「完璧である」とはどういう意味でしょうか。辞書には「一つも欠点がない完全無欠」であることだと書かれています。では、「完璧主義者」はそのような状態の人であると言えます。しかしわたしは、完璧主義とはサタンによって作り上げられた偽りの教えだと信じています。ジョセフ・F・スミス大管長は、サタンが利用するある手法についてこう説明しました。「サタンは模倣が巧みですし、本物の福音の真理が世の中にどんどん広まるにつれ、サタンは間違った教義という偽札をまき散らします。」たとえばこんな風にです。マタイ書5章48節の「あなたがたも完全なものとなりなさい」という聖句の完全という言葉について、脚注で「完成した」「完了した」「完全に発達した」という補足の説明があるにも関わらず、サタンはそれを無視して、この聖句に「今すぐに」という言葉を付け加えます。完全主義は、人が光を支持するために必要な真理をもたらすことのない、「聖典の教えを混ぜた人間の教訓」のいい例です。完璧主義を通して、サタンは慰めに満ちたキリストの福音を、困難や苦痛の原因へと変えてしまうのです。

100点のテスト完璧主義者とは?

辞書には「完全主義者とは、何事に関しても、完璧、もしくはほぼ完璧でなければ満足できない人。まったく罪のない人生を送れると信じている人。」と書いてあります。そんな生き方は、不幸を作り出すに絶好のレシピでしょう。そのような考えは、自分や他人に対して、不可能な、現実とはかけ離れた期待を持たせるからです。サタンはわたしたちに、もっと頭を使って、もっと努力して、もっと頑張れば今すぐにでも完璧になれる、と言い聞かせます。そしてサタンはわたしたちに、それはまわりの人たちにとっても同じことで、みんなが完璧になれるように手助けをするのはわたしたちの仕事だと思い込ませようとします。

わたしたちがこの偽りはキリストに反するものだと気づくと、サタンは調子を変えて、わたしたちに救い主の助けにふさわしい者となるためには、ほぼ完璧にならなければならない、と信じ込ませようとします。

完璧主義は、天に向かって自分の思い通りに物事を進められると考えさせます。それは、確実に落胆へと続く公式で、私自身そのような考えをたとえ1時間だけでも持ったときには、必ずみじめな感情に襲われたものです。まずサタンは、わたしに「あらゆるものとあらゆる人を修正できるように優秀になる『べき』だ」と吹き込みます。わたしが思い切り失敗し、自分自身さえ修正できないと気づくと、サタンは落胆プログラムの次の段階へ進みます。サタンはわたしに「できそこない、むいてない、力不足のわたしには何ひとつうまくできやしない」という思いを植え込みます。そのような声は主からくるものではありません。そのような思いはただただ自虐的です。サタンはわたしたちに、自分を改善するために自身を痛めつけるのはいいことだと嘘をつきます。外側からの声であろうと、自分のうちからくる声であろうと、虐待が成長を促進することはありません。サタンは虐待が得意ですから、わたしたちの頭に浮かぶ自虐的な思いは必ずサタンからくるものと言えます。

サタンの完璧主義兵器庫にある危険な武器は、聖約や戒めを自身の限界に直面させる呪いのように見せかけることです。サタンの声に耳を傾けると、限界があるのは、わたしたちが強さを求めて主に頼るためだという本来の目的を見逃してしまいます。主なしには「何一つできない」(ヨハネ15:5)という事実のおかげでわたしたちの主を愛する気持ちをより強めることができるのです。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」(ピリピ4:13)というのが主の約束です。

福音の光は完璧主義の闇を払い去る

完璧主義というサタンの偽りの福音はイエス・キリストの福音とは真逆です。キリストの福音は間違いなく御霊の実を結びます。御霊の実とは、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です。(ガラテヤ5:22-23

光と真理は平安をもたらします。神様は愛であり、光であり、真理です。完璧主義のわなにはまるとき、わたしは次のように言わなければなりません。「神様、わたしが他の角度から物事を見られるように助けてください。あなた様の方法で見られるように。真理を見られるように。」主の声は、たとえお叱りの言葉だとしても、励みになる、また支えとなり、構築的な希望にあふれた声です。わたしを混乱させ、闇に追いやり、恐れを抱かせ、みじめにさせる、完璧主義という偽りの信条を拒み、キリストのもとへむかうときに、癒されるのです。サタンはわたしをみじめにさせるためなら手段は選びません。みじめに感じるときは必ずサタンの闇の中にいるので、光を求めなければいけないとわかります。光へ続く道は、神に一切正直になり、助けを求め、「神の御子イエスよ、…わたしを憐れんでください。」(アルマ36:18)言うことが含まれます。主は、子アルマをどん底から救い出してくださったように、わたしやあなたをも救ってくださいます。