復活の概念は宗教にとっては新しいものではありません。とりわけキリスト教界には馴染みの概念です。しかし、復活に関する教義は、よく言っても漠然としています。実際、末日聖徒イエス・キリスト教会(しばしば誤ってモルモン教会と言われる)には、復活についての特別な教義があります。復活は実際に起こります。そしてそれはだれにでも起こるのです。
正確に言うと復活は何なのでしょうか?
この世に来た時、神は私たちの霊に体を与えて下さいました。肉体を得ることは天の父の私たちに備えられた計画の中の極めて重要な部分でした。地上に生まれるということは、私たちが死に影響されることになります。私たちが死ぬと霊は肉体から離れます。そして肉体が朽ちる一方、霊は生き続けます。イエス・キリスト御自身も肉体の死を味わわれました。私たちの罪や苦しみを苦しまれた後、主は十字架でなくなられたのです。主の霊が肉体を離れた後、肉体は3日の間墓に置かれました。その後、主の体は完全な体に蘇り、主の霊と体は永遠に結合しました。イエス・キリストは私たちが従うべきパターンを示して下さったのです。
復活とは、私たちの霊と体が死の後に再び結合することです。その後で、私たちの霊は体から二度と離れません。私たちの復活は永遠の存在の始まりになります。そしてこれは肉体を得た神の子供たちのすべてに与えられる賜物です。復活した体は完全なものです。ルカ書にはキリストの復活体について書かれています。「わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしなのだ。さわって見なさい。霊には肉や骨はないが、あなたがたが見るとおり、わたしにはあるのだ。」(24:39)
その復活の教義は聖典の中に根拠を見いだすことができます。4つの福音書はキリストの復活を証しています。そして1コリントでは、神の子供たちのすべてに実現されることが分かります。「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(15:20−22)
キリストは最初によみがえる予定でした。そして私たちの復活は正式には主の再降臨の後です。復活の時はまた神に裁かれる時でもあります。「すべての人が死者の中からよみがえって神の御前に立ち、自分の行いに応じて裁かれる日が来るからである。」(アルマ11:41)
すべての人は復活する
復活について私が好きなことは、これがすべての人に適応されることです。正しい人であっても、そうでなくても同様に起こるのです。この意味するところは、すべての人が神の息子、娘であって、主は子供たちの一人一人に対して深く関心を持っておられるということです。中には善い選択をしない人もいるのですが、それでも復活の祝福が与えられます。私たちの体は永遠の運命の中でとても大事な役割を果たすので、父なる神はその体が永遠に保たれるように計画されたのです。
私たちがこの地上で送る生活は、私たちの永遠の行く末に影響を及ぼします。ただそれは復活には及ぼしません。神は私たちの行いを裁かれ、私たちがどのような人になったのかを評価されます。私たちが受ける栄光の段階は、私たちがイエス・キリストの恵みを受け入れた程度によります。(天国と地獄に関する記事へのリンクを参照して下さい。)
私は、復活は神がその子供たちに御子の犠牲を受け入れるあらゆる機会を与えられるということの証明であると信じています。神は私たちが幸せであることを願っています。そして、神は私たちがやがて共に住むことができるようになることを望んでいます。復活は、私に、神が私たちを愛しておられ、できることをすべてなさって私たちがイエス・キリストを選ぶ機会を与えて下さることを示しています。
復活の知識は今日の私たちを強めることができます
いつか私たちの霊が不死不滅の体といっしょになると知って、私たちは、この世の生活で非常に平安を感じ、慰められます。私は多くの人々、中には子供もいますが、亡くなって家族や友だちを悲しませたことを知っています。復活が意味することは、まず、私たちの霊はこの世の生涯を越えて存在するということです。2番目に、肉体の死は永遠ではないということです。その復活はイエス・キリスト教会の永遠の家族についての教義、つまり、家族は永遠に続くように考えられているということを直接的に支持しています。
復活は神が私たちを愛しておられることの証拠です。時々私たちはこの世では道に迷ってしまったと容易に感じてしまいます。そして自分の可能性や運命が不確かなものに思われてしまいます。復活があるので、神が私たちのために計画をお持ちであることを確信することができます。神の計画は永遠に及ぶものです。復活についての知識はすばらしい祝福で、私たちのイエス・キリストに対する信仰を強めます。というのは主なくしては、私たちの存在はこの地上で終わってしまうからです。私たちの救い主のために、私たちの霊と体は、いずれはいっしょになります。そして私たちは家族と永遠に住むことができるのです。
この記事はcharlotteによって書かれました。彼女はブリガム・ヤング大学を2010年の4月に卒業し、学士号では英語を専攻し、編集を得意分野にしています。大学教育の間に、インターンとしてニール・A・マックスウェル宗教奨学制度、BYU出版、雑誌ニューエラで働きました。現在、オレゴンのポートランドに住み、夫と息子がいます。専業主婦であり、個人のブログ(smallandtrivial.blogspot.com)を通じて著作活動を続けています。