数週間前、家庭の夕べのレッスンの時にわたしはひらめきました。「家庭の夕べ」というのはモルモン教とも呼ばれる、末日聖徒イエス・キリスト教会の会員たちによって使われる言葉で、決まった日の夜(大体月曜の夜)決まった時間に、家族全員が集まって行う活動のことです。

「家庭の夕べ」 はチャンス

家族として、わたしたちは25年以上も家庭の夕べを行ってきました。この時間にレッスンを教え、ゲームをし、そしてデザートを食べます。子供が若いとき、家庭の夕べは福音の原則を教え、人生における高いモラルの標準の重要性について証し、物語やゲームを通してより親密な関係を築くのに絶好の機会です。10代の子供にとっては、この時間は福音に関連した身近な内容のディスカッションや会話、そしてボードゲームの時間です。

大きな家族では、両親はいちばん年上から年下の子供たちまでみんなが福音の原則を学ぶ機会があるように、何年もかけてレッスンを繰り返します。わたしのひらめきは、いちばん下の子(今は十代ですが)がまだ知恵の言葉についてのレッスンを家庭の夕べで聞いた事がないと分かったときに起きました。

補足ですが、知恵の言葉とは1833年にジョセフ・スミスを通して書かれた啓示で、初期の教会の会員たちが従うように健康についてのことが書かれています。煙草を吸わない事、飲酒または熱い飲み物(コーヒーまたはお茶の事)を飲まない事と体に適切な栄養をとる事が推奨されています。

どうしてこの息子にとってこんなにも大切なレッスンを見逃す事ができるでしょう?わたしたちはすべての福音の原則を何年もかけて話してきましたが、なぜかわたしはいちばん下の息子にこの大切なレッスンを見逃していました。この原則についての箇所とこれに伴う約束について読みながら、そしてわたしたちの体は神聖な神殿で、わたしたちはこれをきれいに保っておかなければならないということについて話しながら、わたしは家庭の夕べでこれについて話をしようという印象をうけたことに感謝しました。息子は、危険な薬物などから遠ざかることの大切さに関する助言をうけ、わたしは彼がこの知恵の言葉を身近に守っておく事の大切さについて心から理解してくれたことを感じました。

家庭の夕べのレッスンは長ったらしかったり堅苦しくある必要はありません。多くの両親が考えるようなレッスンである必要さえなく、家族にとって大切なトピックの話し合いでいいのです。家庭の夕べのあるべき形とは、邪魔されることのない家族の時間で、良い雰囲気で終わる数時間のものです。

将来芽吹く、信仰の種を植えよう

教会の大管長、デビッド・O・マッケイが家庭の夕べを教会の会員に再紹介したのは、1964年までさかのぼります。それ以前から始まっていたようですが、あまり活用されてはいなかったようです。このプログラムは両親が家庭で福音を教えることをサポートし励ますためにつくられました。

1975年10月の総大会でされた話で、ジェームズ・カリモアはこう報告しています。「子供は、宗教的にいちばん大切な指導を家庭で受けます。日曜学校や、他の教会の集会は、家庭でそれらに触れていない少年や少女たちにとってはとてもむずかしいものです。」

家庭の夕べのために時間をとることは両親にとっての祝福です。時には毎週集まって座っている事が子供たちにとっては平凡でつまらないと感じるかもしれません。福音のレッスンや話し合いのために時間を取る事はなにも良い影響のないように感じるかもしれませんが、長い目でみれば、わたしがそうだったように皆さんもきっと福音の話し合いやゲーム、デザートのためにとった時間が思い出を作り、子供たちの心に永遠に奪われることのない良いものを植えた事に気がつくでしょう。