あなたにとって、教会とはどのような場所ですか?どのような人が行く所なのでしょうか。ある人は、教会とは完璧な人たちが集まる場所だと思い、教会から離れてしまいました。自らの意志で教会を離れてからも、彼女は苦しみます。そしてついに彼女にとって教会がどのような場所なのか、御霊を通して理解したのです。

 

道をそれてしまった

『悪魔は狡猾なものだ。堕落する一時間前までは、神でさえも天国で彼を美しいものと思っていた。』(アーサー•ミラー『るつぼ』)

まずは告白しなければならないことがあります。しばらく人にはお話してこなかったことです。会話の中でもごまかしてきたことでした。かなり心をゆるした人にも怖くて伝えられなかったことです。尊敬している人や、感心されたい人たちの前で正直に認められなかったことなのです。書いているうちに、「やっぱりやめようか」という気持ちになってきましたが、わたしはもう一年以上教会に行っていないのです。

わたしの問題は、ある日曜日の朝、寝坊して教会に行けなかったのが癖になってしまい、もう何度も行けていないというような単純なものではありません。そんなことだったらよかったのに、と思います。ある日よく考えた後で、もう教会には行かないと決めたのです。教会から帰ってきて靴を脱ぎ捨て、書斎の椅子に座り、もうこれきりだと決めたのです。日曜学校でいらいらするのも、苦労のあげくに得た意見を扶助教会中の話し合いで分かち合うのも、もうこりごりでした。3時間の集会のあと、活動への出席簿を集めたり何時間もかけて後片付けをしたり、利用されたような気持ちになることにうんざりしたのです。安息日にくたびれるのに嫌気がさしたのです。「そもそもなんでこんなことしているんだっけ」と考えたり、奉仕して過去の過ちを償おうとしたり、偽善者になることに疲れてしまったのです。

「今までの人生で学んだことがあるとすれば、人は赦すことはできるが、忘れることはできないということです。」

わたしは過ちを犯したのです。それも重度の。罪の告白をしなければいけなかった女の子はわたしだけじゃないと解っていても、わたしにとっては初めての経験でした。実際のところ、数年前に新たに召されたビショップと家族そろって面接をしたとき、「大丈夫ですよ、ビショップ。わたしたち家族の心配はいりません。いろいろと慣れてますから。」と自信を持って答えたことをはっきり覚えています。わたしたち家族は補助組織の指導者で、神権会の指導者であり教師でもあり、それに加えて熱心な会員宣教師でもあるといった具合に、ワードの中でとても強い会員一家だったのです。ただ教会に出席していただけではなく、食料貯蔵からガールズキャンプのレッスン、秋のピクニックやワードのクリスマスパーティー、と、ありとあらゆる活動の主要企画者だったのです。

それだけではありません。家庭内でも家庭の夕べや聖典学習、宣教師に食事をもてなしたり「するべきこと」はしていました。わたしは他の会員に感銘を与える存在だったのです。行い、つまり教えたレッスンや計画した活動のせいではなく、わたしの信条がそうさせたのです。わたしには様々な概念について普通の人が一生かけてもわからないような深く個人的な証がありました。

それもただ信じていただけではなく、確信していたのです。心から感じ、この目で見たのです。

でも、まばたきしていた一瞬の間に全てがどこかへいってしまったようなのです。

今振り返っても、この崩壊へと続いた道についての説明をすることはできません。いつどこで崩壊が始まったのかわからないし、サタンの攻撃をどのくらい受けていたのかも説明できません。

何年もかかったのかもしれません。いや、一生にわたって続いていたものだったのでしょう。行程がどうであれ、結果は同じです。いくつもの小さな選択がこのような結果を招いたのです。道を間違え、反抗し、怠け高慢になる負の連鎖によってわたしは堕ちてしまったのです。

堕ちるところまで堕ちました。

いつかは決断を下さなければなりませんでした。間違ったことをしていることも、それをいつまでも続けることはできないとわかっていたのです。少なくとも方向転換をしなければいけなかったのです。どこへ向かうか決めなければいけませんでした。ありがたいことに、主の恵みのおかげで御霊がわたしに働きかけ、自身の中に正しいことをしたいという望みはありました。だから祈りは続けました。ステーク大会にも出席しました。話だって聞きましたし、答えを見いだすこともできました。促しに従ったことで御業が始まったのです。

悔い改めのプロセスは厳しいものでした。主人に正直に伝えたり、ビショップとの面接、聖餐をとれないこと、全てが心痛の連続でした。毎週が再認識の機会でした。毎朝目が覚めて少しの間だけ忘れることはできても、すぐに重さに押しつぶされてしまうのです。ベッドから出たくない日や起き上がりたくない日もありました。でも努力したのです。

聖餐を取る祝福を失ったことから家族の中に入った亀裂まで、全てはわたし自身が引き起こしたことで、修復する責任があると知っていました。自分で自分の行動の責任を取る必要があったのです。改めて家庭に全力をつくそうと決めました。もう一度ホームスクールの母親としての役割を果たすことにしました。 自分がしてしまったことからくる罪悪感や、傷つけてしまったであろう人を思うことからくる心痛から逃れるために本棚を組み立てたり、クレヨンの色を揃えたり、様々なことに取り組みました。赦してもらうためなら、という熱情を持って行ったのです。すべてやり直せると確信していました。

でも、だめでした。気持ちは晴れず、痛みは消えませんでした。誰の痛みも消えなかったのです。むしろ悪くなる一方でした。

 

どん底へ

だから諦めたのです。何ヶ月もの努力の後、体力的にも感情的にも疲れきってしまい、書くことや自分らしさを表すあらゆるものを捨てた後で、もうやめにしたのです。結論にたどりついてしまったのです。

中には組み合わない骨がある。

癒えない傷もある。

そして、どんなに頑張っても、元通りにならない過ちもあるのだ。

もう終わりでした。偉大な、永遠のスケールで、消すことのできない損傷がついてしまったのです。わたしは自身の役目を果たすことに失敗し、それに関してはどうすることもできなかったのです。現実を受け入れなければなりませんでした。

「ミスティ、これは不可能なことですよ。あなたには無理です。不十分なのです。」

信じていたこと全てを捨てました。信仰を持って正しい選択をしたなら、どうしてひどい痛みが続いたのでしょう?悔い改めたのにも関わらず、どうして物事はめちゃくちゃなままだったのでしょう?言われたことを全て行って、するべきことをすべてしていたのに、悔い改めの効果はなかったのでしょうか?何が間違っていたのでしょう?そして、こんな失望には耐えられない、と決めたのです。もう戻れないところまで来てしまったと感じて、頑張るのをやめたのです。もう証などありませんでした。自分が何者かもわからず、こんなところで、何をしているのかもわかりませんでした。信じていただけではなくて、確信していた概念を捨てたのです。自分自身に対する希望を捨てて、人生をあきらめたのです。

すがれるものは、家族への愛情だけでした。何を信じていたかに関わりなく、家族だけは大切にしました。

自分と家庭と家族が崩壊しないように最善の努力をしました。しかし動機や信仰に欠けていたので、そのうち壊れたエンジンのように燃え尽きてしまったのです。わけのわからないことを言ったり、息苦しくなったりしました。非現実的な期待と鬱、心配事や異常なまでの情緒不安定といった負の連鎖から集中治療室に運ばれ、そこに3日間いたこともあるくらいです。それで感情や霊性の問題だけではなく、自分には心理的な問題があると気づいたのです。文字通り、地に堕ちてしまったのです。深く、暗く、汚い穴の中にいるようでした。どん底にいたために、残された道は上に進むだけでした。

 

復活への道のり

それでやっと治療が始まったのです。病名ですか?極度の不安から来る発作と、ひどいホルモンの変動による憤怒といった症状を伴う重度のパニック障害と言われました。まわりからの(そして自分が持っていた)期待に応えようと必死になりすぎて、それを少しでも下回ることに恐怖を抱いていたのです。入院させられることだけはなんとか避けて、婦人科医、療法士、そして精神科医による治療を受けることを約束しました。嫌々続けた通院生活中は、わたしにとって気分のいいものとはいえないようなテストや治療を受けさせられました。「つらい幼少期」や「当時の気持ち」について振り返らさせられたり、「対応」術を練習させられたりするカウンセリングに定期的に(時には週に数回)通い、ジェットコースターのようなめまぐるしい効果に耐え抜きました。他人の決定に黙って頷き、苦しんでいることを夫以外の誰にも感づかれないように笑顔を振りまき、良い患者として処方された様々な薬を服用しました。

なんと驚いたことに、徐々に効果が出始めたのです。ゆっくりと生活が改善したのです。ライフスタイルや食生活を見直し、物の見方を変え、非現実的な期待を捨てるなどの犠牲を払わなければなりませんでしたが、確実に効果があったのです。とても長い間感じることができなかった幸せを感じることができるようになりました。数ヶ月後には、パニック障害の症状はほぼ治まり、発作を引き起こすことはほとんどなくなりました。全てが元通りになってきたようでした。ほとんど全てが。

まだなにか欠けているものがあったのです。わたしの症状がどんなに改善しても夫の苦しみは続き、二人の間にかつてあった甘く愛おしい関係はなかなか戻ってきませんでした。心の底では犯人が誰かはわかっていました。夫は何度も「教会へ戻りたい、霊的に強められたい」という希望をもらしていたのです。しかしわたしはこれまでにないくらい、活発に教会に集っていた時よりも好調で、教会での責任や他人からの期待なんて絶対に避けたいものだったのです。それでなくても今あるものと向き合うバランスを、やっと見つけたばかりだったのです。少なくとも、それが現実だと思っていました。

でも本当のことをいうと、ただ単にふさわしくないと感じていたのです。もちろん、よく油の注されたマシーンのように家事を完璧にこなすことも、めんどりのように母親業をこなすことも、デートの為に巻き髪と素敵な服でばっちり決めることもできました。でも、もう「教会の良い子」にはなれなかったのです。パニックして呼吸過多に陥り、くしゃくしゃにならずには扶助協会の話し合いさえ乗り切れなかったのです。聖餐会で御霊を感じることができなかったのです。ビショップには心配ご無用の「エリート」会員ではなくなってしまったのです。内心、もう日の栄えに行くのは無理だと思っていました。まわりの人からしたら、わたしはまだまだスーパーウーマンで、わたし自身が本当はそうではないという事実を認めたくなかったのです。

 

希望再発見

親愛なる友人の勧めで、時間を取ってわたしが必死に探していたものは何なのかを分析することにしました。不可解にもわたしはまだ何かを探していたと気づかされたのです。彼の見解を分析する以外に選択肢が残されていない状態に追い込まれてやっと、自身の見解と向き合うことができたのです。すると、約18ヶ月前のステーク大会でコー会長が言った言葉が頭から離れなくなりました。もともとわたしが良い選択をしたいと思わせる霊感をくれた、わたしが祈りの答えだと感じた、あのお話でした。彼の言った言葉は「自分がほしいと思うものをあきらめなさい。」

 

あきらめる…

わたしにとって深い意味を持つ言葉でした。あきらめなければいけない時が来たのでした。何ヶ月も前に、わたしひとりでは無理だと感じたのは正しかったと認めなければなりませんでした。どんなにしっかり者のふりをしていても、ひとりではできないということを。そして、それで良いのだ、ということも認めなければいけませんでした。

「ミスティ、これは不可能なことですよ。あなたには無理です。不十分なのです。少なくとも、あなたひとりでは。

かつてどこかで、サタンが人をだますのが上手い理由は、サタンは事実を利用して人をだますからだと読んだことがありました。事実に嘘をそえて。わたしのケースでは、その嘘というのは、わたしひとりでこなさなければならないということでした。自立して現世を自分自身の努力で乗り切れなければ、負け犬だという嘘でした。自分は優秀で、特別で、エリートで、他とは違うから助けなんていらないという嘘でした。誤りだらけで欠陥だらけの高慢で現世的な考えしか持たないわたしは、主よりもよくわかっていると思っていたのです。コントロール権は自分にあると思い込んでいたのです。

なんて愚かだったのでしょう。

わたしには主が必要だったのです。福音が必要だったのです。そして何より御霊が必要だったのです。わたしにだってできるのです。でも現世にとらわれた自分じゃだめなのです。自分はすごくて何でもわかってると思っているわたしではだめなのです。神聖なわたしなら可能です。不完全な肉体に閉じ込められた、永遠の存在を持つ、霊的に強められるのを待っているわたしになら可能なのです。わたしの本来の姿なら。

 

不完全さの中で平安を確立するーわたしにとって教会とは

そこ境地にたどり着くには、まずあきらめなければいけないのです。自分が欲しいものを諦めなければなりません。あらゆるものにたいしての理想を諦めなければいけないのです。自身の期待と限界を、己の理解と解釈を、頭の中でのコントロール権を、全て諦めなければいけません。どうやってことが起きるかという予測を捨てて、何でもご存知の主にすべてを任せなければなりません。それらのことに気づいて初めて、打ち砕かれた心と悔いる霊を持つとはどういう意味かわかりました。自身の高慢さと反抗的な性格のせいで、海岸に打ちつけられたような経験をしてはじめて、このことがわかったのです。究極的には、自分はふさわしくないと思って教会を離れたのですが、わたしが理解していなかったことは、教会に行く理由は、自分が指導者だからとか、影響力のある人間だからとかではなかったということでした。まわりの人が自分から何かを学べるようにとか、とにかく自分の知識や見解を分かち合うためだけに教会に行くわけではないのです。完璧だから、教会に行くわけではないのです。

不完全だからこそ、教会に行くのです。

主によって、完全になれるから、教会に行くのです。

 

この記事はM.C. Suttonによって書かれ、ldsliving.comに”Why I Left the Church Is Also Why I’m Going Back“の題名で投稿されました。

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