神様はわたしを無視してる?なぜ答えがないの?

これまでに深い悲しみに打ちひしがれ、絶望感に包まれ、「なぜ神様は願いを叶えてくれないの?」「神様はわたしを無視している?」と疑問に思ったことはありますか?

もしそうなら、まずこれを伝えさせてください。あなたは一人ではありません。この問いを投げかけたのは、あなただけではないのです。そう感じるのは当たり前ですし、はっきりとした答えが欲しいために心が痛むのは当然のことです。

リバティーの監獄での祈り

1839年3月、ミズーリ州のリバティー刑務所で、ある囚人がまさに同じ問いを天に向かって投げかけました。彼は正しく、誠実な人であり、その人生を主の御業に捧げていました。しかし、彼とその家族は苦難や悲しみから逃れられませんでした。彼を憎む人々や、彼が築いた共同体に敵意を持つ人たちによって、数々の試練にあったのです。

この囚人の名前はジョセフ・スミスといいます。彼は末日聖徒イエス・キリスト教会の初代預言者でした。心から神様を信じ、愛していましたが、それでも一瞬の人間的な弱さの中で、こう問いかけました。「おお神よ、あなたはどこにおられるのですか?あなたの隠れ場所を覆う幕屋はどこにあるのですか?」(教義と聖約121章1節)

「Joseph in Liberty Jail」作者 Liz Lemon Swindle

このときのジョセフの気持ちを表現した絵画があります。その顔には絶望、疲労、不安、そして「見てほしい、聞いてほしい」という切実な思いがにじみ出ています。苦しい状況の中で神様がそばにいてくれていると確信したかったのです。

神様が沈黙していると感じるなら――あなたの気持ちは本物です

現実的な話をしましょう。たとえ祈り、聖典を学び、導きを求めても、神様を遠く感じるどころか存在に疑問を持つ日や、数週間、あるいはもっと長い期間が続くことがあります。「神様は本当にわたしを無視しているの?」と心が痛むかもしれません。

泣きながら祈ったことがあるかもしれません。真剣に神様の言葉や教えを学び、助言を求め、あらゆる方法で主の声を聞こうとしたかもしれません。それでも何もないと思う日が続いたら、とても辛くて苦しいですよね。

ただ、そう感じることも分かります。きっと多くの人がそうでしょう。つながりを求めて必死なのに何も感じられないのは、とても悲しいことです。それでも、すぐに答えが得られなくても探し続けるあなたは、信仰と勇気の人です。

そして、神様がわたしたちに思い出してほしいと願っておられることがあります。それは希望は常にある、ということです。

神様の声や存在を感じられないからといって、神様がいないわけではありません。見えない場所で働いていたり、まだ見ていない祝福を準備していることだってあるのです。最も忠実だった預言者ジョセフ・スミスさえも、霊的に沈黙した時期を経験しました。

沈黙の時は、信仰を鍛え、主への信頼を深め、さらなる啓示に備えるための精錬の時でもあります。どうか、心を開いたまま、神様の愛が太陽のように変わらずにあることを信じてください

神様の「沈黙」は「無視」ではない

神様とのコミュニケーションは、わたしたちが人と会話するような、声でのやり取りとは違います。だからこそ、神様の声が聞こえないと感じたり、答えが感じられないときはとても不安になります。

でも、神様の沈黙=無視、ではありません。むしろそこに大きな意味が込められているのです。

神様が遠く感じられるとき、次の5つのポイントを思い出してください。

1. 神様の沈黙は、必要な時もある

親が子どもに歩くことを教えるとき、一歩を踏み出させるために少し距離を置くことがあります。決して無関心だからではなく、できると信じているからです。

神様も、わたしたちが自分で学び、成長し、真理を見つけることができると信じています。沈黙は、信仰が与えられるのではなく育つ機会。霊的な筋肉を鍛える期間なのです。

画像:ACPhoto像:PhotoAC

2. 神様の沈黙は、方向転換のサイン

ある道を必死に祈って求めたのに、扉が閉ざされたと感じた経験はありませんか?それは拒絶ではなく別の道への導きかもしれません。

主の道はわたしたちの考えとは異なります(イザヤ書55章8–9節)。沈黙の中で、思いがけないけれど素晴らしい道が照らし出されることもあるのです。

3. 神様の沈黙は、信仰に基づく「行動」への招き

沈黙のときこそ、信仰をもって行動するチャンスです。モルモン書のニーファイは、どこへ向かうか明確に知らないまま船を造り始めました(ニーファイ第一書 4章6節参照)。

まず行動すると、導きは後から与えられることが多いんです。

4. 神様の沈黙は、もっと神様に気持ちを向けることを教えている

スマホ、SNS、日々の忙しさなど、わたしたちの生活は騒がしすぎて、神様のささやきが聞こえにくいのかもしれません。

沈黙はわたしたちが静まり、心を澄ませることへの招きです。御霊の導きや聖典、他人の言葉、心の平安など、神様はさまざまな形で語ってくれています。

5. 神様の沈黙は、愛されていないという意味ではない

何より大切なのは、神様の愛は答えの速さや明確さでは測れないということです。

たとえ沈黙の中で一人ぼっちに感じても、神様からのあなたへの愛は変わりません。ローマ人への手紙8章38–39節のように、どんなものであろうとキリストにある神様の愛からわたしたちを引き離すことはできません。

神様の声をもっと聞くには?

神様の沈黙が「不在」や「無関心」のサインではないとしたら、どうすればその声にもっと気づけるでしょうか?その方法はいくつかあります。

画像:ChatGPTにて作成

耳ではなく心で神様の声を聞く

難しい決断のときに訪れる平安や、突然心に浮かぶ明確な考えなど、それらは御霊のささやきかもしれません。御霊の小さなささやきは、神様からのメッセージを心や意識に伝えてくれます。

心がそう感じることに気づくこと、そしてそれに従うことによって、霊的な感受性が磨かれていきます。

音楽を通して神様の声を聞く

音楽には、神様とのつながりを助ける力があります。讃美歌や霊的な歌、心が温まる曲に触れたとき、神様からの慰めや愛を感じることがあります。

メロディーや歌詞、感情の波に乗って、神様が語りかけてくれることもあるのです。

静かで穏やかな時間を持つ

日常の喧騒から離れ、意識的に静かで心穏やかになる時間を持つことで、神様のささやきが心に届きやすくなります。自然の中や散歩に行ったり、静かな読書など、自分だけの霊的な空間を見つけてください。

聖典を通して神様の声を聞く

聖書やモルモン書は、神様からの手紙です。本を開くように心を開いて読むことで、まるで神様が直接語りかけているかのように感じる瞬間があります。

悔い改めることで霊的な感度を高める

悔い改めは、自分を責める行為ではなく、神様に心を戻す力強いプロセスです。聖霊の導きを遮るものが取り除かれることで、神様の声がより明確に感じられるようになります。

キリストも沈黙を経験された

画像:末日聖徒イエス・キリスト教会HPより

最後にお伝えしたいのが、救い主イエス・キリストでさえ、神様の沈黙を経験されたということです。十字架上で、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたのです(マタイによる福音書 27章46節)。

しかし、わたしたちは知っています。神様はイエスを見捨てたのではなく、あの一時的な沈黙は救いの業の一部でした。

ですから、あなたが沈黙の中で苦しむとき、キリストはその気持ちを完全に理解しておられるのです。

神様はあなたを無視していません。たとえ今は聖なる沈黙しか感じられなくても、その背後にあるのは神様の変わらぬ愛と、確かな導きです。主の完璧なタイミングを信じて、静かに耳を澄まし続けましょう。

神様は、いつもあなたのそばにおられます。
そして、いつもあなたの声を聞いておられます。

参考:morefaith.ph