20年前の1995年3月12日に, ゴードン・B・ヒンクレー大管長はモルモン教の15代目の大管長と聖任されました。彼が13年間この責任を果たしていたとき、教会にも、私たちの心にもとても強い印象を残していきました。ここでは記念すべき彼の20個のレガシーをご紹介します。

 

1. 新しい教会のロゴ

1995年にモルモン教会は現在のロゴのデザインをリリースし、イエス・キリストが私たちの神学の中心と強調しました。これと関連する努力で2001年に教会はプレスリリースでメディア機関に名前の本名である、「末日聖徒イエス・キリスト教会」を使うようにと要求しました。

 

2. 世界へ手を差し伸べる

1996年にヒンクレー大管長は「60 Minutes」というテレビ番組に出演し、結果として永遠の友情をマイク・ワレス(60 Minutesの当時の司会者)と築くことができました。2004年には94歳の誕生日のために、ジョージ・W・ブッシュ大統領が大統領自由勲章をヒンクレー大管長に渡しました。大管長逝去の際にはブッシュ大統領と幾人かの議員は彼に敬意を示しました。

 

3. 神殿建設

13年間大管長であったときに神殿の数が47から124まで増加し、ほぼ二倍となりました。(亡くなったときに、13の神殿は工事中でした。)ヒンクレー大管長は旅をして、教会員と一緒にいることが好きでした。また旅の議題の一つは神殿の奉献式であり、100万マイルで160カ国を訪問することができました。

 

4. ワード宣教師

2002年にステーク(ワードという単位の会衆が、通常5〜10集まって成るグループの名称)の伝道部が解散され、伝道の業、活発化、定着の責任はワードのレベルのビショップ(ワードや支部の会員の霊的及び実務的事柄の責任者)、伝道主任(ワードや支部で伝道する宣教師を助ける人)、ワード宣教師(宣教師を助ける地元の会員)の責任となりました。

 

5. 永代教育基金

2001年に永代教育基金(開拓者時代と同じような)ローンプログラムを発表しました。

永代教育基金は発展途上国に住む教会員が教育とトレーニングを受け、彼らの状況と教会でのリーダーシップをより良くするものです。

 

6. わたしの福音を宣べ伝えなさい

ヒンクレー大管長が新会員の定着率が低いことと、多くの帰還宣教師が不活発になっている現状を考慮して「わたしの福音を宣べ伝えなさい」を作り始めました。それは1999年に始まり、現在のバージョンは2004年に出版されました。

 

7. 什分の一基金表に人道寄付を

1997年に大管長会(モルモン教会の最高管理組織)は新しい基金表を紹介しました。新たに人道支援の行が追加され、教会の人道支援プログラムに使うことで、より簡単に困っている人を助けることができるようにしました。

 

8. BYU-アイダホ校

2000年にリックスカレッジがブリガムヤング大学アイダホ校(4年制の学士学位を授与する機関)に変わると発表しました。デビッド・A・べドナー学長とその妻、スーザン・べドナーの下でこの変更が行われました。また、大学のすぐ近くに建設されたレックスバーグ神殿は2008年の2月に奉献され、ヒンクレー大管長が亡くなる前の日にオープンハウスが終了しました。

 

9. 2年間の推薦状

2002年11月に神殿推薦状(モルモン教の神殿に入るための許可証)の有効期限が1年から2年に延長されました。ヒンクレー大管長はステーク会長やビショップの負担を軽くするためにこの変更を行ったと説明しました。

 

10.「 生けるキリスト」と「家族-世界への宣言」

大管長会は1995年に「家族ー世界への宣言」を発行し、ヒンクレー大管長は中央女性集会(8歳以上の女性が対象の集会)でその宣言を提示ました。彼は続けて結婚と家族の神性さを強調しました。2000年1月1日に大管長会と十二使徒は「生けるキリスト」の中でイエス・キリストの証を宣言し、手紙で神権指導者(ステークやワードで会員を指導する、神権を持つふさわしい男性会員)に紹介しました。

 

11.  新しい七十人定員会

1995年から2005年までの間に地域幹部が地方代表として召され、これにより3から8つの七十人定員会が組織されました。今は地域七十人と呼ばれ、この幹部は具体的な地理的領域を管理します。

 

12. 6つのB

2000年11月にヒンクレー大管長は青少年(12歳から18歳までの若者)とヤングアダルト(18歳以上の成人会員)のために特別集会を開き、そこで “6つのB” という幸せの人生を送るための素晴らしい提案をされました。

1.感謝する人になりましょう
2.賢い人になりましょう
3.清い人になりましょう
4.正直な人になりましょう
5.謙遜な人になりましょう
6.よく祈る人になりましょう

(ゴードン・B・ヒンクレー大管長 2001年4月 “A Prophet’s Counsel and Prayer for Youth”)

 

13. 異なる宗教との交流

ヒンクレー大管長は自分自身の言葉を行っていて、続けて教会員が皆に思いやりを示し、単純に友達になるようにと励んでいました。2000年にこう述べています。「私たちはもっと寛容で隣人らしく、または優しく・・・子供に他の人々にもっと優しく、尊敬、愛情と関心をもって接するように教えましょう。」

 

14. 標準を上げる

2002年10月の総大会の神権部会で、ヒンクレー大管長は伝道に出るための基準を引き上げると発表しました。その同じ話の中で、伝道に出る宣教師のための特別な聖餐会のプログラムを止め、宣教師の帰還をお祝いする大きなオープンハウスもしないようにとお願いしました。

 

15. カンファレンスセンター

2000年に完成されたカンファレンスセンターは2万千席を宿る講堂です。知られている限り歴史的で一番大きなシアタースタイルの講堂です。その同じ年に教会はテンプルスクウェアの町の真ん中を走っていた道を購入し、人工池やメインストリートプラザを作りました。

 

16. モルモン書チャレンジ

2005年8月にヒンクレー大管長はその年の終わりまでモルモン書を読むようにとチャレンジしました。そうするときに、「人生と家庭に主の御霊がより豊かに注がれ、主の戒めを守りたいと固く決意することができ、御子が生きておられると強い証を持てる。」と約束されました。

 

17. 新しい改宗者をフェローシップする

ヒンクレー大管長は頻繁に改宗者が必要な3つのことを詳しく説明しました。それは、友達、責任、そして神の御言葉で常に養われることです。

 

18. 新しい「成長するわたし」と「神への務めを果たす」プログラムに変更が加えられる

2002年に新しい「成長するわたし」のプログラム(若い女性向け)に6つの価値ある経験と、それに伴うプロジェクトを紹介しました。テーマには、家庭と家族を強めるという言葉が追加されました。(2009年にまた新たに変更され、「徳」の価値が追加されました) また、「神への務めを果たす」のプログラム(若い男性向け)も、その同じ年に目標、経験、日記を書くなどを通してアロン神権者を助けキリストのもとへ来れるよう強調されるようになりました。

 

19.ノーブー神殿再建設

ヒンクレー大管長はこの歴史的な場所と歴史に感動され、ノーブー神殿の再建設を監督しました。(2002年にジョセフとハイラムの殉教の158周年を迎え、神殿は奉献されました)さらに、パルマイラとネブラスカ州ウィンタークォーターズ神殿の建設の監督をしました。パルマイラ神殿から聖なる森の景色が見られるいい場所を神殿のために確保しました。

 

20. 続けてもう少し努力し,最高の自分になる

ヒンクレー大管長の楽観さは「すべてがよし」と覚えさせてくれました。いつも「もうちょっと良くなるためにもう少し努力する」と教会を一般的に、また個人的に持ち上げてくれました。また「ベストを尽くしてくださいというのは、あなたの最善を尽くすことです。あなたの可能性は自分で思っているよりもはるかに大きいものです。」

私たちは神様の預言者をどれだけ愛しているでしょうか!あなたがヒンクレー大管長のレガシーの中から一番影響受けたのはどれですか?

 

 

この記事はLisa Teixeiraによって書かれ、lds.netに投稿されました。