もう多くの人が、グレッグ・トレンブルによる「モンソン大管長・・・あなたの元に行ってあなたを支えたかった。」という記事を読んだことでしょう。モンソン大管長がしっかりと立つ強さを失い、2015年10月に行われた末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の総大会のセッションで、皆の前で倒れそうな姿を見て、私もグレッグと同じように感じました。

お話の終わりの方で、モンソン大管長の話すスピードが遅くなり、同じ言葉を繰り返すようになりました。立っていること自体が難しそうでした。自分を支えるために教壇に寄りかかっていました。私の心配は恐れへとすぐに変わっていました。モンソン大管長が倒れるのではないかと思いました。私の質問は「なぜ誰もモンソン大管長の隣に立っていないのか?」ということでした。

他の中央幹部も総大会でお話をする時に助けが必要であったことをあなたも覚えているかと思います。ラッセル・M・ネルソン会長は、ジョセフ・B・ワースリン長老が「偉大な戒め」という話をしている時にワースリン長老を助けました。ですので、今回も同じことが起きると思いましたが、誰も預言者を助けに来なかったのです。

 

どうして?私には理解できません。

もう一人、このことについて私と同じように感じている女性がいることを読みました。こう言いました。「椅子のはじに座り、テレビから助けるかのように、私たちの愛するモンソン大管長が大丈夫であるように祈りました。」幸運なことに、モンソン大管長はお話しを最後まですることができました。ウークトドルフ管長と他の人がモンソン大管長を椅子まで援助したのを見て安心しました。今日まで、そこに裏話があったことは知りませんでした。

教壇の周りの薄暗い光の中には、ウークトドルフ管長が預言者が話を終えるまで後ろで何かをしていたのです。ミシェル・コープはそこにいて、次の美しいコメントを残しました。

「モンソン大管長の話の終盤に、預言者の後ろで何が起きていたかを知っている人は少ないでしょう。私は、カンファレンスセンターの前列のあたりに座っており、そのシーンをよく見ることができたんです。特に最後の30秒間ほど、モンソン大管長はお話しを終えるのに苦しまれたと思います。私は、モンソン大管長が倒れるか、何か悪いことが起こるのではないかと心配していました。モンソン大管長の後ろにいたウークトドルフ管長の姿を見て、私の心は溶けました。ウークトドルフ管長は自分の椅子のはじに座り、半身立っているようでした。そして両腕を伸ばし、もしも大管長が倒れた時のために、いつでもモンソン大管長を受けられる用意をしていたのです。ウークトドルフ管長の決意と共に、彼の心配する表情を思い浮かべることができるでしょう。ウークトドルフ官長はよく現状を承知していて、いつでも大管長を助けることができたのです。ですので、モンソン大管長が話を終えた後、すぐに安全に大管長を椅子まで連れていくことができたのです。」

イエス・キリストの使徒と預言者の間に見られたこの優しさはピュアで強いものです。なんと美しい愛の表れでしょうか。彼の友達であるトーマス・S・モンソン大管長を言葉と行いで支えようとしたのです。それは神とイエス・キリストが私たち一人一人に持っておられる心配や愛を示しているようです。

モンソン大管長がよく次のように教えておられます。私たちが主の召しに携わる時に、主は約束しておられます、「わたし​は​あなたがた​の​右​に​おり、また​左​に​いる。わたし​の​御霊​は​あなたがた​の​心​の​中​に​ある。また、わたし​の​​天使​たち​は​あなたがた​の​周囲​に​いて、あなたがた​を​支える​で​あろう。」あなたが次に試練にあって、息をするのが困難な時に心配しないでください。あなたの隣に誰もいなくても、神があなたを後ろから支えてくれています。そして、モンソン大管長、私たちはあなたを後ろから支えます!

 

 

この記事はもともとアイラブザブックオブモルモンに投稿されました。それをLDSリビングが選抜して”What You Didn’t See Happening Behind President Monson During His Conference Talk“の題名で投稿しました。

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