編集者ノート:末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン書があるので誤ってモルモン教と呼ばれる)で使われている4つの聖典は共に補い合い、神様の御心をより深く知る事ができます。ここでは、旧約聖書の聖約がどのようにモルモン書の考えと繋がっているかを紹介します。
「このように、いちばん年上のレーマンとレムエルは父に対してつぶやいた。彼らがつぶやいたのは、自分たちを造られたあの神の計らいを知らないためであった。またこの二人は、あの大きな都のエルサレムが、預言者たちが言ったように滅ぼされることも信じなかった。彼らは、父の命を奪おうとしたエルサレムのユダヤ人のようであった。」(1ニーファイ2:12‐13)
背景
聖書には二つの重要な聖約があり、それぞれは旧約聖書の歴史、物語や預言の多くに関わる聖なる山に関連しています。(1)モーセが神にまみえ、律法を受けたシナイ山と関連した聖約。(2)ソロモンの神殿が建てられていたエルサレムのシオン山に関連したダビデの王国に与えられた聖約。これらの聖約を形成した信条と取り決めはそれぞれ「シナイ神学」および「シオン神学」として知られています。末日聖徒の聖書学者テイラー・ハルバーソンはこれらの二つの聖書の主な聖約を理解することは、モルモン書の理解に役立つと述べました。
シオン神学:「シオンの中ではすべてが良い」
シオン神学は神がダビデ王と契約し、ダビデの子孫である王の血統は永遠に続くという考えのもとに形成されたものです(サムエル下7:8‐16参照)。この約束は無条件の契約としてとらえられています。言い換えれば、条件、義務や要件なしに与えられたということです。主はダビデに次のように宣言されました。「もし彼が罪を犯すならば、わたしは人のつえと人の子のむちをもって彼を懲らす。…しかしわたしはわたしのいつくしみを、…彼からは取り去らない。…あなたの王国はわたしの前に長く保つであろう。」(サムエル下7:14‐16)シオン神学では次のようなことも信じられていました:
- 神はシオン(エルサレムを指す)を地上の住まいとして選ばれた。ソロモンの神殿、特に神殿内の契約の箱はエルサレムにおける神の存在を表していた。
- 神はシオンを守る難攻不落の神の戦士であり、神がエルサレムの神殿におられるうちは、エルサレムの町は占領されることはない。神は過去において、イスラエルの敵を征服し、これからもそうあり続けるだろう。
中にはシオン神学を悔い改めない、「エルサレムは決して破壊されることはない」あるいは「シオンでは何事もよい」という言い訳に使う人もいたかもしれません。エレミヤ22‐28章では、神が守ってくださるだろうから、エルサレムの人々はバビロンの王と条約を結ぶ必要があるとは信じていませんでした。主がダビデ王国とエルサレムを守られるのは民が義にかなっている時だけであること、そしてエルサレムはバビロニア人により間もなく破壊されることを預言しました。エレミヤは投獄され、この預言のせいで死刑となるところでした。
シナイ神学:「もしあなたがわたしの戒めを守るなら、地に栄えるであろう」
シオン神学に対して、シナイの契約は条件つきでした。約束された祝福は神が与えられた条件に、人々が従順に従うかどうかにかかっていたのです。これらの条件はモーセの律法と呼ばれ、これには十戒(出エジプト19‐24;申命11参照)が含まれています。もし人々が邪悪になり、神の律法を破ると、祝福ではなく呪いを受けるのです。シナイ神学ではさらに次のように信じられていました:
- モーセは理想的な人間の象徴であった。モーセの後継者のヨシュアやその後の預言者たちはモーセに比較され、あるいはモーセと似ていると描かれている。
- シナイ神学はイスラエルの北王国に関連しており、一方シオン神学はユダの南王国(エルサレム)に属していた。
- シナイの契約は古代近東における宗主臣下条約の典型であり、支配者と力の弱いグループ、あるいは「臣下」との間の契約であり、それは宗主への臣下の服従という条件があった。
- 神は王である;人間の王はだれでも神に従い、律法を書き記す者の長でなければならない(申命17:14‐20参照)。
- シナイ神学は律法を書き記す階級とつながっていた。
申命記にある多くの約束はシナイ神学の観点を要約しています。「あなたがたの神、主が命じられた道に歩まなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつさいわいを得て、あなたがたの獲る地において、長く命を保つことができるであろう」(申命5:33)
モルモン書におけるシナイとシオン神学
モルモン書はシオン神学よりも、むしろシナイ神学を支持しているように見えます。欽定訳聖書にはダビデという名前は1,127回出てきますが、モルモン書には7回しか出てきません。ダビデ王についての直接の言及はモルモン書のヤコブの言葉の中にありますが、すべてダビデの不道徳などの悪についての否定的な面に触れています。(ヤコブ1:15;2:23、24)ニーファイ人がダビデとその王朝を高い尊敬の念を持って見ていなかったことは明白です。一方モーセはモルモン書では65回言及されています。
ニーファイはイザヤの言葉から多く引用しましたが、シオン神学の部分については避けていました。同じようにモルモン書の著者たちはシオン神学に明らかに結びつく詩篇も避ける傾向がありました(例、詩篇48篇)。ニーファイは出エジプト記や申命記からモーセの物語について多く言及しました。ハルバーソン博士は次のように述べています。「ニーファイはダビデのようではなく、モーセのような預言者になりたかったのです。」
疑問
ハルバーソン博士が主張したように、もしわたしたちがモルモン書を理解することを望むなら、わたしたちはシナイの契約を理解しなければなりません。約束の地にいたリーハイ、ニーファイとその子孫はシナイの契約を大切にし、忠実であり、シオン神学よりもシナイ神学を大いに強調していました。しかしなぜそのようになるのでしょうか。
上記に述べたように、シナイ神学はイスラエル北王国に関連していました。アルマ10:3にはリーハイが北王国の種族マナセの子孫であったと記されています。リーハイの家族はある時点でエルサレムに移りましたが、彼らは南王国に元々いたのではなかったのです。レーマンとレムエルは地元のシオン神学の観点を受け入れていたように思えます。そのため彼らは大都会のエルサレムが破壊されることを信じませんでした。父親がエレミヤや他の預言者たちのようにエルサレムの破壊を預言していたことを見下していました。(1ニーファイ2:12‐13)
リーハイはエレミヤに近く、彼の受けた示現は当時エレミヤが預言していたのと同じように強いものでした。さらに、ニーファイは筆記者として訓練を受けたようで、それがためにシナイの伝統における筆記者階級の勢力により影響を受けていたのかもしれません。わたしたちは真鍮版に何が刻まれていたのかすべて分かった訳ではありませんが、モーセの五書、エレミヤの多くの預言(1ニーファイ5:11、13)が含まれていたことを知っています。真鍮版はイスラエルの北部族からもたらされた記録だったかもしれません。そのためシオン神学の影響は少なかったかもしれません。
さらに、リーハイとニーファイはシナイ神学が彼らの状況にあてはまる可能性が高いことが分かっていたようです。荒野の旅の中で、リーハイは主の祝福を受けるためには家族が忠実でなければならないことを知っていました。神の御旨に従って家族を導くためにリーハイとニーファイはモーセのようでなければなりませんでした。ニール・ラプリーは次のように述べています。「リーハイはモーセのようにレーマンとレムエルに接するのは、そうすることにより彼らの心に訴えるということを知っていたからです。また同時にモーセのような力強さによって彼自身が真実の本当の預言者であるということを示しています。」
まことに主はダビデ王に重要な約束をされ、ダビデの王族の血統はイエス・キリストにより最終的には成就しました。神の民のためのこの契約の意味はしばしば誤った解釈をされていました。リーハイとニーファイはわたしたちが神の戒めを守るときにのみ神はわたしたちが「地で栄える」ということを知っており、それを自分の子孫やモルモン書の将来の読み手に教えたかったのです。(1ニーファイ4:14)
「モルモン書を理解したいなら、わたしたちはシナイ山での契約を理解しなければならないのです。」
この記事は元々はBook of Mormon Centralによって書かれ、ldsmag.comに投稿されました。