先祖を調べる時、色々な感情が湧きます。まだ幼かったわたしを気遣って愛を示してくれた祖父母。また、子供を亡くし、辛く、悲しい気持ちの先祖。それを支える家族。先祖を調べる事はただの紙に書いてある名前探しではなく、様々な経験を通し今のわたしへとたどり着いた大きな大きな地図とストーリーを読んでいるよう。
先祖を調べる時、色々な感情が湧きます。まだ幼かったわたしを気遣って愛を示してくれた祖父母。また、子供を亡くし、辛く、悲しい気持ちの先祖。それを支える家族。先祖を調べる事はただの紙に書いてある名前探しではなく、様々な経験を通し今のわたしへとたどり着いた大きな大きな地図とストーリーを読んでいるよう。
わたしたちは時々自問する必要があります。戒めの一枚上手を行き、教会文化での福音に従おうとするのか、それとも主の戒めに従おうとしているのかです。周りの目を気にして、教会文化的戒めを守ろうとするときに、主の標準の上を行こうとします。地に満ちよという戒めに従いたいがため、子供の数=信仰の強さと思う人もいます。
ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉で「見てきたもの全ては、まだ見ていないことについて、創造主を信頼することを教えます」というものがあります。人生においてこの言葉は徐々に重みを増していきました。神を信頼すると、まだ見えない未来や不安さえ、安堵を覚えるものになるのです。
わたしと妻はチベットに旅行へ出かけました。二日間で一気に高度3,650メートルの山に来ました。その夜、わたしは酸素不足から呼吸困難になり、死を間近に感じ、恐怖と戦うことになりました。朝、妻に話した時に、彼女が提案した解決策があまりにも単純で、でも真理をついていたのです。
わたしは祖父母と会ったこともないし、その人となりについて全く知りませんでした。モルモン教に改宗し、家族の大切さを学んだことから、自分の家族歴史探求がはじまりました。まずは戸籍抄本からの情報を頼りに、本籍地に車のGPSを使い、たどり着きました。
日系の血が混ざっているハワイの友人が日本語も話せないのに日本で先祖の歴史を一生懸命調べる様子を見て、感銘を受けた。それと同時に疑問が。わたしはどれだけ自分の先祖のことを知っているのか?今、世界中でテレビ番組でも取り上げられるぐらい関心が高まっている家族歴史探求。初心者へのアドバイスを紹介!
わたしはとても楽しみにしていた「美女と野獣」の実写版を見たときに、正直のところ、残念に思いました。期待ハズレのように。でもそれは、わたしが理解する努力をしていなかったと気づいたのです。実際に、理解する努力をし、2回目に観た時は1回目の時とは打って変わった印象でした。
がんで髪の毛を失ってから得たものはたくさんあります。人生の困難な時ほど、わたしたちは、研ぎ澄まされ、多くのことを学ぶのです。わたしは、大変な時に「弱くある」より「強くある」方がエネルギーを消耗しないと考えています。弱くあるには情緒的エネルギーが大量に必要でとても疲れます。しかし、強くあることは違うのです。
人は生まれてから死ぬまで様々なことを経験しますが、それは一体何のためでしょうか?もし死んで全てが終わってしまうなら、人生を頑張っても虚しい気持ちがします。モルモン教では生きている時間は「死すべき状態」としての期間と考え、わたしたちの命は永遠に続くと信じています。
わたしは典型的な内向的な人で、注目を浴びること、人前に立つことが嫌いで、人に声を急にかけられたり、訪問されたりするのも緊張します。でもわたしたちの通うモルモン教の教会の文化は伝道をはじめ、内向的特徴とは真逆とも呼べるもの。その文化の中で浮いてしまう内向的な人々にこのように接するとお互いに助けとなります。