モルモンは、天国は神がお住みになっている実際の場所であると信じています。人々が悔い改め、キリストを信じ、神の戒めに従うとき、天国の一番高い王国に住む準備をすることになります。
モルモニズムの答え:天国について知っていること
葬儀についての最初の記憶は、私の曾祖母のエディス・スミス・ブッシュマンが亡くなったときです。私は11歳でした。私の2人の祖父と親戚の数人の人たちはもう亡くなっていましたが、それらの人たちの葬儀については詳細を覚えていません。私は曾祖母の大きな家族と、亡骸に最後のお別れをする部屋に入って、そのすばらしい忠実な生涯に敬意を表しました。私がその葬儀場の大きな部屋の中を歩き回っていたとき、私は2つの小さな足をカーテン越しに見ました。驚きと恐れで泣き始め、私の3歳になる妹のダシアーナは棺の人から自分を隠したのです。彼女は曾祖母であることが全く分からなかったのです。
私は彼女の横に床に座って、単純で子供の表現で、死と天国について、曾祖母のエディスに対して何が起こるかについて話しました。私の両親は天国について教えてくれました。しかし、その時は私が自分の天国についての信条を他の人に言葉にして説明するという最初の経験でした。ダシアーナは3歳であっても、私はそうすることが彼女を慰めるだろうと感じていました。ダシアーナに説明した単純な真理は彼女を慰め、それからすぐに彼女は明るくなりました。
天国があるという知識は、愛する者を失う時に、平安と慰めを与えてくれます。それと同時に、目的を持って生きるように、勇気を与えてくれます。
魂は不滅
末日聖徒イエス・キリスト教会は、しばしばはからずもモルモン教会と呼ばれますが、霊が不死不滅であるという真理の原則を教えています。末日聖徒(モルモン)は、人類はこの世に生まれる前に神の御もとで、その子供として存在していたことを信じています。「すべての人類は、男女とも、神の姿に似せて創造されました。それぞれは、天の両親の愛された息子であり、娘です。(中略)神聖な特性と運命を授かっています。」(『家族―全世界への宣言』)
肉体を持つ代わりに、私たちは霊として存在していました。神である永遠の父はこの地上をその子供たちが肉体を得、死すべき状態を経験し、望むらくは神のもとに戻ってきて再び一緒に住むことを選ぶように準備なさいました。神が子供たちのために備えられた霊的肉体的な進歩のプロセスは、幸福の計画とか救いの計画と呼ばれます。神は御子のイエス・キリストが世界の救い主であり贖い主になるように選ばれました。というのは、神は人類が罪を犯し、悔い改めて御もとに戻る方法が必要であることを知っていたからです。
天の父の幸福の計画の一部には来世のことも含まれます。人は自分の永遠の行く末を人生における決意によって決めます。それには正しくイエス・キリストの恵みと贖いを受け入れることも含みます。
死ぬとどうなるのか?
死んだ後、肉体と霊の体は分かれ、肉体は地の中に埋葬され、不死不滅の霊は霊界に行きます。霊界は2つの部分に分かれます。パラダイスと霊の囚獄です。この世での生活で神の戒めに注意を払っていた人々はパラダイスに行きます。神の戒めに従うことを拒んだか、この世での生活で神について学ぶ機会のなかった人たちは霊の囚獄に行きます。パラダイスから霊の囚獄におくられる人々が、そこのすべての人々に、イエス・キリストと神の戒めについて教え、すべての人が自分の救いに必要なあらゆることを学ぶ機会が与えられます。イエス・キリストを拒む人は霊の囚獄にいる時に自分たちの罪の代価を支払わなければなりません。この苦しみは時には「地獄」と呼ばれるものですが、一時的なものです。
いずれ、すべての地上に生を受けた人々は復活しますが、それは霊と完全な肉体が結合し、永遠にそのままの状態を保つという意味です。神の裁きが起こります。神がその人の生き方を裁かれ、それぞれは日と月と星の輝きが象徴する、日の栄え、月の栄え、星の栄えの王国に割り当てられます。(1コリント15:40−42と教義と聖約76章を参照)神は日の栄えの王国にお住みになり、そこでは儀式によって結び固められた家族の関係が永続します。
地獄
そこでは霊的な成長が止まってしまうので、霊の囚獄はイエス・キリストの福音を学び悔い改める必要がある人々にとっては一時的な地獄です。悔い改めた後、彼らは福千年でのある時期に復活し、裁きを受けます。悔い改めることを拒む者たちは自分の罪による苦痛を堪え忍ばなければなりません。そして、福千年の最後になって復活します。
御子を、臨在を受け、主が御自身を完全に現されるという体験をした後で、否定する者は、キリストの贖いによる償いを受け入れず、滅びの子と呼ばれます。これは、「聖霊に対する罪」と呼ばれ、これは唯一の赦されざる罪です。彼らは永遠の暗闇に割り当てられます。この地獄は永久の状態です。これがカインの運命であり、地上に生きた人の中でほんのわずかな人だけが、キリストとともに歩み、語った後で主を否定しました。その他の滅びの子たちとはサタンとその使いたちです。
神の大部分の子供たちは、贖いを受け、あるレベルの栄光の状態で永遠のときを過ごします。日と月と星の栄光の状態です。ジョセフ・スミスとシドニー・リグドンは天国の諸王国を見て、それが教義と聖約76章に記録されています。彼らが目にしたのは、最も低い栄光の王国(月の栄え)でさえ言い尽くせないほどの栄光を持っているということです。最も低い栄光にいる人々は重大な罪を犯し、この地上でも霊界でもキリストを拒否したのです。ですから、モルモンの教義は、天国についての真実な教義なのですが、他のどのキリスト教の信仰より、総括的なもので、神のその子供たちに対する大いなる愛を示すものです。
天国とは何か?
天国にはあらゆる種類の栄光の王国がありますが、日の栄光の王国こそ神様が実際に住んでいらっしゃる所です。「主はその聖なる宮にいまし、主のみくらは天にあり(後略)」(詩篇11:4)旧約聖書の預言者ヤコブは天国についての示現を受け、それが創世記28:12−13に記録されています。「時に彼は夢を見た。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使いたちがそれを上り下りしているのを見た。そして主は彼のそばに立って言われた、『わたしは(中略)神、主である。』」
天国は光の場所です。「神は光であって、神には少しの暗いところもない。」(1ヨハネ1:5)預言者ジョセフ・スミスは天国について受けた示現を教義と聖約137:2−4に記しています。
わたしは、その王国を受け継ぐ者たちが入る門のたぐいない美しさを見た。それは回転している炎のようであった。わたしはまた、輝く神の御座も見たが、そこには御父と御子が座しておられた。わたしはその王国の美しい街路を見た。それは金を敷き詰めたかのようであった。
キリストによる千年間の統治の後、地球は再び、火による清めを受け、この地上の義なる住民のための日の栄えの王国になります。「柔和な人たちは、地を受けつぐであろう。」(マタイ5:5;詩篇37:11;教義と聖約8817;3ニーファイ12:5)かくして、天の最高の栄えの王国は栄光化された地球の状態なのです。
「彼らは神の前で、ガラスと火の海のような球体の上に住んでいる。そこでは、彼らの栄光のために、過去も現在も未来もすべてのことが明らかにされ、またそれらは絶えず主の前にある。(中略)この地球はキリストのものとなる。」(教義と聖約130:7、9)
天国においては、儀式によって結び固められた家族の関係は継続します。
さらにまた、まことに、わたしはあなたがたに言う。もしある男がわたしの律法であるわたしの言葉によって、また新しくかつ永遠の聖約によって妻をめとり、そしてそれが、わたしからこの力とこの神権の鍵とを与えられた油注がれた者によって、約束の聖なる御霊により彼らに結び固められ、また彼らに、「あなたがたは第一の復活に出てくるであろう。もしも第一の復活の後ならば、次の復活に出てくるであろう。そして、王位、王国、公国、および力、主権、すべての高い所と深い所を受け継ぐであろう」と言われるならば、また殺人を犯して罪のない者の血を流してはならないと子羊の命の書に記されているので、(中略)彼らがこの世の外に去るときにも完全に効力があるであろう。そして、彼らはそこにおかれる天使たちと神々のそばを通り過ぎ、彼らの頭に結び固められたように、すべての事柄について昇栄と栄光を受けるであろう。(教義と聖約132:19)
天国の最も高い王国は、 イエス・キリストの恵みによってこの世に打ち勝った神の子供たちが、神とともに住み、そして神のようになる所です。彼らは義なる人たちなので、神の御もとでも快適に住むことができます。愛弟子のヨハネは天国と神とともに住む人々を見ました。
その後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、数えきれないほどの大ぜいの群衆が、白い衣を身にまとい、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立ち、大声で叫んで言った。「救いは、御座にいますわれらの神と子羊からきたる。」御使いたちはみな(中略)御座の前にひれ伏し、神を拝して言った、「アァメン、賛美、栄光、知恵、感謝、誉れ、力、勢いが、代々限りなく、われらの神にあるように、アァメン。」長老たちのひとりが、わたしにむかって言った、「この白い衣を身にまとっている人々は、だれか。また、どこからきたのか。」わたしは彼に答えた、「わたしの主よ、それはあなたがご存知です。」すると、彼はわたしに言った、「彼らは大きな艱難をとおってきた人たちであって、その衣を子羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます子羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう。」(ヨハネの黙示録7:9−17)
私は神が生きていらっしゃり、天国は実際の場所であると知っています。天国での生活の特質は私の地上での生活の中でもありうるものであり、あるべきです。しかし私の最も大きな目標と願いは、天国の燃えるような門をくぐって、天の父とその御子イエス・キリストの歓迎を受けることです。
もっと天国と父なる神とその御子イエス・キリストの属性について学ぶために、末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師にコンタクトして下さい。
この記事はdelisaによって書かれましたが、彼女は幸福を見つけるに2つの投稿をしています。彼女は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員で、66回引っ越しをしましたが、この美しい地球にまだ飽きていません!彼女は人々、言語、歴史や文化人類学、世界の宗教文化が好きです。彼女の生涯にわたる熱情は宗教的な象徴、とりわけ古代と現代における神でとの関連について研究することです。彼女のご主人のアンソニーと彼女はブルドックのウエリングトンと、冒険、旅行、映画、オートバイ、友だちや家族と過ごす時間が好きです。