末日聖徒イエス・キリスト教会(よくモルモン教と呼ばれる)の会員はこの世に生まれてくるのには目的があり、それは天の父のようになることであると信じています。神は私たちの霊の父であり、この地上に来る前に、私たちは御父とともに住んでいました。天の父は救いの計画をお立てになり、私たちが理解を増し神のようになり、やがて神とともに住むことができるようになさいました。モルモン書の預言者アルマはこの計画を「偉大な幸福の計画」(アルマ42:8)と呼んでいます。この救いの計画は3つの部分に分かれています。前世、死すべき世、死後の世界です。

 

前世

私たちは天の父の息子、娘でした。この世に来る前に、霊の子供として御父と一緒に住んでいました。私たちが天の父のもとにいた時、父は救いの計画を示してくださいました。私たちは地上に送られることにより学び成長しもっと神のようになることができると告げられました。

神は私たちに最も貴重な賜物である選択の自由ないしは自由意志を与えてくださいました。私たちは皆自分のなすべきことについて選ぶ力を授かっています。ルシファー(またはサタン)は天の父とは異なる計画を提案しましたが、それによると私たちから選択の自由を奪い、私たちを彼の権力下におくというものでした。そしてサタンはすべての栄光を自分のものにしようと思いました。しかし、イエス・キリストは天の父の計画に従い、すべての栄光を父にもたらすように計らうと述べました。

このように異なる提案が出され、選ばれるという機会となった出来事は、教会の教義では天上の大会議と呼ばれています。天の父はイエス・キリストが私たちの救い主になることを承認され、その決定はルシファーを怒らせました。ルシファーは逆らい、自分の計画に賛成した霊たちを引き連れて、私たちが地上に来た時に私たちを誘惑し問題に陥れることになったのです。

 

死すべきこの世の生活

私たちが天の父のみもとを去って地上に来た時、私たちの精神に幕がかけられて、前世での記憶や知識を消されました。この世に来たのは試され、試練を受けるためで、それによって学び成長し、天の父に自分がみもとに戻るにふさわしくその意志を持った者であることを証明するためでした。

最初に地上に送られたのはアダムとエバでした。エデンの園に住み神と共に歩み語ることを許されていました。彼らは善悪の木から取って食べてはならないと禁じられていましたが、サタンが誘惑して彼らはその実を食べてしまいます。その結果園を追い出されることになります。目にベールがかかった状態になり、天の父のみもとで住むことができなくなりました。

この地上ではサタンが私たちを誘惑することができます。私たちは痛みや苦悩や死を経験し、それらによって善悪を識別することを学びます。問題に直面し、正しいことを選ぶことがこの死すべき生活と救いの計画の目的の一部です。父なる神は救い主が私たちに神のみもとに戻るための方法を知らせてくれるように計らわれました。戒めとイエス・キリストの模範により天の父のみもとに戻る方法を知ります。

救いの計画は私たちに対する身代わりの贖いを必要としています。その結果、私たちは悔い改め赦しを受けて天の父と再び一緒に住めるようになります。いかなる汚れた者も神のみもとに行くことはできません。しかし、私たちは自分で自分の罪を清めることができないのです。イエス・キリストは、苦しみ十字架にかけられました。主は御自分に私たちの罪と苦痛をお受けになったのです。それで、主の贖いの力を受けて、もし私たちが進んで主に従い、罪を悔い改め、天の父の戒めを守るならば、贖いの持つ清めの力を受けるにふさわしくなります。これによって私たちは父なる神のみもとに戻ることが可能になります。

また、私たちの天の父は預言者を与えてくださいました。過去も現在も預言者は神の地上における代弁者です。もし預言者の言葉に従いその教えに従って生活するならば、地上での生活を正義の原則に従って生きることができます。

 

死後の生活

私たちの命は地上での死によって終わる訳ではありません。私たちの霊は肉体を離れ霊界に行きます。地上での生活で福音を聞いたり、それを選ぶ機会がなかった人たちに、霊界では機会が与えられます。 イエス・キリストの贖いの力によって、この世に生まれてきたすべての人々は復活します。私たちの霊は肉体と永遠に結びつくのです。

復活後、私たちは天の父の御前に連れて来られ、この世での行いに応じて裁かれます。イエス・キリストの模範に従い、罪を悔い改め、神の戒めを守るようすべてのことを行った人々は日の栄えの王国に住むことができます。そこでは私たちは天の父とともに住むという特権に預かるのです。