モルモン教の神殿の新しい映画
八月の最初の週に、わたしはモルモン教の近所にある神殿に参入して,麗しい驚きの機会に出会いました。神殿の中で新しい映画が使われていたのです。明らかにわたしはその映画が使われた最初の朝に偶然に参入していたようでした。
その映画は非常に美しいものでした。それまでの2つの映画と全く同じ教えと指示が描かれていましたが,それは神殿の「エンダウメント」と呼ばれる儀式の一部でした。その映画は演出の方法が改善されていて,その教えが私の心を打ちました。神殿がいつもわたしに影響するのと全く同じように心を打ちました。
わたしは静かな涙が、ある時点で頬を伝わって落ちるのを感じて驚きました。わたしは心の中に燃えるような愛の気持ちを感じ,わたしが学んでいるのが真実で,わたしは神の教会に所属しているという確信を、神からもう一つ受けることができました。
その映画はモルモン教の神殿の教育の一部
多くの人が,映画が神殿での教育の一部に使われていることを知って驚きます。母が話してくれたときに私は10代でしたが、自分ながらに驚いたのでした。私はそれまでに何度も身代りのバプテスマに参加していたのですが,青少年としてはその儀式だけに限定されていました。ですから,神殿のその他の儀式についてはあまり詳しく知りませんでした。
この神殿での新しい映画は前の時から20年以上経って,最初の改訂でした。教会のスポークスウーマンのルス・トッドによると,「シナリオにはいかなる訂正もありませんでした。英語の複製が2−3週中に各地の神殿に配送され,いずれはほかの言語にも翻訳されます。」
デゼレトニュースのレポート:
1970年代より,モルモン教の神殿の儀式の指示は録音を使い,映画も含まれていました。
8月の最初の週に始まり,新しい神殿の映画が数カ所の神殿で見せられます。
モルモン教の神殿での礼拝は世界中141ヵ所の神殿で行なわれています。世界中に何千とある,毎週の礼拝が行なわれる集会所と呼ばれる地元の教会堂とは違います。神殿での礼拝は,教会の中で活発で,地元の教会指導者によって神殿の教義や教えを受けるにふさわしいと推薦された人々に限定されていますが,毎週の礼拝はあらゆる年齢のあらゆる信仰の人たちに開かれています。
モルモン教と神殿
モルモン教のサイトでは、イエス・キリストの教会員にとって神殿とは何かについて語られています。
モルモン教の神殿は神の宮と見なされていて,神聖で平安のある場所で,この世の思いからは隔離されています。そこで会員は公式的な約束と決意を神に対して行ないます。そこでは夫婦の結婚が行なわれ,家族が永遠に「結び固められる」のです。
神殿は,死者の身代りのパブテスマや永遠の結婚などの儀式が行われる唯一の場所です。そのような儀式は新約聖書の時代には行われていたものに倣うもので,後に失われてしまったものだと末日聖徒は信じています。
神殿は,モルモン教の会員の心をイエス・キリストに向け,また主と天の父と自分たちの家族とに向けるもので,それはキリストの教えに忠実であるという条件によって成就します。
現在世界中に169の神殿が,公開中であったり,建築中であったり,建築の発表がなされています。(神殿のリストをご覧ください。)
ほとんどの神殿の上には金色の人の像で,ゆったりとした衣を身に着けて,長いラッパを口につけている像が飾られています。これは天使モロナイを描いていて,その人は古代の預言者でモルモン書の一人の中心人物です。この像はイエス・キリストの福音を全世界に宣べ伝えることを象徴しています。
神殿のエンダウメントとは何か?神殿の中で教えられることは何か?
神殿の中で,忠実な会員は参入して,結婚,バプテスマなどの儀式に加わりますが,また,彼らは教育を受けます。その一部はエンダウメントと呼ばれ,それは「知識を受け継ぐ」儀式です。
神殿の礼拝の神聖な性質を考慮して,モルモン教の会員は敬虔さの表れとして,神殿での教えの詳細については語らないように勧められています。
しかし,神殿の中での教えはとても単純です。わたしは一生の間を通して,いつも神殿に行くのが楽しみで,この教えを受けるのを心待ちしています。それぞれの教えについてわたしはとても敬虔に受けとめ,とても興味を持っています。わたしが理解しているのは,そこで受けるのは同じ福音の基本的な原則の違ったタイプの教え方であるということです。このような基本的な理解があっても,わたしは依然として神殿での指示や教えは何と単純で好ましく,また美しいものかと驚きます。そしてそれでも,それらは非常に神聖で驚くべきものです。その映画に描かれている教えの大部分は,天地創造と,神が子供たちに与えた救いの計画です。ここで,神の救いの計画について学ぶことができます。
神殿は秘密の場所か
外部の人が神殿で行なわれていることが,教会員がそれについて話そうとないために,かなり扇情的、不可思議,秘密のことなどが起こっていると考えるかもしれませんが,それは真実ではありません。
それはとても尊く神聖なものなので,神の宮つまり神殿の外では話さないのです。ほかの人が,これが秘密主義だとか考えるかもしれませんが,それは理解できますが,それと同時に,わたしの結婚についての個人的なことについてはどうだろうかと考えます。夫もわたしも結婚についての二人だけのことについて外に漏らしたり,周りの人の話題に上ったりするようなことは決してしないようにするでしょう。それは,何か不可思議のことや,不道徳なことや,秘密のことが起こっているからではありません。わたしたちにとって神聖で秘密厳守にすべきことであって,わたしたちがそのことを尊重するからです。
ラッセル・M・ネルソン長老は神殿推薦状についての素晴らしい説明をしました。彼はそれを大学に願書を出すことに喩えました。分かるでしょう。イエス・キリスト教会では,教会の最も大きな望みはだれもが神殿に来てそこの祝福を受けることです。だれもが受けることです。それは仲間はずれにすることは意図されていません。
私はそれをみんなが理解しているのかはっきり分かりません。しかし,参入するには,より高いレベルの知識を得る準備ができていなければなりません。大学で教えられることを理解でき,その経験全体に準備ができていない人を大学に送らないでしょう。それが,神殿推薦状がある理由です。それはある意味で大学入試試験のようなものなのです。
ネルソン長老はおっしゃっています。
神殿は神聖なところなので,主はそこが冒涜されないように求められます。その特権にふさわしく準備する意志がある人は入ることを許されます。ほかのことにも準備の概念があるでしょう。わたしがまだ子供だった頃,両親に大学に行きたいと言いました。彼らはわたしが行くことが可能であると言いましたが,それはわたしがその前に学校で学ばなければならないことを一生懸命勉強し,その大学に合格するためのすべての条件を満たせば行けると説明しました。同じように,わたしたちは神殿へ入る許可を与える条件に対してふさわしくならなければなりません。わたしたちは身体的にも,知的にも,霊的にも備えます。入れるか否かは神殿推薦状に志願する個人一人一人に対して審査されます。
わたしの神殿についての個人的な感想
何よりもまして,わたしができる最善のことは自分にとって神殿がどのような意味があるかを述べることです。わたしは最近ほとんど毎週のように神殿に参入する機会がありますが,行くたびに思うことは,なぜわたしは生活が忙しいといってこの機会を逃してきたのだろうという自問です。神殿は変なところではありませんし,秘密のところでもありません。とても霊的なところで,それは平安に満ちた経験です。
神殿に行くと、わたしは神の存在を感じ,神が文字通りわたしに微笑んでおられるように感じます。神がわたしの隣におられるように,わたしと共に物事をなさっておられるように感じます。これらの天の父と,また救い主のイエス・キリストとともに経験することは,文字通りのものです。
そして,それだからこの神殿はそれ程に神聖で,保護されているのです。それはこの地上にそのような聖なる場所が保たれ,そこで最も高いレベルでの神との交流が感じられ,わたしたち参入するものが皆平安と幸せを感じることができるところだからです。
まとめ
記事のタイトル:モルモン教の神殿の新しい映画
著者:リヴィー・ウィテイカー
要旨:映画が神殿での教育のために使われていると聞いて多くの人が驚きます。わたしも十代の時両親からそのことを教わり驚きました。
liviwについて
リヴィー・ウィテイカーは末日聖徒イエス・キリスト教かの会員,つまりアイダホ州に住んでいる「モルモン」の女性です。2007年1月2日に合衆国に来てから,ニューヨーク,イタリア,アイダホで様々な専門的なコミュニケーションの仕事をしています。レヴィーは,物心ついてから日記を書いています。しかし,彼女の書いたもので最も意味のあるものはモアー・グッド・ファウンデーションに投稿した記事で,彼女の信条をオンラインで分つ合うことです。