わたしは、自分の祖父母に会ったこともないし、ほとんどその人となりについて知りませんでした。というのは、わたしは両親とともに第二次世界大戦が終わるまで満州に住んでおり、終戦後日本に戻った時に、はじめて祖父母が亡くなっていたことを知ったのです。戦中、戦後の混乱期のために、両親から祖父母の話を聞く機会もなく、両親も早く他界したために先祖についての情報はほとんど皆無でした。モルモン教とも呼ばれる末日聖徒イエス・キリスト教会の会員となり、先祖の大切さについて知り、わたしの先祖を調べる旅がはじまったのです。
先祖を調べる旅をはじめ、奇跡をみる
戸籍謄本、除籍謄本から祖父母たちの名前は判ったのですが、その他の情報はほとんど得られませんでした。そこで、疎遠になっていた親戚、遠戚を探し、連絡して少しずつ写真や人となりについて知ることができるようになってきました。祖父母の生活していた地域の郷土資料館や図書館などからもさまざまな記録を見つけることができました。ある時には、レンタカーのナビゲーターに戸籍謄本に記されている住所を入れGPSに導かれるままに、祖母の育った旧家(無人でしたが)を探し当て、近くの墓、管理している寺を見つけ、住職から墓を管理している遠戚にたどり着きました。遠戚を訪れると、家系図を持っていることが解り、800年も先祖をさかのぼることができました。
今は素晴らしい時代で、居ながらにして先祖の生活していた地域の地図を詳細に見ることができ、そこからさまざまな情報を知ることができます。また、インターネットを利用すると、先祖についての情報を得られる場合もあります。
家族歴史の探求に終わりはありません。願って努力を続けていると、これまでわからなかったことが少しずつ明らかになってくる経験は、丁度難解なパズルが解けるように楽しいものです。先祖の人となりが解るにつれて、自分が様々な力や資質を先祖から受け継いでいることも理解できるようになりました。これも先祖探求の楽しみの一つです。
著者:鮫島邦彦
編集者ノート:先日投稿した「わたしって何者?先祖の歴史を探究したい初心者への5つのヒント」で紹介したヒントを実践されていた方の体験談。とても興味深いと感じました。わたしも個人的に家族歴史の旅をしたことがあります。わたしの場合は縁戚もあてがなかったので、自分の苗字が多いと言われいている土地に行き、行き当たりばったりで墓地を巡り始めました。2つ目のお寺で、わたしと和尚さんの会話を聞いていた石屋さん(そこで働いていた)が「わし、その苗字の人、知ってるよ。電話してあげるよ」と紹介をしてくれました。そして、会うことができ、わたしたちの苗字の由来などを細かく書いたお家の本を持参してくださっていました。少しお話をし、お家の本もコピーさせてくれたのです。ここでのお話でもあるように、わたしたちが努力するときに、思いがけぬ助けがくるものです。ご先祖様がわたしたちを待っているのだなと感じる経験でした。