morumonkyo.jp編集者:江木さんが里親として活躍されていると聞き、里親になったきっかけ、里親になることを考えている人へのアドバイスなどについてお話をお伺いしました。

 

社会的養護とは何でしょうか?

日本において里親制度はまだよく知られていないと思います。里親と聞くとまずは動物(犬)などのイメージがまだ日本にはあります。それはファミリーホームという仕組みの中にあるものです。私は養育者として、事情があって親元で暮らすことのできない子供たちを預かり、ともに生活をはじめました。この社会的養護は、「子どもの最善の利益」と「社会全体で子どもを育む」ことを理念として行われています。児童憲章の言葉の一部には「すべての児童は、家庭で正しい愛情と知識と技術を持って育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる」という児童憲章の言葉の一部があります。

あたたかい愛情のもとで家庭生活を経験しつつ育っていくことが最も望ましいですが、世の中には親のいない子どもたちや親がいてもいろいろな事情(虐待を含む)など、不適切な環境のもとで子供たちが蒙った心身の痛手をケアしていく環境が用意されなければなりません。

社会的養護の体系は里親など子どもを家庭的な環境のなかで養育する家庭的養護と、乳児院や児童養護施設などの児童福祉施設で養育される施設養護が大きな二本柱です。家庭的養護は、原則として夫婦など継続的関係を保つ個別的養護が前提とされています。家庭的養護の代表的なものとして里親制度があります。厚生労働省が2009年に導入し資格を持つ里親が子供5人~6人を引き取り、自宅や公営住宅等で一緒に生活し養育する小規模住居型児童養育事業(ファミリーホーム)が第二種社会福祉事業として法定化されました。数十人単位で暮らす児童養護施設に比べると、より家庭に近い環境が期待できます。西欧をはじめ世界の国々では家庭を失ったこどもの養護は、里親制度が一般的ですが、日本ではやっと西欧に近づいた制度と言えると思います。

 

わたしが里親になったきっかけ

『YMCA里親ファミリーホーム操山寮』は、2011年に石井十次が提供してくださった土地から始まりました。「操山寮」であったもと学生寮がその使命を終えた後、里親型のこどもたちの受け入れ場所であるファミリーホームの開設に至りました。先人のバトンを受け継ぎ新たな時代の愛に満ちた「ファミリーホーム」を作り出したいといの願いが+ありました。

当初は夫婦で里親になるということは全く考えていませんでした。しかし縁あってやらないかというお誘いがありました。今現在、YMCAという公益財団法人の職員として小規模養育事業で養育者として勤めることになり早くも6年がたちました。これをはじめたきっかけは前職の児童養護施設にありました。児童養護施設での勤務の際に結婚披露宴を児童養護施設であげさせてもらったり、担当する子を我が家(職員宅)に招いたりしました。その子の誕生日を施設では食べられないすきやき(生卵など食品衛生上使用不可)と手巻き寿司など楽しい時間を過ごさせていただく経験がありました。担当していた子を我が家に何度か連れて行く中で、社会的養護の必要な子供たちにも自然と触れ合っていた妻の了解がありました。

わたしは、この世に肉体を持って生まれた全ての人は、神様から愛されていると信じています。よく赤ちゃんができた時に 赤ちゃんを授かったというふうに話しますが、本当に子どもは神様からの授かりものだと思います。わが子に元気ですくすく大きくなってほしい。愛し愛され、幸せになってほしいと思う気持ちを感じるのと同じで、事情があって親や親族と一緒に生活できない子ども達も、やはり元気ですくすく大きくなってほしいですし、幸せになってほしいと思います。そして自分のこの世での役割を見つけて働き、自立してほしいと思うんです。そんな思いを持ちながら夫婦で祈り、きっと助けがあるという答えを受け、今にいたっています。

2014年7月1日から定員6人の中で、小6から高3男児までの男児5名が委託され一緒に生活しています。また養育者家庭であるわたしの子どもたちを含め、定員が6名であることから、子供たちだけで10人の子供たちが一緒に生活をしています。法人として実施しているファミリーホームもいくつかある中でも、全国でいくつかあるYMCAの中では初めての取り組みでもあり事業でもあります。

里親になってからのチャレンジと祝福

里親といっても、養育者としてまたYMCAのスタッフとして養育が仕事という点で、里親になることはかけがえのない仕事のように思います。中には里親は仕事じゃないという風に言われることもありますが、養育自体が仕事ということもあり、切れ目のない支援という点では何時間勤務とかお休みとか労働の視点からいうと非常に難しい点もあります。今日休みだからといっても家が仕事場ですから常時子供たちはともに住んでいますし、家事そのものも業務の一つでもありそういう意味では里親=仕事ととらえられないことがあるように思います。チャレンジはついてきます。多くの人は私たちのしていることについて聞くと大変だねという声をかけてくださいます。子育てという点では確かに大変な面もあります。しかしそれ以上にこどもの成長を見るとき、感じるときに今私たちがしていることは決して無駄なことなんてないのだという思いです。

祝福はたくさんあります。里親という名前や大家族という情報を聞き、農家の方の作ってくれた野菜が無償で届くようになり、息子の同級生の保護者からもたくさんもらったからと洗剤や野菜など生活に必要なものが届くようになりました。確かに家族だけでこの里親制度をしていこうとすると限界はあると思います。しかし、多くの人が支えてくださるということを本当に感じていて、感謝の気持ちで一杯です。世の中には本当に大変と思うことは多々あると思います。しかし大変と感じるなかでその経験を通して人は強められるということも知っています。

大好きな聖句に第一コリント10章13節があります。

「あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に合わせることはないばかりか、試練と同時にそれに耐えられるように、のがれる道も備えてくださるのである。」

 

実際の里親制度の現状について

2011年に開所してすぐ当時高校生であった児童が児童養護施設からの措置変更でファミリーホームに来ることとなり、ファミリーホームとしても最初に委託を受けることになりました。その一ヵ月後には3歳児の男児、夏休みのころには中学3年男児、そして2名の小6男児の委託を受けました。中3男児は県北からの委託で学習支援も必要でした。行きたい学校や夢などもなかったため進学先からの配慮も必要でした。学習支援に関してもYMCAの学習塾や公文の学習教室などを利用し、ついに高校進学を決めることができました。小6男児に関しては母の病気による委託であったため、年度末での引き取りとなり現在は母とともに生活をしています。

2年目を迎えすぐに小4男児と中3男児の委託をうけ、その子たちもそれぞれ進級し現在もファミリーホームにて生活をしている子もいますが、卒業を迎え大学進学をした人もいます。2年目の12月には中3男児の一時保護委託も行いました。一時保護委託とはまた正式入所(措置)というわけではなく一時的にお子さんをお預かりする仕組みです。ホームからこれまで通っている学校に転校することなく通うことができました。その年の正月は養育者の実家に帰り、家族での生活経験も持つことができ、その後家庭引き取りとなりました。

3年目に入りファミリーホームの第一号でもある里子の男児が就労ということで、夢でもあった東京での暮らしをしたいという希望もあり多くの人の支えにより県外への就職を試みました。採用となり一人暮らしも始めましたが、4月に就労してすぐに採用された就職先を離職し、高校時代に働いていたのと同じようなファーストフード店のマネージャーとして働き始めました。今は働きを認められ静岡県での勤務をはじめ、店長やエリアマネージャーとしても若くして働くことになりました。その後再度、転職により今は県外での生活をしています。

2013年の2月に中3男児、5月には6人目となる小6男児の委託を受け、2013年9月19日には定員を満たしました。ある1年生は2014年に入り、保護者引取りが決まり家庭復帰をすることができました。その子は学童保育を利用しながらも登校できているということを聞いています。4月末には高2男児となるMくんが様々な理由から自分をおいこんでしまい、家出をして県外で保護され、今現在は保護課の生活を行いながら精神科のDrと協力をしながらホームに帰って生活するための調整をしました。その子も休学などのその時々の状況にあわせながら勉学に励み、多くの人の支えにより国立大学に合格するという機会に預かりました。2017年3月30日現在は3人の里子たちがファミリーホームで生活しています。今は定員の6人を満たしていませんが、ホームなどの社会的養護を必要としているお子さんはいます。

ファミリーホームに来てくれたこどもたちは2017年3月30日現在総勢10名になりました。子ども達は本当によく頑張っていると思います。新しい場所で、新しい人間間関係の中で 寂しい気持ちや不安な気持ちにも耐え、前からいる先輩達とも仲よくやっていこうと頑張っています。

 

今後の里親制度の課題

今後の支援の中で特性(発達障害など)を持つ児童へのサポートとして精神科のドクターとの協力や働きかけが必要であったり、養育者のレベルを上げたりという点では研修などへの積極的な参加が必要です。里親からのファミリーホームの場合にそういった時間がとりにくいところもありますが必要性は非常に大きいと言えます。こどもたちが成長するのと同じように養育者、補助者である大人もレベルアップすることが必要です。

毎年行われる里親ファミリーホームの大会にも、YMCAせとうちとして開設前の第5回から参加していますが、里親のとりまく環境が劇的に変化しているので、入所した子をただ一緒に生活しておけばいいというのではなく、特性を考えてその子が安心できる生活支援をするなど、より専門的な対応が求められています。

しかしそれ以上に一緒にやろうと言ってくれた妻の存在があることが非常に大きいです。こどもたちの弁当、食事など少し時間が空いたと思ったらご飯のことを考えるそんな日々ですが、文句も言わずに愛するこどもたち一人ひとりのために自分の時間をささげている妻の姿から学ぶことが沢山あります。今後の岡山のこどもたちの将来のために何ができるか、個人の力だけでなく法人としてやっているファミリーホームとして特別何かをするということは難しいところもありますが、特別に何かというのではなく自然に子育てを楽しむことも大切なポイントだと思います。子どもたちにとって最善の利益は地域におけるネットワークがより良くなることです。

 

里親、又は養子を考えている夫婦へのアドバイス

夫婦へのアドバイスというレベルにまで私はいっていないと思います。逆に先輩たちからまだまだ学ばせていただきたいという思いです。

もし里親や養子を考えているなら小さい子ならと考えると思いますが、神様のこどもたちを預かる以上小さい子、大きい子と選んでいたら里親としては始まらないと思います。でも、どんな子でもいいというわけにはいかないと思います。必ず課題や問題はついてきます。その時に困ったといえる環境への対応をぜひ整えておき、子どもと一緒に遊べる趣味などを持っておくといいと思います。

里親と養子という言葉からも根本から違いがあるため夫婦へのアドバイスという大それたことはできません。一つだけいえるとすれば、もし何かをしたいと思ったならぜひよく夫婦で祈って決めてほしいです。あの時はこういうつもりじゃなかった、まさかと思うような経験は非常に多いです。しかし祈って決めて夫婦で一致しているならきっとその経験も意味があります。時になぜ神様はこのような経験をさせるのだろうと思うことがあると思います。私たちは神様のもとを離れこの地上で生を受ける前から神様のようになれるという計画を受け入れこの地上にやってきたことを忘れないでほしいです。

 

私の夢

私にはまだあったことのない兄、姉らの存在があります。なんらかの事情でこの世に生を受けることができませんでした。両親は生まれなかった子たちの倍を産もうということを決め、私を含め6人兄弟を頂く機会に預かりました。両親が産もうと決意していなかったら私は弟と妹にあえなかったことでしょう。

先日母方の祖父が100歳になり、お祝いをしました。家族写真の記録を準備しているとき、本当に多くのひ孫が生まれ家族のつながりが増している、祝福を受けているということを見たとき神様の用意してくださっている祝福は計り知れないということを知りうれしくなりました。

まだまだこの世での生活にチャレンジはあると思います。しかしこの世に生を受ける前から神様は私たちに帰ってきてほしいと望んでおられることを知っています。

私には夢があります。それは孫の結婚式に参加すること。またこの世での生涯を終えるとき、私にもいる生まれてこなかったわが子との再会を望んでいます。どんな形でその祝福を受けられるかはわかりませんが、神様はきっとその機会を与えてくださると信じています。決してあきらめたくないです。神様はこんな私のこともよく御存じでいつも祝福を用意してくれているということを信じています。
公益財団法人 YMCAせとうち YMCAファミリーホーム操山寮 江木広海