助けを受けることは特別なことではありません。助けを受けずに自分の力で奮闘している人もいます。でもみんながみんな常に自分で頑張ることは難しいですよね。上手に助けてもらう方法ってあるのでしょうか?今回は助けを求める力について一緒に考えていきましょう。

助けてもらえずにショック!!

10年以上前の話です。アメリカ滞在中に出産をし、初めてその子を連れて日本に帰国したことがありました。大きな荷物は空港から宅配便で家に送り、途中で実家に寄る予定でした。そのため、わたしは1週間分の荷物を持ちながら人が多い駅を移動していました。そしてショックを受けました。赤ちゃん連れの人を助ける人が誰もいなかったことを!

アメリカでは赤ちゃんを連れて荷物を持っていたら、当たり前のように助けが必要か声を掛けてくれたり、ドアを開けてくれたりしました。赤ちゃんと共に長いフライト時間を乗り越え、やっと大好きな日本に戻ってきたのに、人々は目の前を素通りし、とても寂しく悲しい気持ちがしました。

しかし、これはわたしが受けた勝手なショックです。アメリカでの生活のせいで、やってもらって当たり前というところが、無意識にあったのだと思います。実際に、助けてもらうために自分から何もアクションを起こしませんでした。冷静に考えると、その駅にいた人達は、急いでいたのかもしれません。それぞれに事情があったのだと思います。

もちろん、日本にも大小問わず助けてくれてくれる人が多くいます。助けの内容はさまざまで、助けてくれた人の年齢も性別も統一されていません。そしてその場限りの出会いも少なくありません。なので、この国は冷たいと言っているのではないんです。ただ、この経験から助けが必要なら、助けを待つよりも自分から求めた方がいいのではないかと感じました。

助け求める力、受援力

受援力」という言葉があります。これは東日本大震災をきっかけに注目されるようになりました。災害時に個人や自治体などを問わずに、ボランティアなど助けてくれる人に自分に必要な助けは何か伝え、助けを求めて、支援を受けるという力です。しかし、助けは大災害の時しか求めてはいけないということはありません。そもそも直面する苦難や問題をどう感じるかは個人によって変わります。ある人から見たら何ともない出来事でも、別の人から見たら絶望的な大問題かもしれないのです。それなのに苦しい状況で、みんな頑張ってるのに自分一人でこの問題を解決できないなんてダメな人間だ!!と落ち込むかもしれません。ですから、助けを求める力を養うためにはまず、自分を責めずに、あの人だって頑張っているんだと人と比べ過ぎないことです。

「お互い様」の気持ち

多くの日本人は小さい頃から、「人に迷惑を掛けない」と聞いてきたと思います。もちろん、それを心がけることは大切です。人にむやみやたらに迷惑を掛けるような状況に自分を置かないように気を付けている人が多いと思います。しかし、それでも自分ではどうしようもない状況が起きます。そんな時に1人で苦しんでもがくより、人に頼ることを考えてみるのはどうですか?日本には「困ったときはお互い様」という言葉があります。お互いに助け合うことができるんです。もちろん街などで助けてくれた人にもう2度と会うことがないなら、その人からしてもらったように誰か困っている人を助けてみたらいいかもしれません。

「人に迷惑を掛けない」という教えから、誰かに助けを求めることが申し訳ない、恥ずかしい、勇気がいると考える人がいることでしょう。察してほしいという想いもあるかもしれません。しかし、相手はエスパーではないので人の気持ちをすべて察することは難しく、結局自分が傷ついてしまうかもしれません。それに、勇気を出して助け求める事で開ける道もあります

末日聖徒イエス・キリスト教会の活動の一つで、18歳から31歳の独身の教会員が一緒に学んだり、アウトドアなどのレクリエーションをする活動があります。ある時、わたしはその1つの活動に参加したいと思いました。友人達は車を乗り合わせて行く計画をしていましたが、わたしはバイトがあったので電車で行こうと思いました。しかし乗り換えなどもあり、残念ながらもし行っても活動が終わる頃にしか到着できないことが分かりました。

別の友人は用事があったので、少し遅れて自分で運転して活動に行くことを知りました。ですがわたしは一緒に乗せてもらえるかと聞くことは、彼女が回り道をすることになるので迷惑かと思いました。結局その友人は一緒に行こうと声を掛けてくれました。嬉しいことに、わたしから「一緒に乗せて」って言っていいんだと言ってくれました。「難しい時はできないっていうから遠慮なく言ってね。申し訳ないと思う必要はないけど、申し訳ないと思うなら自分ができることで困っている人を助けたらいいんじゃない?」と言ってくれて、少し気が楽になり、自分も誰かを助けようと決意しました。

その後、今度は自分から友人に車に乗せてもらえるか聞いたことがあります。その時彼女は、頼ってもらうと信頼されているんだなって感じて嬉しいと話してくれました。

インドでは「あなたは他人に迷惑をかけて生きているのだから、他人のことも許してあげなさい」という言葉があるそうです。迷惑を掛けることが悪いことではなく、みんな同じなんだよ、お互い様だよというメッセージを感じます。ただ、助けてもらう側が「なんで助けてくれないの!お互い様なんだから助けてくれたっていいじゃない」という態度を出すのは、正しい受援力ではないかもしれません。それに、助ける側も助けてもらう側もお互いを敬う必要があります。どのような関係であれ人と人との交わりにはとても大切なことです。なぜならわたしたちは同じ神様の子供です。1人1人が神様にとって尊く大切な存在なので、誰一人無下(むげ)に扱われていい人はいないことを覚えていてください。その事を前提としてさらにこの記事を読み進めていってください。

身近にできる支援と社会の支援

相手から助けを求められていなくても、わたしたちが気軽にできる支援があります。例えば自動ドアではない扉を開けてあげることです。、お子さん連れだったり、身体が不自由な方に限らず、自分より後ろからそのドアを通る人には、「お先にどうぞ」とすることができます。

車いすや目が見えない人や、たくさんの荷物を持っている人には、「何かお手伝いできることはありますか?」と最初に聞くといいかもしれませんね。またよく見かけるのが、エレベーターのボタンを押してくれたり、車の運転で道路で右折する時に道を譲ってくれたり、落としたハンカチを拾って届けるなどをしてくれる人達です。この模範は自分が助けることができる立場になった時の参考になります。

助けて欲しい内容によっては、周りの人から助けを受けることが難しいことがあります。そういう時は、迷わず社会が提供する支援サービスに問い合わせることをおススメします。

新型コロナウイルス感染拡大のため、本当にたくさんの人が困難な生活を送っています。すでに社会の支援を受けている方もいるかもしれません。まだ知らない人のために、また支援を受けるかどうか迷っている方のために、支援の一部を紹介します。

生活支援

フードバンク

生活福祉資金貸付制度

自殺相談

学生への支援

専門学生の助け合い

新型コロナの影響を受けた学生等の経済支援 – 文部科学省

子育て支援

ファミリーサポートセンター

これはほんの一部です。お住まいの自治体や所属している学校、勤務している職場には、住宅の補助や独自の学生や子育て世代への支援、給料補償などがあります。一度問い合わせてみるといいでしょう。学ぶための資金の問題は、奨学金が助けになるかもしれません。諦める前に調べたり学校の先生に聞いてください。また、一か所だけでなく複数個所に頼り、苦難を乗り越える方法を探すこともできます。

そして、家事・子育て、介護などには有料支援サービスもあります。一人で悩み続けて苦しい想いをするよりお金を掛けることで道が開けるなら、それも一つの方法です。

神に助けを求めることは非現実的か

助けを求める力は目に見える人や物に対してのみ可能でしょうか?神に助けを求めるなんて意味がないと考えますか?しかしそう決めつける前にこちらを参考にしてみてください。

神に助けを求める方法の一つとして祈りがあります。末日聖徒イエス・キリスト教会は祈りの目的についてこう書いています。

「祈り​の​目的​は、神​の​御​心​を​変える​こと​で​は​なく、神​が​わたしたち​に​与えよう​と​すでに​備えて​おられる​祝福​を、自分​の​ため、また​人々​の​ため​に​得る​こと​で​ある。しかし、それ​を​得る​には​求め​なければ​ならない。」

また、祈りの力についてこのような言葉があります。

「なぜ試しを受けるのか、そして試しとは何かを知ると、助けを受けるにはどうしたらよいかが分かってきます。神の御前に行かなければなりません。神は戒めを与えておられます。戒めを守るためにわたしたちは自分の力以上の力を必要とします。
……そして、危機が訪れるずっと前からそうしたことを確実に実行しているならば、必要な助けが必ず与えられることを約束しています
まず最初に、そして途中で、さらに最後に行うべきことは祈りです。救い主はその方法を教えてくださいました。最も分かりやすい指示の一つが第三ニーファイにあります。

『……あなたがたは誘惑に陥らないように,常に目を覚ましていて祈らなければならない。サタンはあなたがたを小麦のようにふるいにかけることを願っているからである。
だからあなたがたは,わたしの名によって常に父に祈らなければならない。
与えられると信じて,わたしの名によって父に求めるものは,正当であれば,見よ,何でもあなたがたに与えられる
あなたがたの妻子が祝福を受けるように,あなたがたの家族の中で,わたしの名によって常に父に祈りなさい。』
このように,わたしたちは常に祈らなければならないのです」ヘンリー・B・アイリング

頼ることで思いがけない助けと問題解決

神は人を通して助けを与えてくれることがあります。大学在学中にバイトの仕事を失ったことがありました。親からの仕送りがなかったのでとても困りました。学業を諦めるという選択しか浮かばない日々でした。神に祈って断食して、最後のお給料から什分の一を払って戒めを守りました。仕事を失ったわたしの話をわたしの友人から聞いた一人の先輩が、バイトを変えるということで、彼のバイトを紹介してくれました。しかも前の自分のバイトよりも給料がよかったです!祈りに答えてくれた神様と心配してくれた友人に感謝しています。

「頼る」という行動をすることで、助けを得ることができます。それは想像していたものとは違う助けかもしれませんが、神に助けを求めるという行いは信仰を表すことができ、祝福を呼ぶことができるのです。

最初から相手を敬いながら必要な助けを伝え、それを受けることが難しいかもしれません。いつもいつも求めた相手に助けを得られるとも限りません。でも、助けを求める力を実践し、活用して養うことで、助けを受ける時に感じる罪悪感がなくなり、感謝の気持ちを持つことができることでしょう。そして自分も誰かを助けようという気持ちが持てるようになることを祈っています。ぜひあなたが誰かから助けてもらった経験を教えてください。