小さい頃から教会に行っていたわたしは、よく開拓者の話を聞く機会がありました。開拓者たちの大変な経験や奇跡の話を耳にしてきましたが、日本で育ったわたしにはとても遠い存在に感じられ、まさに本に書かれた物語のように感じていました。そんなわたしが、まさか実際に開拓者ゆかりの地に行き、教会初期の時代の建物に触れ、彼らについて学ぶ機会が与えられるとは思ってもいませんでした。
開拓者の町、カートランド
数日前、(モルモン書があるので間違ってモルモン教と呼ばれてしまう)末日聖徒イエス・キリスト教会が設立され最初の神殿が建てられた地、オハイオ州カートランドに行く機会がありました。現在は「コミュニティ・オブ・クライスト(Community of Christ)」 という教会がカートランド神殿を管理していて、神殿内のツアーに参加するには、神殿のすぐ横にあるこの教会のビジターセンターで申し込む必要があります。小さい子供は無料で、それ以外は一人5ドルでした。
ツアーは全部で1時間ほどでした。まずビジターセンターで、15分ほどの神殿についての映画を観てツアーが始まります。その映画ではジョセフ・スミスについて紹介していたり、ほかの指導者たちの言葉や聴き慣れている賛美歌も流れていて少し妙な気分でした。
今のカートランド神殿の外壁は、見映えをよくするためにペンキを塗り替えているようです。当時は、高級品だったペンキを購入する予算がなかったため、屋根は赤色、外壁は青みがかった灰色、ドアは緑色に塗装されていたそうです。出入り口である二つのドアは当時のものが残されおり、ドア一枚の重さが120kgもあるそうです。神殿内は天井がとても高く広々としていました。そして昔の建物なので階段がとても急な造りでした。
カートランド神殿を間近でみた印象は「大きい!」でした。ツアーで入れたのは1階から3階で、1階が礼拝の家、2階が学びの家、3階が秩序の家として使われていたそうです。
1階は礼拝用で、一つの大きい部屋になっていました。入り口側と反対側に神権者の座る椅子が3行3列で設けられていて、両端の横に少列、そして神権者たちに挟まれる形で会員が座われる椅子が並んでいました。当時1,900人いた教会員のうち1,000人しか建物に入れず、立ちながらや窓の外から礼拝に参加されていた方もとても多かったようです。礼拝中はほかの階には上がれない決まりになっていたそうです。当時の集会は7時間もあり、年齢制限があったため小さい子供は参加できませんでした。
2階の学びの部屋の造りは1階ととても似ていて、こちらも大きい一つの部屋になっていました。部屋を区切れるように上から幕を垂らして各教室を作っていたそうです(1階も同じように部屋を分ける幕がありました)。
3階の秩序の家は、高等学校として使われていました。当時、女性が学校へは行く習慣はあまりありませんでしたが、そこでは女性も男性と一緒に学問を学んでいたそうです。3階には合計5つの小さな部屋があり、ジョセフ・スミスが使っていたオフィスも一番奥の部屋にありました。
カートランド神殿が奉献された時は1階しか完成しておらず、その後2階と3階を仕上げたそうです。当時は予算の都合で鐘を購入することができず、ずいぶん後になってから鐘をつけることができたようです。
残念なことにカートランド神殿は長い間放置されていたため傷みがひどく、当時のものは少しは残っているものの、今の神殿はほとんどの場所が補修されいるそうです。ですが、カートランド神殿は現在も集会所として使うとことができ、末日聖徒イエス・キリスト教会も使用できる教会の一つに入っています。
ジョセフ・スミスが暮らした町
次は末日聖徒イエス・キリスト教会が管理している、開拓者が住んでいた町に行きました。こちらは鉄工所の写真です。
N.K. Whitney&Co(ニューエル・K・ホイットニーが経営していたお店)には当時のものが8割も残っていました。 ジョセフ・スミスは常連客だったようです。
2階にジョセフ・スミスが住んでいた部屋がありました。写真にある机と椅子は、彼も使っていたらしいです。
その部屋の横に、一番初めに設立された預言者の塾の部屋がありました。部屋はとても小さかったです。この場でジョセフ・スミスは、教義と聖約に載っているたくさんの啓示を受けました。
今回の旅を通してこの時代の開拓者や預言者が、どのような生活をしていたのかを身近に学ぶことができてとても嬉しく思っています。
この記事は、レーダー佑子によって書かれました。