時の初めから神は預言者を通して人類に語りかけてきました。神は人々の間で預言者を選び、彼らに同時代人に伝えるべき新しい教義を伝えその時代に特有の指示を与えました。預言者のメッセージは彼らに従う特定の人々だけでなく全世界に向けられています。そのメッセージに関してはすべての人に責任が求められます。たとえば、ノアを送り悔い改めが述べられたとき、その結果を引き受けたのは彼に従う者かどうかの区別がありませんでした。彼のメッセージはすべての人に与えられたものであり、それぞれがノアが本当の預言者であったかを確かめその勧めに従うべきかを決める必要がありました。従わないと決意した人はその結末を受け入れなければなりませんでした。従うか否かは選べますが、その結果は選べません。

時々神は預言者を持つ特権を奪われますが、それは人々が拒否するからです。そのような時代は人々が自分で判断しそれによって生きることを強いられます。自分たちを導き守る神からの指示がないのです。しかし、しばらくすると神は地上に預言者を持つ特権を回復されます。

イエスが亡くなった後その使徒が神よりの啓示を受け続けました。使徒行伝15:32には次のようにあります。「ユダとシラスとは共に預言者であったので、多くの言葉をもって兄弟たちを励まし、また力づけた。」しかし、イエスの使徒たちが亡くなった後、神は新しい預言者を長い間送りませんでした。その当時の人々はイエス・キリストと神がイエスの死後もその子供たちに語り続けるという考えにひどく反発したのです。

もちろん預言者がいなくては教義上の論争が起こったとき宗教的な指導者は他の手段によって真理についての決断を下さなければなりませんでした。聖書の時代にも人々は正しい教えから反れて行きました。パウロは死者がよみがえることはないと信じている人々を非難しています。(1コリント15)そして、ガラテア人は誤った教えに惑わされました。パウロはまたコロサイ人がグノーシス主義の教えの誤った考えにだんだん感化されていることを咎めています。ひとたび十二使徒が亡くなるとこの状況はますます悪くなりました。というのは誤った教えを直すための神からの啓示を受ける者がいなくなってしまったからです。聖書の意味するところは何なのかをめぐって見解の相違が起こると、その解釈に応じて新しい宗派が生まれることになりました。それが今日見られる混乱した状況で、どこの地域にも多くの教会があって、それぞれがキリスト教の教会だと主張し、聖書に従っていると言いながら、聖書の教えについては異なる考えを持っているのです。

1820年神は地上に預言者を回復する業に着手されました。末の日が迫っている時期に地球を備え人々を混乱から真理を見つけ出せるように助けるために預言者が必要です。十代の少年であったジョセフ・スミスは今日あるような宗教上の混乱を目にしてどの教会に加わるべきかを知るために森の中に入って祈りました。聖書のヤコブ書1:5に従い、知恵に不足しているのであれば神に尋ねることによって必要な知識が得られるという約束を試しました。この祈りの間にジョセフは神とイエス・キリストに示現の中でまみえ、完全な福音が失われているのでどの教会にも加わらないように指示されました。

成人してまもなく一人の天使が送られ回復の最初の預言者になる準備が始まりました。そのとき以来絶えることなく地上には預言者が存在し、神はイエス・キリストの再臨まで預言者を送り続けます。

ジョセフ・スミスは預言者であって神ではないことを銘記する必要があります。モルモンはジョセフを崇拝することもしませんし、イエス・キリストの上におくこともしません。ジョセフはモーセやノアがそうであったように一人の預言者です。クリスチャンはモーセやノアを預言者であると受け止めますが、彼らを礼拝することはしません。モルモンもジョセフやその他のどの預言者でも礼拝することはしません。

預言者の役割は神とイエス・キリストについて証し、命じられたときには神に代わって代弁することです。預言者だけが教会全体にかかわる啓示を受けることができます。

モルモンは自分たちの預言者をどのように見ているのでしょうか。もし、ミット・ロムニーが大統領に当選したら預言者がいるということが彼にどのように影響するでしょうか。ミット・ロムニーはモルモンの大統領候補ですが、活発なモルモンです。ということは彼は現在の預言者トーマス・S・モンソンを預言者としてみなしています。そのことは彼が教会が政治的には中立の立場にあるべきであるという教えに配慮することと、他の宗派の政治的なリーダーに宗教的な面で押し付けたりしないということも意味しています。預言者は意見や奨励をすることがありますが、政治的な指導者は選挙民を代表するという役割があり、それが彼らの優先順位です。

もちろんどの政治家もある種の標準を持ちそれが仕事振りにも反映します。それぞれがどこからか標準を身につけてきます。それは神からかもしれませんし、政党から、両親や友人からかも、あるいはポップ・カルチャーからかもしれません。どのようなところから影響を受けようとそれは法的に禁じられるべきものではありません。自分の信ずることを選ぶのが民主主義の基本原則だからです。しかし、預言者は政治家が自分の義務を果たすことに干渉しません。合衆国の両方の政党にモルモンの政治家がいますし、モルモンが公に意思表明していることを含むたいていの懸案についてモルモンは多くの立場をとっています。ミット・ロムニーのこれまでの生涯とリーダーシップのとり方を調べることによって、有権者はロムニーが次の役職に就いたらどのように行動するかを予測することができるでしょう。

モルモンの預言者はごく一般のモルモン間から来ている人たちです。彼らは宗教的なセミナリーで訓練されたこともなく、教会専任の指導者になる前は普通の仕事をしてきた人たちです。彼らの訓練は長い間教会での奉仕の経験から来ています。教会での責任はたとえそれがビショップ(牧師)のような役割であっても、それはあくまで奉仕であり、「召し」を果たすことです。召しは神からくるものであり、しばしば変わります。ですからさまざまな経験をすることになり、いろいろなスキルなどを学びます。十二使徒や預言者の役割は専任の召しです。経済的な余裕がある人の場合は、教会からの金銭的な援助を受けずに奉仕として責任を果たします。もし経済が許さない人の場合は、わずかな生活費が支給されますが、それは什分の一基金からではなく、教会のビジネス業務から来る収入がそれに当てられます。モンソン大管長はユタ州のソールトレイク市郊外の質素な住まいに住んでいます。

預言者の語るすべての言葉が予言的なものないしは公式な宣言だとはみなされません。預言者も他のモルモンと同様どのようなことに関しても個人的な見解を述べることが許されます。それが確立された教義と一致しないようなことであってもです。彼らはよくまた公式の場所でもこのような見解を述べることがあります。ですから、モルモニズムを学んでいる人は、どの部分が確立された教義の部分なのかを区別することが大切です。外部の人がモルモニズムの教えだと断定していることの多くが実は教会員の個人的な見解であって、教会の公式の教義ではないことがあります。他の教義としてみなされているものの中には、かつては一般的に信じられていたもので、決して確立された教義とは見なされずに、やがて皆から支持されなくなったというような考えもあります。

LDS Newsroomは教会の公式な情報を得るために役立ちます。しかしその中の一部は明らかに評論として述べられています。それに加え、信仰箇条や聖典は確立された教義を正確に伝える公式の文書です。近年、教会の高い地位にある代表者はそれまで以上に意識して教会の正式な考えと個人的な意見とをはっきり区別するように努力しています。大切なことは、最も最近教会の指導者によって述べられたことに特に注意することです。なぜならば預言者は今日の私たちのために教えることがその大事な役割だからです。

預言者について学ぶ方法がいくつかあります。一つは旧約聖書やモルモン書を読むことです。両方とも預言者の役割が何で、預言者から何が期待できるかという点について示唆してくれます。現代の預言者について学ぶためには次のウエッブサイトが参考になります。

その他の資料:

非公式のサイトですが、モルモンの教会員たちが現在の預言者トーマス・S・モンソンについての資料をまとめたものです。

トーマス・S・モンソンの説教集:現在の預言者によってなされたお話のリスト。今日預言者が世界中の人々に知ってほしいと考えている内容がわかります。

モルモンによって編集されているイエス・キリストについての非公式のサイト。このサイトには現代のモルモンの預言者がイエス・キリストについて教えた内容が掲載されています。