末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモンと呼ばれることもある)の日曜日の集会に行ったことがある人は気付いたかもしれません。多くの女性はスカートを履いて出席しています。もちろん、教会の日曜日の集会やクリスチャンかどうかに限らず、女性がスカートを履くシーンは多くあります。

では、教会の日曜礼拝で女性のズボン姿はダメなのでしょうか?今回はそのことについてお話します。

女性がスカートを履く文化

まず、なぜ一般的にスカートを履くのは女性なのかお話します。

歴史を見てみると、人類が誕生して最初の頃の服は、動物の毛皮や植物だったと言われています。その後、大きな一枚の布を体にまとい、ドレープなどでデザイン性を出していました。男女で身に付ける布に大きな差はなく、男性もスカートを履いていたと言ってもいいくらいですね。

その後、遊牧民族などが馬に乗りやすいように、スカートの下にズボンのようなものを着るようになりました。また、防寒などの目的もあり、男女共に長めのコートやワンピースのような形の服に長いズボンを着ていました。

しかし14世紀に半ズボンが登場します。この短いズボンの動きやすさを知ったた男性たちは長ズボンだけではなく、トップスも短くし、スカートから離れていきました。また、女性たちは男性のように戦争などに行くこともなかったので、男女で生活の違いがありました。

その違いが男女での役割を作り、活発に動き回ることがなかった女性の服として、スカートが定着していきました。またスカートにダーツやヒダが付き、進化していきました。

女性の正装がスカートなのは、男性がズボンを履いたので、女性らしさを表す形がスカートとなりました。また男性によって経済的に養われていたので、家で過ごす女性が多くなった歴史や社交界の登場、そして男性が好む見た目ということで、スカートは「女性らしさ」を象徴するようになったのです。(「服装の歴史3」村上信彦 p110-116)

女性の正装の変化と不変

この歴史の流れの中で、男性=ズボン、女性=スカートが多くの国で当たり前となりました。ですから正装でも男性はズボンを、女性はスカートを履いたのです。現代では、家の外で働く女性も多くなり、女性のパンツスーツ姿も正装として扱われるようになっています。入学式や入社式などを見ると気付くでしょう。

でも、役職のある女性にはスカートを着用するようにと勧められることもあるそうです。欧米では「エグゼクティブ・プレゼンス」という社会的な地位や職位の相応しさが昇進などに影響されます。この相応しさがを演出できるのが「厳格さ」や「品位」であり、これらは伝統的なスタイルに出やすいと言われています。

また、ズボンは活動的というイメージがあり、自分が動き回るという印象を与えてしまうそうです。海外ドラマなどを見ても、上司はスカート、部下はパンツスタイルという働く女性を見ることもあります。

ですから、服装は相手に特定のイメージを持たせる可能性があります。また、立場や目的、シーンに合わせて服を選ぶ必要があるのが現実です。これはマナーも含まれています。

SNSで「男女平等は女子の男子化ではない」という投稿を目にしました。それは本当にそう思います。平等のためにどちらかをどちらかに合わせるべきなら、男性がスカートを履くことが許されてもいいかもしれません。

しかし本当の平等とは、一方を無理やりもう片方に当てはめる事ではないでしょう。すべての人が同じ価値ある存在として扱われるべきです。そうすることで虐げられたり無視されるようなことがなくなって欲しいです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の服装についての考え

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員が着る服は、多くの教会員でない人が着る服と同じようなお店で買います。特別に高価な服やバッグ、アクセサリーを着けているのでありません。ファストファッションも着ます。教会員の中でも仕事柄や立場によっては、それに相応しい服を着ていることでしょう。

ただし、身に着ける物を選ぶ時は「慎み深い服装」を勧められています。実は服装だけではなく、言葉や行動、そして思いも慎み深くあるように言われています。それはこの聖句に書かれていることを信じているからです。

「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」1コリント6:19-20

慎み深い服装は、ダサくはありません。慎み深さに気を付けながら自分の好みの服を選ぶことができます。10代の教会員に向けられた「若人の強さのために」という手引きには、服装についてこのように言われています。

「神の預言者は、いつも神の子供たちに慎み深い服装をするよう勧告してきました。適切な身だしなみや慎み深い服装を心がけるなら、御霊が常にとどまり、周囲の人に良い影響を与えることができます。あなたの服装や身だしなみは、自分や周囲の人の行いに影響を与えます。

決して服装の標準を下げないでください。特別な日だからといって、慎みがないことの言い訳にしないでください。慎みのない服装をすることで、神の息子、娘というあなたの真の姿に反するメッセージを送ることになります。自分の体を利用して人の注意を引き、認められようとしているというメッセージを送っているのと同じです。」

では、慎み深い服装とは具体的にどのような恰好なのでしょう?上記の「若人の強さのために」から紹介します。

慎み深い服装の説明


露出を避けることは、女性だけではなく男性にも求められています。理由は、性的な誘惑を避けるためです。性的な誘惑により、神様の子供をこの世にもたらす神聖な能力である生殖の力を誤って使うことがないようにするためです。

教会の集会に参加するにふさわしい服装

では日曜日の教会の集会に参加するためにはどのような服装がいいのでしょうか?末日聖徒イエス・キリスト教会のホームページには、教会に何を着て行ったらいいかという質問に対してこのように書かれています。

「御自分に合った服装をしてください。教会で居心地が良いと感じる上品な服装でいらしていただければと思います。情報までに、ほとんどの男性はスーツやワイシャツにネクタイを着用し、女性は通常ワンピースやスカートを着用、子供たちはたいていよそ行きの服を着ています。」

そして服を選ぶ時の基準となることが1つあります。着ようと思っている服が、主を礼拝するのに相応しいかどうかです。

「自分の服装や身だしなみが慎み深いかどうかよく分からないときは、『主の前に出てもおかしくない外見だろうか』と自問するべきです。自分の言葉遣いや行動に関しても、同じように自問することができるでしょう。『主がおられてもこのような言葉遣いをしたり、このような活動に参加したりするだろうか。』これらの質問に対して正直に答えるときに、人生で大切な変化を遂げるための導きを受けることができるでしょう。」教会HP「慎み深さ」より

誤解のないように言っておきますが、これは決して高価な服でなければならないということを言っているのではありません。また、新しい服を買わなければならないということでもありません。自分が持っている服の中から、どのような服がいいか選ぶことができます。

主を礼拝したいという思いが大切なんです。ですから、見た目だけではなく言葉や行いに対しても慎み深さが求められるのは、この理由のためです。

でも実際に教会に行ったら、みんなスーツを着たりちゃんとした恰好をしていたよ、と思う人もいるかもしれません。それは日曜日を神聖な日にしたいという気持ちの表れです。

「主はわたしたちがふさわしい衣服を身に着けるよう望んでおられると思います。……日曜日に普段着を着るようになると、心構えや行動も同じようになっていきます。もちろん子供たちは、朝から晩まで正装したまま日曜日を過ごす必要はありません。けれどもわたしたちは奨励する服装、計画する活動を通して、子供たちが聖餐に向けて準備し、一日中その祝福にあずかるよう助けているのです」L・トム・ペリー

このペリー長老の言葉は、日曜日に一日中教会に行くような服装で過ごしなさい!と言ってる訳ではありません。安息日を特別にする方法の一つとして、普段着ない服で過ごすことが提案されているだけです。

教会から帰宅したら着替えるかどうかも、人それぞれです。わたしの息子は日曜日教会に行った後、白いシャツのまま外遊びをするので、親としては着替えて欲しい気持ちでいっぱいです。笑。

また、日曜日の礼拝に着る服は、誰かに自慢するためでもファッションショーのためでもありません。しかし、正装や普段着ない服を着ることで、特別な気持ちになります。デートや仕事のために服装やメイク、髪型で気持ちが切り替わったり気合いが入った経験がある人は理解できることではないでしょうか。

見た目が大事ではありませんが、身なりを清潔にすることで気持ちも整えることができます。また、慎み深い服装や自分の言動は自分自身を強めて守ります

主を礼拝したいという気持ちが大切

末日聖徒イエス・キリスト教会の日曜日の礼拝に興味があるけど、スカートを履きたくないと思っている人は心配しないでください。礼拝に行ってみたいという気持ちがあればぜひ教会に来てください!

バプテスマを受けたいけどスカートは履きたくないという場合も、バプテスマを諦める前に、教会員に、特にその教会を管理しているビショップや支部長にその不安な気持ちを話してみてください。わたしたちは選ぶことができます。また、何よりも、主を礼拝したいという気持ちが一番大切なのです。

また教会員も、ほかの人の服装については理解を示す必要がある時があるかもしれません。例えば女性がズボンを履いてくるのが、健康を保つため、個人の選びでズボンを好む人、経済的に余裕が無い人など様々な人がいるでしょう。

特に初めて教会に来た人が、教会員と一緒に礼拝する喜びを感じることを妨げないように注意してください。そして最近バプテスマを受けた会員が教会に来なくなることが、服装が原因でなくなるように助けてください。

身体を守るための衣服は、歴史の中で進化し、個人の楽しみや表現の方法、そして目的に合わせて着るようになりました。人は見かけでは判断できませんが、服装によって人の内面が表されたり、気持ちを引き締めることができます。

日曜礼拝の服選びの一番のポイントは、自分の気持ちかもしれませんね。神様はわたしたちの外見よりも、皆さんの心をご覧になります。何より皆さんは神様の大切な愛する子供です。


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