「赦す」と「許す」ってどう違うの?と疑問に思ったことはありませんか?「許す」と「赦す」の違いをコトバンクで調べてみました。
許す:(「聴す」とも書く)不都合なことがないとして、そうすることを認める。希望や要求などを聞き入れる。「外出が―・される」「営業を―・す」
赦す:(「赦す」とも書く)過失や失敗などを責めないでおく。とがめないことにする。「あやまちを―・す」
許可をするという意味の「許す」に対して、「赦す」は、相手の失敗や罪を責めずに赦すという意味があるようです。
誰にでも赦せないことをされたり、過ちを犯し赦されない経験があると思います。今回は、どうすれば人を赦すことができるかということをお話していきたいと思います。
ケビン・R・ダンカン長老は、赦せない状態は、木のとげが指に刺さったまま痛みが残るようなことであると話しています。
「何年も前のある日、柵を修理していて、木のとげがわたしの指に突き刺さりました。わたしは何とかとげを抜こうと試み、うまくいったと思いましたが、どうやらそうではありませんでした。時がたつにつれ、皮膚がとげの上に覆いかぶさり、指にしこりができたのです。じゃまでしたし、時折痛みもありました。
何年もたってから、とうとう行動を起こすことにしました。わたしが行ったことは、ただしこりに軟こうを塗ってばんそうこうで覆うだけでした。何度もこれを繰り返しました。ある日ばんそうこうを剥がしてみたら、とげが指から出てきていました。それを見てどれほど驚いたことでしょう。
軟こうが皮膚を軟らかくし、何年間も痛みの原因となっていたものが抜け出る道を作ってくれたのです。とげがなくなると指はすぐさま癒され、今日に至るまで傷痕はまったく残っていません。」(ケビン・R・ダンカン長老「赦しという癒しの軟こう」2016年4月総大会)
このように、誰かを赦すことができないと、何年もとげが心の中に残り、心にしこりができ、痛みが残る場合があります。
人を赦せない理由は、誰かに傷つけられたり、大切な物や人を奪われたりと様々です。そのようなことが起きると、その人に対して赦せないという感情や、復讐したいという感情がわいてくることがあります。そのようなとき、どうすれば良いのでしょうか。
完全な赦しの例
ルキエ・アフマドは、愛する息子スリマンの命を3人の若者によって奪われました。3人の若者は歩道を歩いていた彼を銃で殺害し、彼が自分と妻のために買った食べ物とお金を持って逃げました。
ルキエはその後の裁判で3人のうちの1人と顔を合わせた時、その14歳の少年を抱きしめました。そして、その少年の母親、兄弟、家族全員も同じように力強く抱きしめました。それから彼女は息子の遺影を握りしめ、証言台に立ち、こう言いました。
「わたしはあなたのことを嫌っていません。嫌うことはできません。それはわたしたちの方法ではありません。慈悲を示すこと、それがわたしたちの方法です。あなたはかつて小さな赤ちゃんでした。そしてあなたはまだ子供です。息子の死はすでに定められていました。きっと彼の死の目的は、あなたの人生を救うことだったのかもしれません。なぜならあなたはこの社会によって潰されてはならないからです。
わたしとわたしの家族は、あなたの人生の一部になりたいと思っています。あなたの、もっとより良い人生をみたいと願っています。同じことが繰り返されることのないように。わたしはこれからずっとあなたの人生の一部になります。どんな命でもあなたが奪うならば、その命はその人一人の命ではないのです。その人の周りにたくさんの命が繋がっているのです。わたしたちが3人に望むものは復讐ではありません。復讐からは何も得られません。何も解決することはできません。復讐しても息子は返ってきません」
そして彼女はこう続けます。「心の底から誰かを赦したとき、その人をどうやって助けたら良いかだけを考えられるようになります。」
わたしの赦しについての体験談
わたしはこのビデオを見た時、すぐにわたし自身の出来事を思い浮かべました。
わたしが6歳の時、母は大きな交通事故に遭いました。母に大けがを負わせた人は朝までお酒を飲んだ後に運転していました。そして居眠り運転によって、母と当時2歳の弟を乗せた車に正面衝突しました。そして、たまたまその事故現場を通りかかったわたしと父が第一発見者となりました。
救急車の中でわたしは幼いながらに、母は死んでしまうのかと恐怖を感じたことを覚えています。母はそれから大きな手術を4度ほど受けましたが、元の身体には戻らず、不自由な生活を余儀なくされています。
事故を起こした人は、その後完全に回復しました。数カ月後、その人は彼の両親に連れられて家にやってきましが、下を向き、一言も言葉を発しないまま帰って行きました。まだ幼かったわたしにはその事故現場の衝撃と、その後の色々な出来事から心に大きな傷を負いました。
約20年間、事故当時の夢を見たり、救急車が通ると鼓動が速くなったり、急に大きな不安に襲われたり、色々な症状に悩みました。事故の原因となった彼は、その後また同じ事故を起こしたと聞きました。わたしは、謝罪の一言もなく、手術代や他の費用も払えないと逃げ、同じ失敗を繰り返す彼に対して次第に怒りを感じるようになりました。苦しむべきなのは彼なのに、と何度も思いました。
人を赦さなければいけないという福音の教えを、頭では理解していても、なかなか彼を赦すということができずにいました。1年前、ルキエさんの動画をたまたま見つけたとき、強く心に響きました。実際にわたしを苦しめていたのは自分自身だったことに気が付きました。わたしはルキエさんのビデオをみた日から、自分がその人を赦せる方法を勉強したいと思い始めました。そしてわたしは、「イエス・キリストの贖いを通して赦す」ということを学びました。
イエス・キリストの贖い
D・トッド・クリストファーソン長老は、贖いについてこう説明しています。
「イエス・キリストがどのような御方かを説明する最も重要な称号は贖い主です。……贖うという言葉には、責務や負債を支払うという意味があります。また、贖いは例えば、身代金を支払うことにより救済し自由にするという意味もあります。間違いをした人が、それを修正するか、埋め合わせるならば、その人は自らを贖ったと言えます。」(D・トッド・クリストファーソン長老「贖い」2013年4月総大会)
イエス・キリストは、ゲッセマネの園でわたしたちの罪を償うために御自分の命を犠牲にされ、十字架に掛けられ血を流しました。そのとき彼はこう言いました。「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)
イエス・キリストの贖いにより、わたしたちは失敗してしまったとしても、悔い改めることによって赦しを受けること、そして赦すことが可能になります。イエス・キリストはわたしの罪、あなたの罪、そしてあなたをを傷つけたその人の罪を贖うために自らの命を犠牲にされたのです。
主は教義と聖約の中でこう言っておられます。
「それゆえ、わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は、主の前に罪があるとされ、彼の中にもっと大きな罪が残るからである。主なるわたしは、わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし、あなたがたには、すべての人を赦すことが求められる。」(教義と聖約64:9-10)
ケビン・R・ダンカン長老は、こう言っています。
「きっと、ほとんどの人は赦したいと望んでいるはずです。しかし、なかなかできないと感じています。不当な扱いを受けると、すぐにこう言いがちです。『あの人は間違っている。罰せられるべきだ。正義はどこにあるんだ。』どういうわけか、もし自分が赦せば正義は機能せず、その行為の当事者は罰を免れると誤解してしまうのです。これは事実ではありません。神は公正な罰を全ての人に与えられます。
なぜなら、憐みは正義から何かを奪うことはできないからです(アルマ42:25参照)。神は愛を込めて皆さんやわたしにこのように断言しておられます。『裁きはわたし一人に任せなさい。それはわたしのすることであり、わたしが報復するからである。〔しかし、〕平安があなたがたにあるように〔しなさい〕。』(教義と聖約82:23)」(ケビン・R・ダンカン長老「赦しという癒しの軟こう」2016年4月総大会)
赦すことは決して簡単ではありません。人は傷つけられると、自分を守るために怒りや恨み、復讐心といった感情を持ってしまうこともあります。しかし、わたしたちは被害者になることもありますが、誰かを傷つける側になってしまう場合もあります。誰にでも失敗することはあります。完璧な人間などいないからです。
そのようなときにわたしたちが赦しを求めるように、同じ気持ちで赦しを求めている人がいることを忘れないでください。自分が赦しを受けるためには、赦せる人間になるための努力が必要です。わたしたちがイエス・キリストの贖いを通して赦す努力をすることによって、たくさんの祝福を受けることができるということを証します。みなさんが怒りや憎しみの感情という重荷から解放され、心に平安を見出すことができるよう願っています。
試練を通して学んだ赦すことの意味
わたしは、福音を学ぶことで赦すことの大切さと、それがどんな意味を持つか自らの経験から学びました。わたしにとって赦しとは、自分自身を苦しみから解放する方法です。傷ついてしまったとき、その人が自分にしたことに怒り、恨み、ひどい人だと文句を言うことに時間とエネルギーを費やすことをやめ、その人を赦すために祈り、赦す方法を見出すことに時間とエネルギーを注ぐ努力をするだけで、心が軽くなり、楽になることに気が付きました。
もちろん、赦すことは簡単ではありません。しかし、誰かを恨みながら生きていくには、そのためのエネルギーが必要であり、精神的にも疲れるものです。そして、その人との関係も悪くなり、ぎくしゃくしてしまいます。赦すことの大切さを理解し、キリストの贖いを学び、赦す方法を見出すことで、わたしたちが苦しみから解放されることを約束します。
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