あなたには良い仕事があります。人間関係も悪くありません。最近、ひどいことが起きたわけでもありません。それなのにどういうわけか、何かが足りないと感じる、ということはありませんか?
心が空っぽのような感覚です。
充実しているはずの人生を、ただ決められた動作を繰り返すように生きているのに、充実感がないと感じることです。
幸せなはずなのに、どうしてこんなに虚しく感じるんだろう?と思ったことは、きっと多くの人が経験しているでしょう。
そんな心が空っぽになる気持ちは、実は多くの人が経験しています。そして生活に戸惑いを与えるものの1つです。
今回は、こんな感情について掘り下げていきましょう。
虚しさとは、実際にはどのようなものなのか
心理学者は、感情的な虚しさや空虚感を、無感覚、距離を置いている感覚、あるいは慢性的な退屈感として説明しています。
公認心理学者のジョニス・ウェッブ博士は、それを「お腹や胸の中が空洞になっているような、何かが自分の内側から欠けているような感覚」と説明しています。
彼女は、よく見られる7つの兆候をこのように挙げています。
- 空洞のような感覚
- 無感覚
- 困窮しているように見えることを避ける
- 自分の人生の目的を疑問に思う
- 他人が持っている何かが自分には欠けていると感じる
- 人に囲まれていても慢性的に孤独を感じる
- 根本的に自分は他の誰とも違うと感じる
このリストの後半は、多くの人にとって特につらいものです。
パーティーにいるのに、友人たちに囲まれているのに、一緒に笑っていても、心の中では完全に孤独を感じることがあるからです。
このような状況には、様々な理由があります。
その1つは身体的なものです。
睡眠不足、燃え尽き、あるいは診断されていない甲状腺の問題でさえ、感情を平坦にしてしまうことがあります。
時にはうつ状態であることもありますが、それは必ずしも悲しみのように見えるわけではありません。
自分自身の人生を外側から眺めているような、無感覚な状態として現れることもあります。
時には、有害な人間関係の後遺症であったり、行き場のないストレスがゆっくりと積み重なった結果であったりもします。
しかし、もう1つ、探ってみる価値のある側面があります。これはあまり頻繁には語られていないものです。

別の種類の飢え
多くの人と関わり、また個人的な経験からも、充実しているはずの人生で感じる空虚感の理由の1つが浮かんできました。
それは、心の飢え、または霊的な飢えです。
宗教への飢えでも、規則への飢えでも、日曜日の朝への飢えでもありません。
毎日のチェックリストよりも大きな何かを求める飢えです。
次の仕事、次の達成感、次の気晴らしを超えて、自分の人生には意味があると感じたいという飢えです。
多くの宗教や哲学に共通する考えの1つに、人間は単なる肉体的な存在ではなく、自分よりも大きな何かとのつながりを求める存在だ、というものがあります。
わたしたちには、仕事や成功、娯楽だけでは満たすことのできない、もっと深い意味やつながりを求める思いがあるのかもしれません。
それを神と呼ぶ人もいれば、神聖なもの、宇宙、源と呼ぶ人もいるでしょう。どのような言葉を使うにしても、自分より大きな何かとのつながりを求める思いです。
これは新しい考えではなく、実際には古代から存在しています。
新約聖書の中で、イエスは井戸で1人の女性に出会います。彼女は人生を通して、何度も枯れてしまう何かを満たそうとしてきました。
イエスは彼女にこう言います。
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」(ヨハネによる福音書 第4章13-14節)。
このイエスの言葉が2,000年もの間、人々の心に残ってきたのには理由があります。
わたしたちは何かを達成したり、人から認められたり、楽しんだり、気を紛らわせたりすることで、自分の心の空白を埋めようとします。
そして一時的には満たされたように感じても、しばらくすると、また「何かが足りない」と感じてしまいます。それは、まるで水を飲んでもすぐにまた喉が渇いてしまうようなものです。
そして「これだけ手に入れたのに、どうしてまだ満たされないのだろう」と思うのです。
もし人生のもっと深い意味や、自分より大きな何かとのつながりを求める思いがあるのに、それが満たされていないのだとしたら、その「満たされない」という感覚が、空虚感として表れているのかもしれません。

ディランという若い男性は、25歳のころの自分の人生を「楽しいことは途切れないけれど、幸せではない」と表現しました。
彼は毎週末キャンプに出かけ、友人たちに囲まれ、一般的に「良い人生」と考えられるようなことをすべてしていました。それでも、何かが欠けていると感じていました。
彼はなぜそう感じていたのか、すぐに理解できたわけではありません。
静かな時間を過ごしたときに、ピアノで古い賛美歌が演奏されたことがありました。それは小さな、予想していなかった出来事でした。
しかしその出来事をきっかけに、彼は自分が感じていた空虚感が何なのかに気づきました。
それはかつて自分の中にあった「あるつながり」が失われたことで生まれた空白だったのです。
このことについて、少し立ち止まって考えてみる価値があります。
空虚感をなくすために必要なのは、必ずしも何かをもっとすることではありません。
気づかないうちに離れてしまった何かと、もう一度つながることが必要なのかもしれません。
比較という罠
もう一つ、正直に考えてみるべきことがあります。虚しさや空虚感の多くは、自分を常に他の人と比べてしまい、その結果、自分は他の人より劣っていると感じることから生まれます。
他人と自分を比べ続けて、「自分はあの人のようにはなれていない」「あの人が持っているものがない」と感じることで、心が満たされなくなることがあります 。
デビッド・S・バクスター長老は、かつてこれを美しく表現しました。
多くの人は自分はいつまでも十分ではないという感情を繰り返し抱えていると彼は述べました。
それは、その人たちが怠けていたり、人生に失敗していたりするからではありません。
自分自身の複雑でさまざまな面を、ほかの人が見せている一部の良い部分だけと比べているからです。
もし自分は自分自身よりも大きな何かにルーツがあり、すでに価値ある存在として見られているということを忘れてしまうと、「自分は十分ではない」と感じ続ける状態に陥りやすくなります。
そして、この「自分は十分ではない」という感覚は、本人がそのことに気づかないまま、何年もかけて少しずつ、その人の心を空っぽにしていくことがあります。

実際に役立つかもしれないこと
もしあなたが今、虚しさや空虚感を感じているなら、ここから始められる、いくつかの実践的な方法があります。
自分を責めるのではなく、その空虚感や虚しさについて考えてみてください。
心が空っぽなら自分を責めるのではなく、「この空虚感は何を伝えようとしているのだろう」と考えてみましょう。
もしかすると、燃え尽きているのではありませんか。人とのつながりが失われているのかもしれませんね。
そして時には、もっと深いところで何か大切なものとのつながりが失われていることを示しているのかもしれません。
人生の意味や目的とのつながりであったり、自分自身よりも大きな何かとのつながりであったりします。
毎日の「やるべきこと」のリストよりも大きな何かと、もう一度つながってください。
これは、宗教的なことである必要はありません。
外で静かな時間を過ごすこと、正直な気持ちを日記に書くこと、瞑想すること、あるいは画面を見ずに、ただ静かに座っていることでも構いません。
もし祈ることが自然に感じられるなら、簡単で、きちんとした言葉になっていない祈りでも構いません。それも、つながるための方法です。
大切なのは、何かを上手に行うことではありません。つながることです。
心から誰かのために奉仕してください。

これは、心理学でも霊的な教えでも繰り返し語られていることです。自分自身のことだけに意識を向けるのをやめると、何かが変わります。
これは、自分の感情から逃げるためではありません。自分が、自分自身の問題や苦しみだけで成り立っている存在ではなく、自分自身の苦しみよりも大きな何かの一部であることを思い出すためです。
スペンサー・W・キンボールは、次のように述べています。
「適切な方法で同胞に仕えれば仕えるほど、人は豊かになります。」
あなたがどのような信仰を持っているか、あるいはグループに属しているかどうかにかかわらず、そこには確かな真実があります。
ほかの人と自分を比較することを、少なくとも今日だけでもやめてみてください。
他人の人生の良い部分と自分の価値を、比較する必要はありません。
あなたには、すでに生まれながらにして価値があります。それで十分です。
それは、あなたが何かを達成したからではありません。あなたが何者であるか、あるいはあなたが誰であるか、そのこと自体に価値があるからです。
これは「ただの一時的な状態」ではないかもしれないと考えてみてください。
もし空虚感が何週間も、あるいは何か月も続いているなら、そして以前は楽しんでいたことにまったく興味を持てなくなっているなら、そのことをセラピストや医師、信頼できる身近な人に相談することを強くお勧めします。
空虚感とうつ状態は、よく似た形で現れることがあります。そして、本当の支援を受けることを恥じる必要はありません。

あなたは壊れているわけではありません
ここで一つ、ぜひ覚えておいてほしいことがあります。
虚しさや空虚感を感じるからといって、あなたに何か問題があるということではありません。
それはあなたの中にある何かが、注意を向けてほしいと訴えていることがよくあります。
もっと人とのつながりを求めているあなたの一部分かもしれません。もっと意味を求めているのかもしれません。もっと本物の何かを求めているのかもしれないのです。
聖書には、一見とても単純に思えるのに、不思議と必要なところに届く招きがあります。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう 」(マタイによる福音書 第11章28節)。
そこには、「まず自分自身を直しなさい」とは書かれていません。
「わたしのもとに来る前に、何が悪いのかを理解しなさい」とも言っていません。
ただ、「来なさい」と言っているのです。
疲れていても、空虚でも、自分がどうすればよいのか分からなくても、今のありのままの自分で来なさいということです。
今、あなたがどれほど虚しさを感じていたとしても、その休息は与えられています。
あなたは、ただ存在するために創造されたのではありません。
あなたの中にある、その静かな痛みには理由があります。そしてそれはあなたの欠点ではありません。
その感情は、あなたの魂がもう一度、満たされた状態になりたいと伝えるための方法なのかもしれません。
自分でもうまく説明できない、この空虚な感覚。
実はその感覚は、あなたがこれまで抱く気持ちの中でも、最も正直で、大切なサインの一つなのかもしれません。
