父の日の前後に、父親と父親の役割について、たくさんの記事を目にしました。まるで、1日では言い切れないくらいのたくさんのことがあるという印象でした。わたしの父はもう亡くなりましたが、父の日が終わり、わたしの夫と息子たちに関心が向きました。それと共に父への思いが心に留まりました。ですから、遅れましたが、わたしの父に対する思いを述べたいと思います。

 

家族の教え

モルモン教では家族を大事にしています。その重要性はとても言い尽くせませんが、モルモン教の会員は家族が永遠にいられると信じています。地上でつなぐ関係は永遠に続くのです。その原則に従って、教会のすべての活動は家族を支援するように調整されています。わたしたちの預言者や指導者は、絶えずわたしたちがどうやったらキリストを中心とした家庭を作れるかについて勧告しています。そして、教会の中では、家族を強めるために、日々家族で祈り、聖典を読み、毎週「家庭の夕べ」を開くように教えられています。

 

私の改宗

モルモン教の父親は、与えられている神権を使って支援し、導き、祝福し、そして慰めを与えます。子供たちには勤労と道徳の大切さを教えます。子供を育てることに関しては、彼らは非常に実践的です。赤ちゃんのおむつももちろん替えます。わたしは16歳のときにモルモン教に入りました。わたしの父はモルモン教の会員ではありませんでした。わたしは教会に改宗する時、両親の許可を得る必要があり、彼らはものすごく反対しました。しかし、教会が高い道徳的な標準を持っていたので、両親は不承不承認めてくれました。彼らはわたしの興味はやがて薄れるだろう、それは一過性のものだと考えていました。でも、わたしの父はわたしのバプテスマに出席してくれました。ユダヤ人の無心論者にしては大変な努力でした。

 

真理と科学の探究者

わたしの父はロケットの科学者でした。彼はジョンズ・ホップキンズ大学から電気工学の博士号を受け、そこでしばらく教えていました。彼が陸軍中佐として第2次世界大戦のときに経験したことの一つは、終戦のときにアメリカの宇宙開発のために、ドイツのロケット学者をリクルートすることでした。わたしが8歳のとき、わたしたちはワシントンD.C.からロスに引っ越しました。そこで彼は応用物理研究所とジェット推進研究所で働くことになりました。彼は近接信管(上の写真、1945年のものでチームの署名がある)を開発するチームに加わりました。

 この写真からも分かるように、父は勉強家で、意地の悪いユーモアのセンスを持った科学者でした。母はエンジニアのジョークを聞いたことがなかったと思います。彼女はすごく社交的ですが、父が内向的であることにそれほど驚かなかったようです。家には科学についてのすばらしい雑誌と最高の百科事典がありました。わたしたちのテレビにはロケットをスキャンする画面が映っていました。わたしは幼い頃、テレビを見るのとオシロスコープを見るのは同じことだと思っていました。

父の説明は時々あまりにも長いので、宿題手伝ってもらうのも気が引けました。いつも父に助けを求めるか、それとも時間を浪費するのを避けるかの判断をしなければなりませんでした。(この数学の問題にどれだけ助けが必要か?3時間かける価値があるか?)宇宙開発の国際競争が激しかった頃、ニュースで新しい出来事が報道されると、父はシャツのポケットからペンを取り出し、ナプキンにメモをとります。もしそのニュースが発射についてや、ある種のロケットについてであれば、父は爆発力、速度、軌道を計算します。つまらないでしょう?

でも、父は子供たちを喜ばせるような遊び好きなところもありました。父と友だちは小さな犬ぐらいの大きさのロボットを作りました。わたしの記憶が正しければ、それには理由は分かりませんが小さなほうきとトイレの水詰まりを直す道具が付いていました。部屋の壁を伝って動き、コンセントを見つけると自分をそこに接続しました。それだけがそのロボットがプログラムされていてできることでした。つまり、そのロボットは自分を電気に接続するためだけに動くものでしたが、人間の本性に付いてたくさんの冗談を生み出す源となりました。

わたしたちの家の裏庭には、夏の間に蛍が飛んでいました。それで蛍がどうして光るのかについて父に尋ねました。これは危ない質問でした。一日中父から科学用語で蛍の生物学的な説明を聞くところでした。しかし、彼は次のように言ったのです:

「あのね、雄の蛍が雌の蛍を見ると、大きな『うなり声』を出すんだ。するとお尻が光るのさ。」

わたしは一度も蛍がうなり声を出すのを聞いたことがありませんでした。ですから自分の観察によって彼が言ったことが正しくないことが分かりました。でも彼の説明を決して忘れませんでした。彼はいつでもわたしたちに教えてくれました。わたしが教会に入った後、自分が無神論者であることについて次のように説明しました:

「うん、わたしが信じていないのに、君が死後の世界を信じているのは本当に不公平なことだね。もし君が正しかったら、わたしが死ぬとき、わたしは驚くだろう。でもわたしが正しければ、わたしたちはいなくなるのだから、君は驚くことができない。」

父はマウントティンパノゴス神殿が奉献される前のオープンハウスに参加しました。彼は畏敬の念に打たれていました。御霊と光にそれほど満たされている建物に入ったことがなかったからです。明らかに彼は当惑していました。父は1997年に亡くなりました。彼は驚いたのです。わたしは父について心配する必要はありませんでした。神権の祝福の中にあったように、「あなたの父は真理の探究者です。そして彼は大丈夫です。」

 

 この記事はゲールによって書かれ、LDS.netに投稿されました。