モルモン教における戦争

戦争と戦争に関する研究は有史以来あります。救い主御自身このことについて教えておられます。「また,戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい,あわててはいけない。それは起こらねばならないが,まだ終わりではない。」(マタイ24:6)さらに主は語られました。「民は民に,国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに地震があり,またききんが起こるであろう。これらは産みの苦しみの初めである。」(マルコ13:8)

アルバート・アインシュタインは,次のような避けられない状況を述べたことで知られています。「戦争を食い止めようとし,なおかつ同時に戦争に備えることをすることはできません。」そして,以前の合衆国大統領であったジミー・カーターも次のように述べました。「戦争は時には必要悪です。しかし,たとえどのように必要であっても,いつも邪悪なもので,決して義なるものではありません。互いの民族の子供たちを殺し合っておきながら,平和に共存する方法を学ぶことはできません。」たぶんヘロドトス(紀元前484−425年)というギリシャの歴史家は,最も的を得た表現でまとめています。「平和時には,子供たちが両親を埋葬するが,戦争はこの自然な摂理を犯して,両親が子供を埋葬するようにさせる。」

戦争についてのイデオロギー

戦争をする決意をすることにまつわる考えや概念は非常に多様です。戦争における文化の影響についての歴史,戦争に対する個人の信条,戦争が正当化されるかについての宗教的なイデオロギー,そしてその宗教の教えることが戦争を行なうことに相対立するかどうかなどの要因が皆敵に対して戦争を布告するかを決める議論の中で主要な役割を果たします。ウィンストン・チャーチル卿は厳しい警告を発しました。「決して,決して,決してどのような戦争もスムーズで易しいなどと思わないでください。もしそうだったとしたら、未知の航海に出る者は,きっと遭遇する潮流やハリケーンの規模を測定できているでしょう。戦争熱に屈服した政治家たちは,ひとたび信号が発せられたら,政策の主人であることをやめ,未知のまた制御できない出来事の奴隷となるのです。」

民主的な政府の鍵になる役割は,その市民を悪の攻撃から守ることです。このことには法律を破る者を罰することも含みます。このことは国家をあらゆる外部からの攻撃,それが国家からであれ,他の人々の集団からであれ,危険な害虫や病気などからであれ,防御することを含みます。これらの責任のすべてが刀の力に依存しています。(ローマ13:1−8) [1]

救い主がローマ13:8で述べられていることに注意を払う必要があります。「互いに愛し合うことの外は,何人にも借りがあってはならない。人を愛する者は,律法を全うするのである。」主はまた次のようにも教えられました。「わたしは,新しいいましめをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように,あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛しあるならば,それによって,あなたがたがわたしの弟子であることを,すべての者がみとめるであろう。」(ヨハネ13:34−35)

敵に関して,救い主は教えられました。「敵を愛し、迫害する者のために祈れ。」(マタイ5:44)「あなたの頬を打つ者にはほかの頬を向けてやり,あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。」(ルカ6:29)「だれに対しても悪をもって悪に報いず,すべての人に対して善を図りなさい。あなたがたは,できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。」(ローマ12:20−21)

国家の政府は武力をもって,正義を行ない,国家を防御します。パウロは政府は悪をする者に祝福は与えないと言いましたが,個人はそうしなければならないと説明しました。神の僕として,国家の政府は武力を使って悪の攻撃から国家を守らなければなりません。(ローマ13章を参照) [2]

それぞれの国家は自国の利益を違う方法で定義して,その結果武力に頼ることが顕著で,それには政治的道義的な結果が付いて回ります。例えば,あるグループは過激なほどの平和主義をとり,その生存は他の人たちの出方如何になります。ですから,モルモン書では,決して血を流さないと聖約を交わしたレーマン人の改宗者の生き残りは,ニーファイ人と自分たちの完全な平和主義に拘束されていない息子たちの保護に頼っていました。(アルマ27:24;56:5−9)[3]

 

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