おもちゃが片付いて部屋が綺麗になるまで、その思いだけでは両親を喜ばせることは出来ません。

もしあなたが何かを行う様に言われたら、

そして、それをほんとうに行なおうとするなら

決して中途半端ではなく

完璧に惜しみなく行ないなさい。

へたな言い訳をしたり、

受け身になったり、弱気になったり、不安定にならないならば、

全ての従順さはその名通りに

迅速に備えられるだろう。

作者不明

 

従順と誠実の関係

従順は誠実になくてはならないものです。法律に従う人たちは尊ばれ、信頼を得ます。雇い主と管理者はルールを守り、指示に従う従業員を評価します。天のお父様は戒めに従順である人の誠実さを評価し、報いてくださいます。

何年も前のこと、とても素晴らしい志をもった若い弁護士と一緒に働きました。彼は才能あふれる青年で、法律を多岐にわたって理解していました。そのうえ彼は沢山の素晴らしい特質を持ち、とても親切な人でした。しかし残念なことに最後までやり遂げるという意志はそこにはありませんでした。先輩の弁護士は彼に仕事を与え、彼はその件に関する法律をあらゆる観点から調べましたが、その後彼は他の興味のあるテーマを調べるのに移ってしまいました。その割り当てを処理するための実際のポイントは決してまとめられないようでした。この青年はとても聡明で、 法律に精通していたので、先輩弁護士は、仕事をやり遂げると信頼していました。

私が1人の先輩の弁護士にこの情報を知らせに行っても彼は親切でしたが、それを真剣に受けとめようとはしませんでした。なんといっても私は21歳の弁護士秘書で、この法律事務所の他に何も経験がなかったからです。ほぼ2年近く経ち、先輩の弁護士は私を昼食に連れ出し、私に謝りました。その昼食の席で、私はその若い男性はもはやこの会社にはいないことを告げられました。

どれくらい知能があって頭脳明晰であっても、従順でなければ高潔とは言えません。若い弁護士は、良い意図をもって仕事をしていました。ただ、彼は仕事の中の楽しいところを調べているうちに法律的な様式と書類を軽視し、つまらないことを考えていました。彼は「中途半端」に行ない、「惜しみなく完璧」に行おうとはしませんでした。

ビジネスの世界で失望させられることの1つとして、良い意思をもった従業員が最後までやり遂げないことがあげられます。それは雇い主を失望させるだけではなく、同僚をも同様に失望させます。この素晴らしい可能性がなくなってしまうことをあなたも知っていると思います。やり遂げきれないということは皆にとって同じかどうかは分かりません。時に、それは全くの怠け心であることもあるでしょう。あるいはこの若い弁護士のように、日常に目を向けることを学習することなく、現実の世界で役に立つことを知りたいという熱情を抑えていないのです。

 

誠実であることの大切さ

仕事はさておき、個人の誠実さを向上させることは人間関係の中で重要です。夫と妻はそれぞれが約束したことをしているか知る必要があります。子供は父親と母親の言うことが本当の事であり、両親を信頼できると知る必要があります。隣人は互いを信頼することを望んでいます。

更にもう1つ次のステップを踏みましょう。私たちがこの地上にいるのは、試され、学び成長するためです。私たちの天の御父はこの人生の旅路を導くために戒めや割り当て、助言を与えてくださいました。天のお父様は最後まで私たちを信頼し続けることができるでしょうか?わたしたちが才能を伸ばしたり、人に仕え、 責任を果たす代わりに、愚かな時間を過ごす時に、天の御父はどれだけがっかりされるでしょうか?

わたしたち一人ひとりには成長のため、そして人のために使うように特別な賜物が与えられています。あなたは天の御父がどうでも良いことに時間を費やしている私たちを、父親として見ていることを想像できますか?誰しも親であれば、子供達が従わない時にイライラしたことがあるでしょう。親は子供たちを害から守り、成長し、学ぶのを助けたいと思っています。それは規則や方針を守ることを通してしか不可能です。

「力強く、積極的な従順というものは弱さや受け身とは無縁です。それは、神を信じるわたしたちの信仰を宣言する手段であり、わたしたちが天の力を受けるための資格です。従順は一つの選択です。それは、自分の限られた知識や力に頼るのか、それとも、神の無限の知恵や力に頼るのかの選択です。(十二使徒定員会 L・トム・ペリー 「忠実さから生まれる従順」 2014年4月総大会)

皆さん、主が私たちに寄せられた信頼にこたえて生活しようではありませんか。いかにありきたりで小さなことに見えても、すべてのことにおいて高潔さを実践できる人になりましょう。小さなことが積み重なって私たちの生活を形作るのです。(十二使徒定員会 ジョセフ・B・ワースリン「高潔な人」1990年4月総大会)

従順は人が誠実になる道です。私たちは「迅速に準備して」物事を「完全に惜しみなく」行わなければなりません。わたしたちは決して従順と高潔になる試みを「中途半端」にしてはなりません。

 

この記事はTudie Roseによって書かれました。