フィリピンでのモルモン教の成長

フィリピンでのモルモン教の成長

エミリー・ホルムステッド

まだ比較的年月が浅いですが、フィリピンでのモルモン教は過去2−30年あまりの間に急速に成長しました。それは、ひと握りのアメリカ人の軍人からスタートして40万人の会員にまで増加しています。今日では活発なワード部やステーク部があり、インスティテュートやセミナリーなどの教育プログラムが行われているばかりか、宣教師の訓練センターまであります。米西戦争、第2次世界大戦、朝鮮戦争などでモルモン教の会員がアメリカからフィリピンに移ってきました。彼らの影響でやがて1961年にフィリピンは宣教師に対して門戸を開きました。

ゴードン・B・ヒンクレー

ゴードン・B・ヒンクレー

ヒンクレー長老は後に預言者になりますが、フィリピンの人々を祝福して言いました。「彼らはここを訪れる人たちに対して、友好的で、もてなしがよく、親切で慈悲深いので、誠に主よ、私たちは何千もの人たちがこのメッセージを受け入れて、祝福を受けられますようにお祈りします。・・・私たちは多くの忠実で、善良で、徳高い真実な人々が教会に入るようにお祈りします。」今日その祈りが実現しているのが分かります。

多くの個人がそのような祝福と教会の成長のために、彼らの信仰と忍耐によって大いに貢献しました。その中の一人が赤十字の会員であるマクシン・テイト・グリムです。彼女は1945年にフィリピンに来ました。生活のあらゆる面で、奉仕と思いやりの行為に献身しました。彼女は陸軍の大佐と結婚し、マニラに定住して家族を育てました。彼女はその地域に教会が入って来れるように助けました。そして絶えず教会の活動に参加しました。教会の集会ではオルガンを弾き、多くのバプテスマは彼女の家のプールで行われました。

教会の成長を助けたもう一人の人はネニタ・レイズです。公式に伝道活動が開始してから5人目としてバプテスマを受けました。彼女は教会の活動に献身し、多くの指導的な役割を果たし、音楽関係でも活躍しました。 一人のギターリストであるルーベン・ガピツは、彼女がすっかり好きになり、教会で演奏する役割を引き受けました。彼は1年後に教会に入り、ネニタとルーベンはフィリピンのモルモン教の会員として初めての結婚をしました。ルーベンはがんを患いましたが、彼らは奉仕と、愛と、家族の価値の模範になりました。フィリピンのモルモン教における主の御業に、多くの勇敢で才能のある人々がこれまで加わってきました。そして、それはこれからも続くでしょう。