2003年に視力を失って目の見えない人としての生活が始まってから大笑いするようなことばかりです。目が見えないので、トイレに誰かが入っていたのがわからず、下着を下ろしてしまったり、義眼を忘れて、夫と友人にバトンレースではなく、「義眼レース」を頼んだり。義眼から主と人生について学んでいます。

2003年に視力を失って目の見えない人としての生活が始まってから大笑いするようなことばかりです。目が見えないので、トイレに誰かが入っていたのがわからず、下着を下ろしてしまったり、義眼を忘れて、夫と友人にバトンレースではなく、「義眼レース」を頼んだり。義眼から主と人生について学んでいます。
クック長老はホロコースト博物館を訪問し、恐ろしい事実に気がつきました。ホロコーストで殺された子供の数が約2年分のアメリカで起きる妊娠、堕胎の数と同じだったのです。ルシフェルは巧みに私たちを洗脳します。子どもを持つことが人生の機会を逃すことになったり、惨めになったりするものだと。感覚を麻痺させてはなりません。
何百年、何千年と読まれてきた聖典。その中には実際に生きていた人々の愛の物語もたくさん綴られています。ですから、もちろんロマンティックな聖句もあるのです!昔の人々が語った愛の言葉は美しく、現在のわたしたちが読んでも感銘を受けます。今年のホワイトデーはロマンティックに聖句のプレゼントはいかがでしょう?
結婚している半分の人にいつかはおとずれる伴侶の死と向き合うという試練。この悲しい経験をした兄弟姉妹がやってよかったこと、やらない方がいいことを具体的に話しています。また、伴侶を亡くした愛する人への接し方、残された子どもたちのケアなども紹介します。
テーブルの角に足の指をぶつけて骨折したわたし。変な格好のブーツを履くように医師に言われ、窮屈を我慢してスーパーに買い物へ。そこの従業員はわたしの変なブーツを見て、どうしたのかと話しかけてきた。それは一生忘れることのない、わたしの人生を変えた会話となった。
自分の人生の最後にひとつのお願いを言うことが許されたら、何を言いますか?考える時に、後悔ばかりが頭をよぎりませんか?デビッド・O・マッケイ大管長は「いかなる成功も家庭の失敗を償うことはできない」と述べました。家族の為に時間を作っているでしょうか?伴侶との関係は対等でしょうか?
世界では悲しいことに小さい子供を弔わなければいけない親がいます。かつての十二使徒、リグランド・リチャーズ長老はそう語りました。彼も自身の子供を亡くしています。子供を亡くした親の悲しみは計り知れないものです。彼は、早く世を去るよう選ばれた霊たちは、他の人たちのように現世に長くいる必要がなかったのだと教えています。
わたしはモルモンですが、わたしの体はタトゥーだらけ。それを見て何度も意地悪なことを言われてきましたが、捉え方を変えて乗り越えることができます。
父と母はわたしが小学生の時にスーツ姿で笑顔の二人組の宣教師に出会い、バプテスマを受けました。わたしは子供だったので、はっきりと自分で選んだわけではありませんでしたが、親と一緒に改宗しました。はじめは女の子やスポーツ目当てで通っていました。成長していくと自分で教会に残るか離れるか決めなければなりませんでした。
赤ちゃんの予定日が過ぎ、一年が過ぎでも悲しみは消えませんでした。まだ再度妊娠もしていませんでした。でも、癒す方法はあり、癒しはきます。流産を受け入れ、悲しむことは大丈夫なのだと知ることは助けになりました。また、周りの人の心遣いと良いサポートが支えになりました。