先祖を調べると、ただそういう人物がいたという名前や住所などの情報だけではなく、時々彼らの性格や、どんなことを感じていたかを知ることができます。それは、あたかももうこの世にはいなくなってしまった先祖を目の前にし、対話しているように感じる時もあります。

 

先祖でわたしが実際に会ったことがある3人

父方のおじいちゃんはわたしが2歳の時に亡くなりましたが、晩年は糖尿病のために目が見えませんでした。小さなわたしが手を引いて歩いたこともあったようです。おじいちゃんの膝にちょこんと座って、おじいちゃんのために小皿にとった干瓢(かんぴょう)の煮物をわたしが食べてしまったことを母や祖母から聞かされました。わたしも何となくその時の干瓢の甘い味やお皿の色をうっすらと覚えている気がします。孫が食べてしまってもきっとおじいちゃんはかわいい孫のすることだと笑顔でいたのだと思います。

おばあちゃんは縁側に座ってよく縫物をしていた姿を思い出します。また、昔の人で物を大事にするので、あまった毛糸を使ってきれいな色のちゃんちゃんこを作ったりしました。わたしのことをとてもかわいがってくれて、一緒に近くの神社のお祭りに連れて行ってくれたり、おいしいパンを買ってきてくれたりしました。

母方のおじいちゃんは小学校入学の時に、月桂樹の木を千葉県の船橋市から東京の家まではるばる持ってきてくれました。その時おじいちゃんは80歳近かったのです。また、七五三の時には着物を持ってきてくれました。めったに会うことのないおじいちゃんでしたが、孫であるわたしに関心を示してくれたことに本当に感謝しています。おばあちゃんは母がお嫁に来る前に亡くなったので、会ったことがありませんが、モダンでおしゃれなきれいな人だったそうです。

わたしが先祖からどのような特質を受け継いだか考えてみると、いろいろと数えきれないほどあるとは思いますが、今一つ思い浮かぶのは英語への興味がある事だと思います。母方のおじいちゃんは英語を本格的に勉強していた人で、英字新聞をとったり、原書もたくさんありました。私がおじいちゃんと接したのは本当に少なかったですが、遺伝子は受け継いでいるのだと思います。みなさんは、どのような特質を先祖から受け継いでいますか?

 

先祖を調べると感じる様々な思い

先祖としてわたしが会ったことがあるのはこの3人の祖父母しかいませんが、先祖をたどっていき調べると、会ったことはなくてもとても嬉しい気持ちを感じるのは不思議なことです。

ほとんどの先祖は会ったことがありませんが、先祖を身近に感じることができる場合もあります。それは先祖探しをする時に起こります。わたしの遠いある先祖は子供が生まれると喜んで役場にその届けを出しに行きました。しかし昔のことで赤ちゃんがすぐに死んでしまったりすると、その届けを出しに行くのはその赤ちゃんの父親ではなく、いつも祖父でした。それを知った時、子供が生まれて嬉しく誇らしげな父親と、その子供が死んでしまった時には悲しみのあまり届けを出しに行くこともできない父親の姿、そしてそれを見かねて役場に重い足取りで行く祖父の姿を見ることができます。

先祖を調べることは本当に楽しいものです。自分がこの世に生まれるきっかけを作ってくれた先祖に思いを馳せる時、わたしは幸せな気持ちになります。