「若人の強さのために」の冊子(青少年のための、福音に沿った徳について教える冊子)がはじめて発行されてから、時は変わりました。21世紀に生きる青少年たちに「慎み深い」という意味、そして慎み深さを保つ方法を教えるために、現代に合ったコツを使ってみてください。

慎み深さは服装だけではないことは、とても簡単に忘れられてしまいます。慎み深さとは、服装に加えて考え方、行動、態度も含みます。基本的な慎み深さの原則はわたしたちが10代だったころから変わっていないにも関わらず、今の若い女性や男性が住むこの時と世界の状況は変わり続けています。そして、青少年に慎み深さについて教える方法は、緊急の改変を要しています。これは現代の青少年に慎み深さについて教えるためのコツです。

(この記事は慎み深い服装に重点を置いていますが、同じ原則は考え方や行動の慎み深さにも当てはめられ、また、そうされるべきです。)

 

1 – 他人の慎み深さに関する解釈ややり方に敏感であり、尊敬を示すように教える 

天のお父様は第一に、そしてなによりも彼の子供たちを愛しているのであって、その服装を愛しているわけではありません。

青少年は、個人的な慎み深さの標準(考え方、服装、言動に関して)を持っているべきですが、同時に他の人たちは慎み深さについて違った解釈をしたり違う表現をしたりする可能性があることを知っておくべきです。

ドナ・モンカーは、世界でいちばんファッショナブルな都市のひとつ、ニューヨークに住むモルモン教徒(末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の呼称)の写真家で、母親です。教会の会員たちが礼拝しにくる人たちを着ているものに関わらず受け入れてくれたらいいと思っていると言います。

「若い人たちやわたしの年代の女性たちが教会で、他人の服装や他人の子供の服装について曖昧なコメントをしたり恥をかかせるようなことを言ったりしているのを見ると胸が痛みます。ニューヨークでは、人生の後半になって教会に改宗する人がたくさんいます。ノースリーブのシャツやドレス、膝上のスリットの入ったペンシルスカートを着て来たりする人もいます。彼らは別にルールを無視しているわけではありません。それしか着るものを持っていないのかもしれません。彼らがそこにいて、礼拝する準備ができているという事実がいちばん大切なことです。」

 

2 – “女性たちが男性たちに良くない思いを抱かせる“といって彼女たちを責めることを控える

このような発言は、男性が自身の思考や行動にたいして責任を負えないということを提示するばかりか、女性に自尊心からではなく罪悪感から慎み深い服装をすることを強いてしまいます。

こういった発言はまた、女性は男性をコントロールできるということをほのめかし、慎み深くない服装の女性を見た時、男性は決まって良くない思いを抱いていると暗示します。どちらも真実ではありません。「間違いなく男性たちはこれ以上の信頼に値します。」とモンカーは言います。

若い女性たちは、彼女たちが若い男性たちの行動の選択に責任を負うと感じるべきではありませんし、逆もまたしかりです。わたしたちは、ひとりひとりが思考を選ぶ選択の自由があるということを青少年が理解できるように助けるべきです。そのような考えをもつことを厳しく非難したり辱めるより、青少年にどうやってそういった考えが入って来てしまった心にふたをするかを教える方がずっと大切です。そのテクニックのひとつがわたしの大好きなプライマリー(幼児から12歳までの子供たちが福音を学ぶクラス)の歌にあります。好きな賛美歌を口ずさむことです。あなた自身とあなたの子供のために、役に立つやり方を見つけて、彼らがそれに全力を傾けるよう教えましょう。

 

3 – 慎み深さの詳細より、教義に集中する

教会でレギンスありvsなし。ひざまでのスカートかひざ下のスカート。脇が広くあいた袖かしっかり覆われた袖。これらとこの他の慎み深さのシナリオは長く論議されかねません。すべての詳細にこだわるより、「若人の強さのために」の冊子のなかでなにがアウトラインとして示されているか教えましょう。

「服装や外見を通して、あなたは自分の体がどれほど大切なものか知っているということを示すことができます。あなたがイエス・キリストの弟子で、彼を愛している事を見せることができるのです。」 (「若人の強さのために」p.6)

これは教えるのに素晴らしいガイドラインです。もし彼らの着ているものが彼らをキリストの弟子と感じさせないなら、もう一度評価してみるべきです。

慎み深さの教義を青少年に教えることについて、中央若い女性会長会の第一顧問であるキャロル・F・マッコンキ−は、ブリガムヤング大学にて2013年の5月にこのように説明しています。

「慎み深さは、神の御前に出るための旅路でわたしたちが安全に聖約の道にとどまることを助けてくれます。服装と外見、そして思考と行動の慎み深さは神殿の神聖な聖約を交わして守る準備を助けてくれます。」

 

4 – 慎み深さに関しては自身を信頼し、聖霊に頼るように教える

慎み深さに関するすべてのルールに集中するかわりに、何を着るべきか、どう振る舞うべきかについては聖霊を通して彼ら自身を信頼するように教えましょう。この方が、指導者や両親に与えられる長い「着てはいけないもの、やってはいけないこと」リストよりよいインパクトが長く続きます。

数年前、スカートの丈がガーメントのラインより少しだけ長いワンピースを買いました。スカートの丈を伸ばすためならなんでもするつもりでしたが、それを仕立て屋さんに持っていくと、生地が繊細すぎて手を加えることができないと言われてしまいました。

わたしは、このきれいなワンピースを無駄にしたくなくて、そのまま着ることに決めました。しかし、それを教会に着ていった日、わたしはすぐに落ち着かない気分になりました。わたしは座り方を変えてみたり、座っている間裾をひざまで引っ張ってみたりして大半の時間を過ごしました。最悪なことに、わたしはそのとき扶助協会(18歳以上の女性の集まる会)の指導者のひとりとして奉仕をしていたので、すべての姉妹たち(末日聖徒イエス・キリスト教会では女性を「〜姉妹」、男性を「〜兄弟」と呼びます。)の前に座らないといけなかったのです。間違いなく、わたしが落ち着きなくそわそわしている様子は明らかだったでしょう。わたしのそわそわした気持ちは、聖霊がわたしが始めからよくわかっていたことを裏付けているのだとわかっていました。このワンピースは、わたしとわたしの標準にとって最善の選択ではないということです。

同じようなことが、若い男性と似合わないジーンズやふさわしくないシャツについて起こりえます。するべきことやするべきでないことに集中するかわりに、自身の直感を信じるように教えましょう。

 

5 – 着飾ることは無駄でも、この世的でも罪でもないこと、スタイリッシュに、でも慎み深く着飾る事が可能だと教える

きれいに着飾ったりすることは、極端に地味な服装でない限り、注意を引くためか虚栄心が強いのだと思われがちです。十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は、2005年10月の総大会でこの件について触れています。

「わたしたちはかつて「最高の服」や「教会の服」といったことについて話をしてきましたが、きっと今がそれについてまた話すべき時でしょう。わたしたちの服や靴は高価なものでなく、またビーチに行く途中のような感覚であってはいけません。神を礼拝し、イエス・キリストの贖罪の象徴である聖餐をとりに来るのですから、わたしたちはできるだけ凛としてふさわしい、それであって魅力的で尊敬に値するようであるべきです。」

わたしが十代だったころ、わたしの若い女性(13歳から18歳までの女性が福音を学ぶための集まり)の指導者は、日曜だけでなく週のうち近所で見かけたときでも、とても美しく着飾っていました。この指導者は決して虚栄心の強い人ではなく、また洋服にとてつもない金額をかけるような人ではありませんでした。しかし、彼女はいつでもスタイリッシュで、慎み深い服装をしていました。彼女は、わたしたちのワードや地域で、良い意味で、確実に目立っていました。若い女の子として、わたしは彼女が彼女自身を尊敬し、教会や、彼女と天のお父様の関係、そして若い女性に対する模範となるようにという教会での召しを真剣に重んじている事がわかりました。

十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老はこう教えています。

「慎み深さは、思考と行動のどちらにおいても純潔と無垢さの中心です。従って思考や言動、そして決断力にさえ影響を及ぼすからこそ、慎み深さはわたしたちの人格の基盤なのです。」

慎み深さはライフスタイルそのものです。そして青少年が慎み深いライフスタイルをとり入れるとき、何を着るかは疑問ではなくなり、毎日尋ねられることもなくなります。なぜなら、彼らは自分自身の良い選択に自信をもつことができるようになるからです。もしわたしたちが青少年たちに慎み深さについての原則を教える事が出来れば、彼らは人生のその他のあらゆる試練に向き合う準備もすることができるでしょう。

 

この記事はKelly Schumacherによって書かれ、ldsliving.comに”5 Ways to Help Youth See Modesty Differently“の題名で投稿されました。

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