私たちはよく自分の宗教上の信条を話したり、教えを分かち合うことによって伝えます。模範的なのは、求道者に教会に来て、聖文を読み、宣教師に会うように勧めます。時には知らない人にさえ証をします。
しかし、実生活での模範はより強い影響となりうるということを忘れがちです。人々はいつも私たちのことを観察していて、私たちがキリストのような生活をしようとしていることに気づくでしょう。
行動は言葉よりも雄弁である
私が教会の会員になる前に入学したブリガム・ヤング大学で学んでいる時、チームメートは私の人生に良い影響を与えました。彼女は一度も福音を私に伝えはしませんでしたが、代りにキリストのような生活を通して模範を示してくれたのです。
これまで夫、友人、ワードの会員たちは生活の中で良い模範を示してくれました。私たちは常に異なる宗教を持つ人々や教会の会員たちに対して良い模範を示すべきです。
「あなたの同胞であるレーマン人の中へ行き、わたしの言葉を確立しなさい。しかし、あなたがたはわたしにあって彼らに良い模範を示せるように、長い苦しみと苦難の中で忍耐強くありなさい。そうすれば、わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう」と言われた。(アルマ書17:11)
模範の力は世の光として輝くことができる
「末日聖徒はまず自分の生活を整え、人々がその模範的な生活をまねるような生活をし、それによって自分自身と子孫とに栄誉と祝福をもたらし、主の業のために友を増やしていく必要があります。これこそすべての末日聖徒が抱く最も高邁な理想でなければならないと思います。」(『歴代大管長の教え』ヒーバー・J・グラント「模範の力」)
私たちは証を持ったのであれば、真理をまだ知らない人々に真の教会について分かち合うように勧められています。日々の生活で勤勉で、忠実で、謙遜になることにより模範となることができます。また神に仕えることにより、人々が真の教会を探求する手助けとなることができます。キリストのような模範になって、キリストの元へ来る道を開くことができます。
「主が皆さん一人一人を、そして地のあらゆる正直な人々を祝福されますように。また、すべての末日聖徒が模範の光を輝かせ、人々が真理の知識に導かれるように生活することを願っています。」(『歴代大管長の教え』ヒーバー・J・グラント「模範の力」)
強い印象を残したモルモン教の従業員
N・エルドン・タナー管長は次のように述べました。「私たちが世に示す模範は友を得るか、敵を作るか大いに決めるものとなります。」それぞれの会員は福音の教えに忠実に、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの戒めを守って教会の標準に従って生活するように求められています。N・エルドン・タナー管長は良い模範を示すことによって何が成し遂げられるかについての物語を読みました。二人のモルモン教の少女を雇った人は決して忘れられない強い印象を受けました。彼女たちは正直で、信頼でき、道徳的に正しかったのです。今まで雇った中で最もすばらしい従業員でした。
彼は息子を通じて末日聖徒の宣教師と会い、次のように言っています。「私が10年前に彼女たちの中に見出した感心すべき特質は自分の出会った成人のモルモン教の会員でもそうでした。モルモン教の会員が家族を強調している点が私は好きで、これまで会ったどんな人よりも最も幸福な人たちに見えます。」
「自分たちが会った人にそのような印象を与えることが私たち皆にできたらどんなにすばらしいでしょう。」
行いを通して模範を示すエクアドル人
カルロス・ペレスがエクアドル軍に所属した時、同僚の兵士たちは皆彼に注視していました。彼がモルモン教の会員であることを知っており、しばしばそのことで彼をからかったものです。そのことに気分をそがれて標準を下げるどころかカルロスは日々の生活の中でモルモン書で読んだことを取り入れようと決心しました。
ある日、友人の自動小銃の弾倉が無くなりました。皆で探しましたが、見つかりませんでした。それから個人のトランクを探すことにしましたが、それが見つかったのはカルロスのトランクでした。大尉は彼を呼び出し「私は君のことをずっと見ていたので、君がやったのではないことを知っているよ」と言いました。カルロスは将校全員の支援を受けることができたのです。
その時まで、私は従順の祝福または模範の力についてよく理解してはいませんでした。
彼の模範を通して、友人の1人は宣教師と会ってバプテスマを受ける決意をしました。
あきらめないで前進し続ける
模範となるのは簡単なことではありません。自分が一生懸命良いことをしていても、誰の人生にも響くこともなくがっかりすることもあるでしょう。宗教的信条を批判する人に遭遇することもあるでしょう。がっかりする気持は心や思いを落ち込ませ、希望を失いかけることもあるかもしれません。しかしながら、彼らは自分の周りの人々もいつかは教会について調べるかもしれないと信じて良い手本となろうと努めます。その決意をするには何週間、何か月、何年もかかるかもしれません。
私は教会の会員になってから落ち込んだことは何回もありました。周りの人はいつも私をけなそうとし、私の宗教はばからしいといいます。お酒をやめた理由を聞いてくる人もいました。友人が「モルモンだから飲まないのよ」とか「モルモンだからギャンブルはしないのよ」と夫や私について批評します。親友の1人は21歳の誕生日にはラスベガスに飲みに行って祝おうと説得を試みました。こんなことを言う人もいます。「その服は袖なしならもっとかわいいのに。」モルモン教について批評する親戚もいます。そのうちの1人は主人に複数の妻を持つつもりかと聞いてきました。親戚は私たちの宗教はくだらないと説得しようとします。
こんな経験をして私は希望を失い、あきらめかけたこともありました。周りの人の模範となることに疲れてしまいました。しかし、夫は良いことをするのを止めないように言いました。良い手本になれば人に影響を与えることができると思うと言いました。福音があることで私たちの幸せな、健康的な生活が分かるだろうと。
Mormonhub.comの編集者のゲールがギリシャのアテネに住んでいた時、彼女はバス停で深い印象を及ぼした二人の宣教師の話を聞きました。仕事に行くために毎日バスに乗っていた二人の姉妹がいました。その姉妹は毎日二人の宣教師と共にバス停にいて、何か平安な幸せな気持ちを感じていました。宣教師が周りにいると安全で守られているように感じたのです。姉妹は母親にその気持ちを伝えると、母親は宣教師を見つけ出し、なぜ娘たちがそのような気持ちを感じるのか分かりました。後にその一家は皆改宗しました。
小さなことでも価値があるのです。
「正直、誠実、真面目、高潔、知恵の言葉の順守、そして理想的な行動に関するすべての啓示は私たちの生活の中で体現すべきものであり、そのようにする時に私たちは他の人々にとって正しい模範となるのです。」(十二使徒定員会デルバート・L・スティプレー長老「模範の力」)
この記事はNicolette Poulsenによって書かれ、mormonhub.comに投稿されました。