末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の会員として,わたしは見ることのできない霊界とはっきりとつながっていると感じます。わたしはこの物質の世界と霊の世界とは密接につながっていると知っています。わたしは、ひとたび聖霊の力に頼って霊的な助けを得ると,奇跡が起こることを知っています。神の神権の権威と聖霊があることによって,モルモンの間では奇跡が常に起こっていますが,ある現象は驚くもので,それを経験する時にそれは生涯信仰の錨となります。

わたしが自分の経験を話す前に,わたしは運動神経のよくない子供だったことを知っておいて欲しいと思います。わたしは最初から,自分の反射神経が鈍く,筋力が弱いので,スピードと強さを要求するようなことには何にも向いてないことを知っていたようです。小学生の時,わたしたちは少年たちとソフトボールをしなければなりませんでした。子供用のソフトボールのダイヤモンドでも,わたしはホームからピッチャーの所に届くようにボールが投げられませんでした。わたしはいつも一塁ベースにまっすぐにボールを打って,それは最低のスピードで飛んでいても,私はそれに追いつきませんでした。一塁手はよくわたしにタッチアウトするのを待って忍耐強くわたしがベースに到着するまで待たなければなりませんでした。

でも,私は水泳が好きで,水中バレーにはすぐれていました。わたしはどのような技巧的な飛び込みをするのも怖かったのですが、低い飛び込み板から後ろに宙返りして飛び込むことはできました。でも,前方宙返り飛び込みは一度もできませんでした。完全にひっくり返るためには力不足だったのです。わたしがこれから話す物語にこのことが大切なので,知っておいて欲しかったのです。

 

事故についての話

ヨーロッパの人たちはアメリカ人の家の建て方が,彼らの棒と木材で鶏小屋を造るのと一緒だと言って非難します。しかし,このようにすると家は柔らかくて安全です。壁に頭をぶつけても,壁がへこむだけで,頭の方は大丈夫です。確かに,わたしたちの家は火事になり易く,嵐でひっくり返されますが,直すのも簡単で,どんな女の子でさえ自分の写真をかけることができ,一番小さい釘でそれができ,その強くないドライウォールにできた穴は美術作品で隠すことができます。ヨーロッパでは,石とプラスターでできていて,ドリルとねじ釘が要ります。

わたしたちはそのような家に住んでいる,外国暮らしのアメリカ人でした。床は豪勢な石で,壁は石の上にプラスターがかぶせてあるものでした。天井は非常に高く,それは夏が暑いので暖かい空気が上に行くようにするために必要でした。しかし,このような床は冬になると死ぬほど冷たくて,そこに転んで頭でも打てば命取りになりかねません。わたしたちは幼児を連れて病院の緊急治療室に何度も行っていました。そして,わたしたちだけではありませんでした。わたしたちの周りのだれもが壁と床には痛い思いをしていました。どこの表面もわたしたちを痛い目に合わせようと手ぐすね引いて待っているといってもいいくらいでした。

ある晩,わたしは縫い物をして,遅くまで起きていました。その小さな部屋には家の中で唯一明かりがついていました。わたしの夫と長男はエジプトに探検に出かけていて,他の子供たちと大学生の年齢のお客様は眠っていました。夜には,家の中央とその反対側にある活動の部屋との間の玄関にあかりをつけておきました。この玄関は階段とはかなり離れた側にあり,地下のガレージに続いていて,そこにある天井の照明は,魅力的ではないですが,有用な明かりで家の両サイドを照らしていました。自分のプロジェクトを終え,ベッドに向かって行こうと決め,行って電気をつけようとしました。その小部屋の電気を消し,真っ暗闇の中を玄関に向かって進みました。

わたしは戸口のわき柱を右手で掴み,その周りに回転して左手で右側にある壁の電気のスイッチをつけようとしたのです。どうしてかそれに失敗してしまいました。千回もそれまでやっていたでしょうし,正確にどこにあるのかも知っていました。もしかすると十分手を伸ばさなかったのかもしれません。

家の中をよく知っていました。わたしは暗闇の中を手探りで進むことが必要であったことはありませんでした。わたしは玄関に向かうとき正確にどこを進んでいるのか知っていました。わたしはその電気のスイッチに手が触れなかったので,その自分の能力のなさにとても困惑していました。でも,私はそれがもう2−3歩先だと判断して,その2−3歩を踏み出したのです。

質問:ある人が暗闇の中で進んでいて,階段の上にいることに気付いていないでいる時,下に落ちて行く時に途中のステップにいくつぶつかるでしょうか?

答え:ゼロ

 

奇跡の物語

わたしは床がまだ足元で続いていると完全に期待していました。わたしは玄関にいると思っていたのです。不運にもわたしは階段にいました。14段の階段が右側のプラスターをかぶせた石の壁を背に,下の方に続いています。左の方には,何のレールもなく,アメリカの2x4(およそ5cm✕10cmの断面)の角材に当たる厚さの鋼鉄の柱が天井まで届いていました。階段の下には75cm四方ぐらいの床があってそれはプラスターにおおわれた石の壁に接していました。前方に行くことなく,わたしは前のめりになって宙返りになり,お尻を床が地下の壁と接する所にぶつけ,足は壁についていました。その瞬間,わたしは安堵のため息をつきました。大丈夫でした。わたしのお腹の部分を右に丸めて,わたしは頭をひどく床に打ちつけました。わたしの頭皮は中央の後ろの右側のあたりで裂けました。そのひどい衝撃で安堵の気持はなくなり,わたしは目が著しく冴えていました。わたしは左の方にぐったりとからだをまわし,状況を見極めようとしました。私の頭から血が流れていました。

最初,わたしは意識があることは何と幸せであったかと気付きました。もしひどく傷つき,あるいは死んでいたとしたら,子供たちは朝になってわたしを見つけたでしょう。頭からはひどく出血していました。あちこち血だらけでした。かわいそうな子供たちは死ぬほどビックリしたことでしょう。わたしは感謝の祈りをモソモソ言いながら捧げました。布切れを1つ取り,止血をし、階上に歩いて行って,お客様を起こしました。彼らは,血だらけになった所を掃除してくれ,病院に連れて行ってくれる人に電話をかけてくれました。

その結果は,6針縫う必要があった頭皮の裂さく、治るのに6か月かかった脳しんとうの後遺症,腰骨のずれで理学療法士に数回訪問する必要があり,そして指の爪が割れました。夫と息子は次の日にエジプトから戻りました。わたしがその出来事を再現して,説明した時,わたしの夫は目を丸くしました。階段の下の所で,わたしは自分を壁に足をおいて,胴体はその75cmの床を逸れるように着地していたのです。わたしは頭から真っ逆さまにそこの床に落ちていたはずでした。死んでいるはずでした。そしてそのように落ちたことです。わたしは自分が落ち始めていることに気付いて,後ろの方に手を伸ばして,落ちないようにしようとしたと思います。しかし,わたしは自分が落ちていることに気付かなかったのです。わたしは,一段一段ぶつかりながらドタバタと上から下まで落ちて行ったはずです。しかし,わたしは飛ぶようにまっすぐに落ちたのです。天使たちがわたしを運んで,わたしを下においてくれたのです。ほとんどやさしいと言ってもいいようなやり方で,命を救う状態でおいてくれたのです。わたしの命はバランスが取れていました。わたしは奇跡的に助かったのです。

 

あなたが神を必要としているまさにその時に,神はそこにいらっしゃいます

わたしは無神論者であったひとりの少女についての話しを読みました。彼女は友だちとハイキングをしていたのですが,途中ではぐれてしまいました。どのようにかはわかりませんが,彼女は砂地獄のようなものにはまり込んで,どんどん沈んでいました。だれも彼女の叫び声を聞いてくれません。死が迫っていると気付いて,どこか高い所にある力に本能的に叫んでいました。彼女は,その恐ろしい状況から逃れるための正確な指示を与える声を上の方から「聞いた」ないしは感じました。彼女はもはや無神論者ではなくなりました。

わたしは神が,わたしが暗闇の中で階段にいることをご存知であったと気付きました。神の天使たちがそこにいてまさに必要であった瞬間にわたしを、空中を飛ぶように運んでくれたのです。ということは,彼らは,神は,わたしの人生のいつの瞬間にもどこにいるのかを知っているのです。神はわたしが必要な時にいつでも,そこにいてくださいます。

神はあなたがどこにいるのかについてもご存知です。もし,神に近づこうとさえすれば,神もあなたに近づいてくださいます。

 

 

この記事はゲール・ボイドによって書かれました。