わたしは結婚できず、独身でいることに気落ちし、落胆していましたが、何よりただ疲れていました。

祝福師の祝福には、「永遠の伴侶に出会ったと感じる日が来るでしょう」と書かれています。

「(その)日が来るでしょう」の文字を何度も何度も読みました。

祝福文に、いつかわたしは結婚すると書かれているのを知っていましたし、わたしには約束された伴侶がいるという祝福が真実であると感じていました。従順であるならば、すべてのことが神様の方法でうまくいくと信じていました。

しかし、そのような祝福を信じていても、孤独感は常にわたしに付きまとい離れることはありませんでした。自分を慰めるためにデートで気を紛らせ、仕事に打ち込みました。 

わたしは、疲れ果てるまで主に頼りました。デートの駆け引きを完璧にこなす努力をしました。祈りました。断食しました。神殿にも行きました。しかし、1000回以上のデートを重ねても努力は全く報われず、何の実も結ばないように思われました。

祝福は何処に

シェリー・デュー姉妹が言った「もし断食や祈り、神殿参入が自動的に伴侶へとつながるのならば、わたしはとっくに相手を見つけていたでしょう」という言葉に、わたしも同感します(“You Were Born to Lead, You Were Born for Glory,” BYU Speeches, Dec. 9, 2003)。

わたしは約束された祝福が来る日のことを考えてみました。その日を想像してみるやいなや、指導者の言葉が頭の中に押し寄せて疑念の火は消えるのですが、来たる日への希望も共に消えていくようでした。「祝福はすぐに来ることも、あとから来ることも、また天に召されるまで来ないこともあります」(ジェフリー・R・ホランド「すでに現れた祝福の大祭司」『リアホナ』1999年11月号)

本来ならば慰めを感じるべきなのですが、結婚しない可能性があるということを突きつけられて、最初はショックでした。しかしその後、変にその考えも腑に落ち、そして自分の人生の目的を深く理解できるようになっていきました。

しかし、「もしかしたら、わたしの妻となるべき人は開拓者たちと死んでしまったのかもしれない。わたしは現世で結婚する運命じゃないのかもしれない」といった思いは依然としてありました。わたしは、努力しました。そして疲れて…ただただ困憊していました。

そんな状態でも、わたしは今を生きながら、自分の未来は神の御手の中にあると信じ、少しずつ受け入れるようになっていきました。ポジティブな態度で前へ進み、できることはすべて行うようにしました。自分の人生を歩む決心をしたのです。

あきらめないと決める

あきらめてしまいたくなる時もありましたが、そんな時は、わたしにとってヒーローのような存在のシェリー・デュー姉妹から希望を見いだしました。人生は結婚だけがすべてではないのです。

疲れていた時に、ダリン・H・オークス長老が、アメリカの南東部で開かれた大会でしたお話を知っていたらよかったなと思いました。「わたしたちの祈りがまだかなえられないからといって、がっかりしないでください…最善を尽くし、主と主のタイミングを信頼するならば…独身でいようと結婚していようと、それは問題ではありません」(2015年12月、個人のメモ)。

多くの人は、全く予期せぬ時に伴侶に出会うものだと言います。わたしの場合も、ハイキングに行った時に将来の妻と出会い、その2ヶ月後にプロポーズしました。

わたしたちは出会うことになっていた、または、運命だったかどうかはわかりません。

結婚する機会がないことを受け入れるべきだと言っているのではなく、あなたが人生でどのような局面にいようと、自分の人生を楽しんで欲しいと言いたいのです。

「今」はもう楽しむ時

人生は、計り知れない素晴らしいものであふれています。もしわたしたちの関心が、たった一つの望みを満たすことのみに絞られてしまうなら、得られるかもしれない豊かな恵みを逃すことになるかもしれません。豪華客船に乗った、ある男性のたとえ話があります。彼はある事柄ばかりに関心を寄せ、船で受けられるサービスについて調べようともしなかったため、ご馳走にもありつけず、楽しい娯楽に参加できずに自分の部屋に閉じこもったまま旅行を終えました。独身であるからといって、ためらわないでください。結婚していないからといって、あなたの可能性をあきらめないでください。

「(その)日が来るでしょう」は、がっかりさせる言葉ではなく、わたしたちが日々の生活に取り組めるよう勇気を与えてくれる合図と取るべきです。その日がいつなのか、またどのようなことが待ち受けているか、今は知ることができませんが、前進することによっていつか知ることができるでしょう。

何をグズグズしているのですか?きらめく世界はあなたを待っています!


この記事はもともとZack Oatesによって書かれ、
ldsliving.comA Message to Those Tired of Being Singleの題名で投稿されました。