タグ: 人の価値

なぜ他の人が祝福されているのを見ると、心が傷つくのでしょう

妹が誕生日プレゼントに人気キャラクターの人形をもらったのを見たお姉ちゃんは大奮闘!大好きな妹が喜んで嬉しいはずなのに、自分もそれが欲しくて、怒ってしまったのです。このような心が傷つく経験は子供時代で終わりません。もっと大きい家、出世、他の人が持ってる幸せを比べ、追いかけていませんか?

「謙遜」の皮をかぶった「高慢」

謙遜とはどんな行動でしょうか?謙遜になるためだと思ってしていた行為が、実は自分を守るための高慢である事があります。高慢は時々「謙遜」の皮をかぶってわたしたちに近づいてくるのです。セラピストのDr.ハンクスが謙遜と高慢の認識の仕方について4つのポイントを紹介します。

どうする?子供がモルモン教の戒律に沿わない時

思春期の子供たちはほとんどが自分の信仰について、また教えられている戒律について考え、葛藤します。中には教えを守れない子供もいます。モルモン教では日曜日にふさわしい服装がどのようなものか教えられていますが、皆が皆そのような服装ができるわけではありません。では、大人や指導者たちはどう彼らを助けられるでしょうか。

同性愛と宗教の自由

何百年にもわたって迫害されてきた同性愛者と、信じる宗教のために迫害されてきた人たちは自由を求めているという点で似ています。わたしたちは互いを尊重し、それぞれの信仰や性的嗜好を受け入れるべきなのです。互いの違いばかりに目を向け、敵対心を抱くとサタンの思惑通りになってしまいます。

天使によって救われる

暗闇の中で、14段もある階段の一番上から真っ逆さまに転落した女性。階段の行き着く先は硬いコンクリートの床でした。頭をぶつけて出血し、脳震盪も起こしましたが、奇跡的に命は助かりました。死んでいたかもしれない状況のなか、命が助かったのは、天使と神の助けだと気が付きました。

死後の世界はある

モルモン教では死後の世界、そしてそこでどのようなことが起こるかをしっかり教わっています。ですので、肉体の死を恐れる必要はないと理解しています。死後には霊界で人々が福音を教わる機会が与えられると信じています。そして、最後の裁きがありそれぞれ相応の王国で永遠に住むのです。

同性愛者でいながら、忠実なモルモンでいることは可能である

同性に惹かれる「同性愛者」と呼ばれる人たちはモルモン教の教会の中にもいます。教会は同性愛は神の教えに反することだと教え、信じていますが、同性愛者を締め出すことはありません。わたしたちは福音のもとで兄弟姉妹として互いに助け合い、一致することができます。

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神への信仰

末日聖徒イエス・キリスト教会の正しい情報やイベント、ブログ、ミームを紹介しています。
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神への信仰火曜日, 10月 15th, 2019 at 11:00pm
総大会で学んだことを実践することによって生活の中でもっと祝福を感じられますように。
神への信仰
神への信仰月曜日, 10月 14th, 2019 at 11:00pm
総大会ってどういう意味なのかを分かりやすく説明しています。
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神への信仰土曜日, 10月 12th, 2019 at 11:00pm
こちらが、第二弾(悔い改め)のビデオです!
https://bit.ly/2MCPWLR
家庭の夕べや宣教師のレッスンにぜひ使ってみてくださいね。
このビデオのシェアやチャンネルの登録も、ぜひお願いします!
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神への信仰金曜日, 10月 11th, 2019 at 11:00pm
今週も神への信仰のYoutubeチャンネルから、福音の原則についての新しい動画シリーズの第二弾(悔い改め)が投稿されます。あるものを使ってどのように原則を教えるのかとても気になりますね!すぐに動画を視聴したい方は、ぜひ私たちのチャンネルからチェックしてみて下さいね。チャンネルの登録も、ぜひお願いします!
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神への信仰水曜日, 10月 9th, 2019 at 11:00pm
とてもよい経験をしたのでシェアさせてください。
最近、とても大きなアサイメントをもらいました。突然だったので準備も足りず、最初は断ろうかと思いました。でも、そのアサイメントがわたしに与えられたのは単なる思いつきではなく、主の計らいだと感じたので、不安は残りつつも引き受けることにしました。
とは言っても、やはり大変なアサイメントであることに変わりありませんでした。わたしは神様に祈って助けを求めることにしました。
わたしは、本当に自分にできるかどうか不安を感じていること、でも、わたしがするように神様が望まれているのであれば、全力を尽くすので足りないところを補ってくださるように祈りました。
そう祈った時、ある言葉が頭に響きました。
「あなたなら、できます。」
そう感じた時、これはわたしにとって必要なアサイメントなんだと確信しました。そして同時に、自分のできる限りを尽くせば神様が助けてくださると確信でき、とても平安な気持ちに満たされました。
わたしはどうにかアサイメントをやりきることができました。完璧にやり遂げた、とは言えませんが、完璧にできたかどうかよりも重要なことは、確かに神様が助けてくださたっということです。
この経験を通して、どんなアサイメントにもいつでも応えられるように備えていること、そして、神様は恐れず挑戦するわたしを常に支えてくださるという証が強められました。

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