モルモン教、戦争

聖書は戦争と自己防衛についてはにを教えているか

モルモン教で使っている聖書は国家には自国を防衛する権利があると教えていますが,国家政府がその権威を行使してその責任を果たすことについて多くの原則があります。 [4]

  1. 戦争は自己防衛のためにだけ正当化される(ローマ13:1−8参照)戦争は国境を拡げ,外の国家を支配し,あるいは貿易上の優位に立つために行なうべきではありません。ですから,一つの国家は決して軍事上の統治を外の地域や国家の内部で行なうべきではありません。「いったい、支配者たちは,善事ををする者には恐怖でなく,悪事をする者にこそ恐怖である。あなたは権威を恐れないことを願うのか。それでは,善事をするがよい。そうすれば,彼からほめられるであろう。」(ローマ13:3)

 

2.福音に人々を改宗させるために戦争を道具として用いてはなりません。ですから,キリスト教徒による聖戦は聖典の中に根拠が全然見いだせません。例えばイスラエル国家は神から特別で直接的な命令を受けた時だけ,カナーンの諸国家を占領したり破壊したりすることができました。「すなわちあなたの神,主が彼らをあなたに渡して,これを撃たせられる時は,あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない。彼らとなんの契約をもしてはならない。彼らに何のあわれみをも示してはならない。」(申命記7:2)これはイスラエルに救いをもたらすという神の計画と目的に沿って行なわれたのです。

 

3.キリスト教の国家は大きな「武力を誇示するような軍隊」をもつべきではなく,軍隊には大きな政治的権力を与えるべきではありません。それによって色々な抗争を軍事的に解決しようとするために使われてしまうからです。申命記17:16の中で次のような記載があります。「王となる人は自分のために馬を多く得ようとしてはならない。また馬を多く得るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたに向かって,『この後かさねてこの道に帰ってはならない』とおおせられたからである。」

 

4.防衛力は,本職ではなくパートの地元の軍隊であるべきです。兵隊たちの大半はよく訓練された市民の義勇軍で,必要に応じていつでも招聘に応じる者たちであるべきです。これらの兵士たちは,通常は別の関心に従事していて,かくして不必要な戦争を起こすような過度に動機づけられてはいないでしょう。ほんの短い予告だけで,自分たちの家族や友だちを守るために行動に移る備えができています。専任の職業軍人は中央に勤務して,国家としての防衛が保たれるように働きます。弱気の人、恐がりの人、人生の重要な状況にある人(最近結婚したとか,新築をしている,新しい仕事を始めたなどの)たちは注意を別のところにとられる可能性があるので,軍の務めから除外されるべきです。

 

5.キリスト教の国家は攻撃的な武器を持たない(申命記17:16)。現代の防御勢力には防衛の目的に最も適した武器を選んで備えるべきです。

 

6.国家の政府だけが,正しい方のプロセスを踏んで,宣戦布告する権威があります。(申命記20:10−14参照)

 

7.「戦争は常に最後の切り札にすべきです。国家政府は平和を保つためにあらゆる手段をとるべきです。」(申命記20:10)わたしたちは戦争の怖さを決して忘れてはなりません。常に戦争によって多くの人たちが苦しみます。キリスト教徒は決して戦争を栄光化すべきではありません。自分の命を,家族や地域社会を守るために捧げることは誉れあることですが,戦争は決して理想的な解決法ではありません。キリスト教の政府は戦争に備えるべきですが,それは攻撃があった場合であり,決して戦うことが必要でなくなることを望むべきです。 [5]

 

8.宣戦布告する前に,キリスト教の国家は神の意志をうかがうべきです。そうすることが正しいと予想して戦争に突入するいかなる国家も,その点において自信過剰です(申命記1:41−44)。神によって祝福されている時に,軍隊の成功する可能性は高まります。

 

9.キリスト教の政府は,勝利する可能性があると確信する時にだけ宣戦布告をするべきです。「どんな王でも,ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には,まず座して,こちらの一万人をもって,二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか,考えてみないだろうか。もし自分の力にあまれば,敵がまだ遠くにいるうちに,使者を送って,和を求めるであろう。」(ルカ14:31−32)

 

戦争の損失を計算するのは,兵士が何人くらい死ぬかを予測するだけではありません。戦争にかかわるあらゆる犠牲を計算すべきです。一般において,戦争で本当の意味での勝利者になる場合は非常にまれです。家族を失う人の損失はあまりにも大きいのです。生き残った兵士に対しても損失はあまりにも大きくなる可能性があります。神は国家についての時間を定め,その支配のタイミングも決められます(使徒行伝17:26参照)。いかなる国家も他の国家に侵入してその政府(たとえ邪悪でも)を変える権限を持っていません。一つの国家を占領して民主主義を設立することは不可能です。(民主主義はその民の心から生まれなければなりません。それは外部から強制することはできません。)偉大な権力によって他の国に「より良い」政府を強制的に作ることは,大体において失敗してきました。その国を司る霊的な力は,征服されないからです。(ダニエル10:13参照) [6]

 

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