去年から待ちわびていた「美女と野獣」の映画をやっと最近観ました。でも見終わったときに、何かが欠けているという気持ちを感じました。映画が始まって間もなく現れた王子様の現代的なメイクに違和感を感じたのがきっかけだったかもしれません。もしかしたら、美女と野獣のダンスにもっと優雅さを求めていたのかもしれません。一方、衣装も音楽もとても豪華で素敵だと思いました。エマ・ワトソン(ベル役)が音痴だという噂を聞きましたが、彼女が音痴だとは思いませんでした。立派に歌い上げていたと思います。何か理解する必要があることが欠けていた、そんな気がしたのです。

 

何が本当に映画から欠けていたのか

わたしの方で欠けていたのは、全部のシーンをちゃんと見れなかったことです。友人宅で3歳児が一人、赤ちゃんが二人、そして友達と一緒に観たので、時々子供の世話をするために観れなかった部分がありました。そして子供たち自体が騒がしかったことも原因だったと思います。後は英語で字幕なしにミュージカルの映画を見たことが原因だったのだと思います。この映画が素晴らしいものにちがいないとすごく期待していたので、何かふに落ちないことが残念に思いました。「シンデレラ」の実写版を観た時は、またすぐにこの映画を観たいという気持ちにかられたのに、今回はそれがありませんでした。そこで、この映画についてもっと理解することにしました。

 

映画を学んで理解する

家に帰って子供が寝た後でボーナスシーンを観ました。すると「ビー アワー ゲスト」のエマ・ワトソンだけの撮影に7週間かかったこと、「強いぞ、ガストン」の練習に5ヵ月かかったことなどを学びました。野獣としてベルとの身長差を出すために竹馬に乗りながら演技したり、その役のために様々な工夫がこなされている事が分かりました。又、ベルの衣装は発明的で勇敢なベルの人格を表すために、よく工夫されていたことなども知りました。お城に登場する「時計」「キャンドル」「洋服ダンス」などになった召使たちをいかに人間らしく振舞わせるかを、かなりの時間をかけて研究したことも分かりました。この映画に出演した人たちにとって、そのことがどれほど名誉なことであったかも知りました。それらの詳細を理解することで、この映画に対する愛着が湧いていきました。

2回目に映画を観た時は、字幕付きでゆっくりと観ました。ボーナスシーンを観て学んだ知識を思い起こしながら観る映画は、最初に観た時の映画とは異なって観ることができました。字幕があったので、もっと何が起きているかをよく把握することができました。そして聴きなれない曲にも慣れて、より音楽を楽しむことができました。「美女と野獣」の歌詞には今まで紹介されていなかった心にしみる歌詞が紹介されていました。それを読みながら、詩人であるハワード・アッシュマン氏の才能にとても感動しました。結論として、2回目に観た時の方が、この映画をもっと好きになることができました。つまり、この映画についての理解を深めることが「美女と野獣」の実写版を好きになる鍵となりました。

 

人と物事を理解することの大切さ

この経験を他のことにも応用することができると思います。うまくいっていないと思える人間関係、イエス・キリストの教会、歴史、違う文化など様々なことについても同様のことが言えると思います。その人や物事に対して関心を示して理解することで、あなたの心に変化が生じると思います。人間関係で言えば、きっと共通点が見つかって同感できることを発見し、その人に対して親しみを持つことができるのではないでしょうか。すると相手にもあなたに対する心の変化が生じるかもしれません。七十人のキーチ長老は「理解し合うことは過程で、しばしばかなりの時間を必要とします」と言っています。ですから、これを達成するには時間と忍耐が必要ですが、可能であるということが分かります。

末日聖徒イエス・キリスト教会では、全ての人が神である天父の子どもであると信じています。ですから、まずは神様の子どもであることが共通点だということができます。ジョセフ・B・ワースリン長老は人々の違いについてこう言っています。

主がオーケストラのように様々な個性の人を地球にお送りになったのは,ピッコロの音だけを響かせるためではありませんでした。すべての楽器が貴重な存在で,交響曲の複雑な美しい音色に深みを与えます。天の御父の子供たちには多少の個人差があります。しかし,どの子供も,人類全体に深みと豊かさを与える独自の音色を持っているのです。このように様々な個性を持つ人間を創造されたこと自体,主がすべての神の子供たちを大切にしておられることの証です。」

ワースリン長老の言葉から、いかに全ての人が愛され、必要とされれているかがわかりますね。

今思えば、あの映画に最初に登場する高慢な王子様のメイクアップは、彼の素顔を完全に隠すための工夫だったのだと思えます。それがあったからこそ、野獣が王子様の姿に戻るときに、観る人が素顔の王子様に会うことができます。私がこの映画を理解するのに時間をかけたように、理解するように努力した後もまだ難しく思うことがあれば、ありのままのその人、物事を受け入れるように考えることで何かが楽になり、愛着が湧くようになるかもしれません。結局のところ、実写版の「美女と野獣」は、経験豊かで才能あふれるスタッフと出演者が、自分たちのベストを尽くして完成した、素晴らしい映画だと言えることができます。