この記事は、ブリガム・ヤング大学の日本語が話せる4人の学生(ハイディー・アン・バートゥナー、ジュリアン・ワード・パック、ライアン・デイヴィッド・ロックウッド、キートン・ブルー・シュリラ)と、同性愛に関わる人々を支援することについての話し合いや筆談を重ねるプロセスで生まれました。この中に出てくるエピソードはこのグループのメンバーの直接の経験から得られたものです。わたし、有泉、が全体を編集していますが、内容の大部分は4人の学生たちの発言を出来るだけ忠実にまとめた結果です。

今の社会では、同性愛についてふさわしく語るには特に思慮深くなければなりません。時には、宗教を信じている人が同性愛者と論争になってしまうこともあります。この記事を読む皆さんの中には同性愛者を個人的に知っている人もいるかもしれませんが、同性愛者やその人に関わる人にどのような態度で接し、サポートすることが望ましいか疑問を抱いていらっしゃるかもしれません。この記事では、同性愛者に対してどのように接したらいいのか、また、イエス・キリストの教会が同性愛についてどのように教えておられるのか考えてみます。

 

エピソード1

実はわたしの家族の一人は同性愛者でした。それを知った時に、もちろんびっくりしました。「どうすればいいか」とよく考えました。しかし、今、その家族の一員は幸せです。そして、わたしもその件について落ち着いて捉えられるようになりました。イエス・キリストの教えに従うことによって、家族関係は改善されました。キリストの教えの中心は家族です。教会で、どうしたらより幸せな家族になれるかについて学んでいます。主の言われたことは「隣の人を愛しなさい」という教えです。隣の人というのは、家族とか友達や知らない人も含みます。とくに、この「愛しなさい」という原則は大切だと思います。同性愛者にも愛を示さなければなりません。家族の中に同性愛者がいる方は、その同性愛の人にも愛を示してください。わたしもそのように努力しています。

ところで、同性愛の関係に入ることは神様の目から見ると罪です。罪というのは、御心に反する行為だからです。一方、ただ同性愛の気持ちを抱いていること自体は罪ではありません。そのような気持ちがあるかどうかについて、わたしたちの役割は裁くことではありません。それは神様の役割です。わたしたちのすべきことは同性愛者の選択を尊重し、たとえ好ましい選びではないと分かっていても、愛を示し続けることです。

救い主のなさったことについて考えてみましょう。ある時、人々は姦淫した女性を、御元に連れて来ました。主はその女性をお責めになりませんでした。かえって、言われたのです、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように。」つまり、「罪を避けて人を愛す」ということです。わたしたちもその模範に従うことができます。

家族の一人が同性愛者だったとしても、その人に愛を示すことはこちらの努力次第です。ともに幸せに暮らせるように期待することは不可能ではありません。イエス・キリストのように隣の人を愛し、助けたら、この世界のどのような状況も改善することが出来ます。同性愛は、教会の中でも時々議論になる話題ですが、この記事を通して、何らかのヒントを得ていただけたら幸いです。特に同性愛の傾向を持つ人の家族や友達のために、次の3つの質問について考えてみます。

同性愛について末日聖徒イエス・キリスト教会の教義ではどのように教えているのか。 

キリスト教の教えが明らかにしてくれる真理とは何でしょうか?この地上に生まれて来た目的は、善悪の影響力が交錯するこの世の中に生きながら、救い主の模範から学んで神様の御心に従うことによって、永遠に成長することです。その過程で色々な試練や問題に直面します。そのような問題の1つが同性愛です。同性愛の傾向を持つ人にも、神様の約束された全ての祝福を受ける機会が開かれているのです。わたしたちが天の御父のもとへ戻れるように、神様は期待なさっていることをはっきり指示し、教えてくださいました。その教えの1つは永遠の家族と結婚についてです。誰でもイエス・キリストの戒めに忠実に従えば天国へ帰って救われます。戒めに従わず、神様の御心に従わない人は救われないのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)ではこう教えられています:「わたしたち,末日聖徒イエス・キリスト教会の大管長会と十二使徒評議会は,男女の間の結婚は神によって定められたものであり,家族は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画の中心を成すものであることを,厳粛に宣言します。」[1] 神様がおっしゃる結婚の律法は男女の間の結婚です。これは永遠不変の真理です。けれどもこの世では、すべての人がこれを信じているわけではありません。たとえば、同性愛結婚を擁護する人々です。同性愛者は、神様に従うか、性的欲望に従うか、特にその人が信仰を持つ人の場合には葛藤があります。これは大変な戦いだと思います。

この教会は結婚と同性愛についての教義を次のようにも明言しています。「男女の間の結婚は神の子供たちの永遠の行く末に対する創造主の計画にとって重要である。性的な関係は,夫婦として合法的かつ正当に結婚した男女の間でだけ適正とされるものである。それ以外の性的関係は,同性同士も含め,神聖に創造された家族制度を損なうものである。したがって,教会は,結婚とは男性と女性の間の合法的かつ正当な結びつきであるという定義を確認している。」(手引き 第2部:教会の管理運営 21.4.10)

つまり、同性愛の傾向や気持ちを持つのは罪ではありませんが、それを行動に移すと罪になります。もし、同性愛の傾向や気持ちがあっても、神様が教えてくださった戒めを守れば、教会や福音の全ての祝福を受けることができます。その祝福をもたらす、最高の特権である神殿の儀式にも参加できます。

 

エピソード2

わたしの非常に近い親族に同性愛者がいます。彼は自分の性的欲望に従うよりは、むしろ奥さんと一緒にいて彼女に忠実であることを選びました。彼が神殿で交わした聖約を守りながら、奥さんと神様に忠実であることは尊敬に値します。彼には、教会で活発な5人の美しい子供がいます。忠実であり続けようという彼の決意は、子供たちに良い影響を与え、彼らがより良い人になる助けになっています。

 

同性愛の傾向を持った人に対して、どのような接し方が望ましいか

とても大切なポイントの1つとして、気持ちを持つことと実際にその気持ちに従って行動することの違いです。人が同性愛的な気持ちを感じること自体は罪ではありません。しかし、その気持ちに従って性的な行動を行ってしまえば罪になります。それを禁じる大切な原則が教えられていても、まだ同性愛の罪を犯す人がいます。 イエス・キリストは罪を犯す人も愛しています。ですから、わたしたちもイエス・キリストに従って、誰でも、罪を犯す人までも愛する責任があると思います。もちろん人々の意見に全部賛成する必要はありませんが、愛する責任は相変わらず存在するのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会は同性愛の行いを承認できません。けれども、同性愛の傾向をもっている人々に愛を示すことは奨励しています。どういう人でも神様の子供ですから、教会員として、人間として、そのような人々を含む全ての人々に愛を示すことが大切です。

人間として、この人生ではいろいろな問題や誘惑を乗り越える必要があります。同性愛はそのうちのただ一つに過ぎません。同性愛の傾向を持っている人にとって、その同性愛の気持ちは大変な試しになるかもしれません。教会員として他の問題や誘惑で苦しんでいる人々を助けるのと同じように、同性愛の傾向を持つ人々を助ける必要があります。

どんな選びをする人に対しても、神様はわたしたちを愛し、サポートすることを命じられます。同性愛である最愛の人があなたの人生に関わっているなら、彼らを見捨ててはいけません。彼らを愛し、のけ者にせず、サポートするために全力を尽くしましょう。ウェブサイト「モルモンと同性愛者」[2] は、ヒントと希望を与えてくれる素晴らしいツールです。

 

家族に同性愛者がいて、悩んでいる人たちにどのような気持ちで接して、助けることができるのか。 

同性愛の気持ちはその人の信念が正しいかどうか、普段の行いが善良であるか否かに関わらず存在します。わたしたちは同性愛に興味がある人と話すときには心から理解するように努力する必要があります。また絶えず「変われ」と圧力をかけることは好ましくありません。同性愛の気持ちを禁じることができて普通の生活ができる人々もいますが、神様の戒めだと知りながら、その気持ちを禁じることができない人たちもいます。わたしたちは愛をもって、その人が神様の戒めに従うように助ける必要があります。わたしたちはもっとイエス・キリストの福音を深く勉強して、その模範に従えば、この同性愛についてどうしたらよいのか、もっと理解出来ると思います。

同性愛者を子どもとして持つ両親が、罪悪感に苦しむことがあるかもしれません。「どこで間違えて、子どもが同性愛者になったのか」と自問するかもしれません。そのような自責の念に沈むことがないように願っています。親のせいではなく、同性愛はその子どもの人生における試しの一つだと捉えることができるからです。親としてできることは、その子との関係を良くするために絶えず努力することです。

 

エピソード3

同性愛者の気持ちに苦しんでいる、わたしと同じ年頃の親しい友人がいます。彼女は私の親友の一人であり、彼女の模範と知恵にとても感謝しています。彼女はまだ神様に従うことと他の女性と一緒にいたいという欲望との葛藤の真っ只中にいます。しかし、彼女は心から神さまに従うことを望んでおり、これまで戒めを守るよう努めています。

それぞれの人の状況は違うと思いますが、神様のことを第一とし、信頼することができれば、祝福されることでしょう。なぜ神様が同性愛者にそのような気持ちを起こす状況を許しておられるのかわたしたちには分かりません。しかし、天の父であられる神様がそのすべての子供たちを愛しておられることを知っています。そして、わたしたちは誰に対しても愛を示し、神様に従うように励ますことができます。

 

この記事は、共著者5人の個人的な意見のまとめであり、末日聖徒イエス・キリスト教会の公式な見解ではありません。

参照

1)https://morefaith.jp/files/2017/08/35602_jpn.pdf

2)https://mormonandgay.lds.org/

著者:有泉芳彦