わたしは今年信仰生活50周年を迎えることができました。そして昨年から計画してきた「モルモン書を100回読む」という目標もやっと達成することができました。

それは去年最愛の母を亡くしてとても落胆し、意気消沈して、孤独と悲しみに打ちひしがれて主にこのようによく嘆願したものです。

「主よわたしのことをお忘れですか?」

これまで大勢の人々をバプテスマに導いてきました。けど身内の改宗という祝福には、いまだに預かっておりません。それに子、孫にもまだ恵まれておりません。「善きことをするのに疲れ果ててしまいました」と、「自分はこれまで一体何をしてきたのですか?」と自問自答をし、苦しみ悩みを主に祈ったときのことです。

聖典を調べていてイザヤ書57章10節を見つけました。こうあります。「あなたは道の長いのに疲れても、なお『望みがない』とは言わなかった。あなたはおのが力の回復を得たので、衰えることがなかった。」その聖句を読んで少し元気を取り戻し、信仰生活50周年の記念に何かを達成して喜びを得ることを見つけなければと思うようになったのです。


モルモン書を100回読むという自分へのチャレンジ

そして2016年から2017年にかけてモルモン書を自分がバプテスマを受けてから数えて計100回完読するように決意しました。早速記録をたどってみると、結婚後の記録は55回とはっきり見つかりましたが、独身時代の記録は見つかりませんでした。確か毎年1年に1度は標準聖典を読むようにチャレンジがあって達成したはずでしたが確かなる記録がないのであと45回この2年でクリアしようと毎日2時間はモルモン書精読に集中してきました。去年は20回今年は25回クリスマスまでにやっとクリアし達成感を味わうことができました。

「読書百遍意自(どくしょひゃっぺんいおのず)ら通(つう)ず」ということわざ(難解な本であっても、何回も読むうちに意味がわかることになるだろうという言葉。Hatena Keywordより)の通り100回読むことによりモルモン書が本当に素晴らしい書物で、わたしたちの宗教のかなめ石であると言うことが少しは理解できました。


モルモン書を読んでいて学んだテーマ

毎回読むためにテーマを決め、なぜこの書物に出てくる民が滅びていったのか、原因は何なのか考えながら読んできました。

そして次の10の項目のテーマを見つけ出しました。

1、つぶやきません

2、批判しません

3、裁きません

4、妬みません

5、不平不満を言いません

6、かたくなになりません

7、御霊に耳を傾けます

8、思いをくらませません

9、強情になりません

10、ネガティブな思考を持ちません

モルモン書のニーファイ人が滅びたのはこれらの生まれながらの肉欲に負けてしまった結果で、傲慢の罪によるものだとわかりました。

ほとんどの人は高慢と言うと自己中心、うぬぼれ、自慢、壮大などの言葉を思い浮かべます。しかしベンソン大管長は高慢の核心となるのは敵対心、すなわち神と同胞に対する敵対心だとおっしゃっています。

例えば、憎悪、敵意、反感など高慢な人は自分の知性、意見、仕事、財産、才能等をこの世的な尺度を持って張り合い、すべてのものや人を敵にまわします。人を高慢にするのは比較です。すなわち自分は他よりも優れているという優越感です。競争心という要素がなくなれば、高慢もその姿を消すのです。


高慢の治療薬

高慢の治療薬は謙遜です。柔和と従順です。へりくだる心と悔いる精神なのだそうです。

謙遜について(広辞苑)によればへりくだることであり、誇り高ぶらず外見を装わないで慎み深いことと定義されています。

1、謙遜には他の意味もあります。謙遜な人は信頼の気持ちを持ちます。自分の成し遂げたことがいかに同僚や先輩たちや神様に負っているかを知っています。そして自分の知識が限られていて問題やチャレンジは限りないことを知っています。多くの分野でなされる進歩やチャレンジを知っているので、口にする言葉に気を配ります。

2、謙遜な人は他人を尊重します。「あなたは物の数で計る」とか「あなたの考えは大したことがない」と思ったり、言ったりしません。考えを出す人たちの言葉を拒まず彼の中にある可能性や真実を認めます。他の人々にも自分と同じレベルにあると信じて人々を平等に接して彼らを受け入れます。

3、謙遜な人は自分の成し遂げたことに慎みの心を持ちます。能力、知識、富、地位、力など恵まれていても、そのようなものは自分に与えられた責任だと考えます。そのような賜物を他の人々に善を行うために行いる責任があることを知っています。自分の直面している仕事の重要なことを感じてその仕事を成し遂げるために勤勉に働きます。


自分の謙遜さを評価すること

1、謙遜な人は自分の知っていることよりも、知らなくてはならない事柄にさらにもっと心を寄せる。

2、謙遜な人は他の人々から学ぼうと努める。

3、謙遜な人は人々を尊重し人の感情を無視しない。

4、謙遜な人は自分の成し遂げたことが人々の助けによることを知っている。信仰を持つ人はそれが神の恵みによることを知っている。そして真理を高く評価してどこまでも心理を求めます。


謙遜になることのメリット

謙遜になることによるメリットについてジェームス副管長はこう述べておられます。

才能を伸ばすことに不可欠な謙遜という特質。主はわたしたち一人一人がなすべき大いなる業を用意しておられます。皆さんはそんなことがありえるだろうかと思うかもしれません。自分にはあるいは自分の力には何の特別なものも優れたものもないのにと感じているかもしれません。

主は普通の能力の持ち主でも謙遜で忠実で熱心に主に使え、向上心のある人に大いなる奇跡を起こす力を持っておられます。主は力の究極の源だからです。

最後に主が末日聖徒に望んでおられる特質についてアルマ書7章23〜24から読んで終わりたいと思います。

23 ​さて、わたし​は​あなたがた​が​​謙遜​で​あり、従順​で​素直​で​あり、容易​に​勧告​に​従い、忍耐​と​寛容​に​富み、すべて​の​こと​に​ついて​自制​し、いつも​熱心​に​神​の​戒め​を​守る​よう​に、また​霊的​に​も​物質的​に​も、必要​と​して​いる​もの​は​何でも​求め、与えられる​もの​に​ついて​は​何​で​あろう​と​いつも​神​に​感謝する​よう​に​願って​いる。
24 ​また、あなたがた​は​​信仰​と​希望、慈愛​を​必ず​持つ​よう​に​して​ほしい。そう​する​とき​に、あなたがた​は​いつも​多く​の​善い​行い​を​する​で​あろう。

これは大阪堺ステーク河内長野ワードの山本セキ子姉妹によって書かれたものです。